無題

2023-04-07: “ルポ・しぼうじこ(卒業写真と月曜日には)”

今夕雨の収まるまでに図書館には間に合わないだろう-と,あきらめた。だが,19時過ぎてから,そう言えば“ 心理学的自動症 ”貸出期限の延長が必要だった!と再び思い直した。昨夜また後輪の位置調整に拠ってチェーンの掛かり具合は修整されたであろう。しかし,自転車で雨に濡れた路面を夕刻過ぎに無闇に走るのは難しい。私は一昨夜ツルマ付近の不要な花見客関心を避けたいがために夜でも敢えてサングラスを掛けていたが,人影の見える見えないはぎりぎりの慣行なので,もし25分で到着しようとすればそれは最大事故のリスクである。
図書館前に着いたのは閉館直前,赤いコーン等の間を駐輪場へと入りかけた途端(左にハンドルした瞬間,車体下-その外側へと滑り,)私の体は左側に倒れて打ちつけられた。瞬間,左側一面に水の冷たさが遇った。
ちょうど若い男性ひとりが私の足元に近い位置に来ていて,すぐに“ 大丈夫ですか? ”と言った。私は応えながら,同時に,こちらの自転車がその足に当たったかもしれないと気遣って聞いた。私は残り数分間のあいだに予定通り玄関内正面の端末機でマイページにアクセスして“貸出延長ボタン”を押した。

[ 私は一度も電話で“お願い”をしたことが無かった。むかしクレームも手書きか,文字打ち込みだった。]

頸の痛みは咄嗟に力んだ所為か,軽いめまいのような,わずかな頭痛も遇った。実際に頭部も少し当たったのか分からないが,左肘上の(自然に庇った)傷が先だった。
..何年かまえ,あのテレビ塔傍の久屋大通を横切ろうと駆けだした瞬間,突然チェーンの外れて私は不意に両足ごと路面に落ちながら跳ねた勢いでバランスを取れず車道側にぶっ倒れた(まるで初めてのことのように,私の頭の片側は路面に当たりゴツンと音が響いた。)背後に自動車の気配が遇ったので私は慌てて起き上がり自転車を引き寄せた。そこに警笛ひとつ発してワゴン車は走り過ぎた。
その際にも,ちょうど私のすぐ後ろに自転車レーンを来ていたのか,若い女性ひとりが立ち止まって“ 大丈夫ですか? ”と心配そうに声を掛けてくれた。あのとき前輪のブレーキがどういう力加減でか車輪側に曲がってしまったが,私は公園の白い陸橋下辺りに引いてから,私の指で何とか走行可能に曲げ戻した( 自転車ブレーキのシューは金属リムに平行に触れるよりも,そのゴム部分の前方がやや先に次第に押す角度の方が(雨の日と-)効き目になる具合も経験的に遇ったので,私は最近までその部分には触らなかった。)
今,頭の痛みはその時の記憶なんだろうか..
[ 何年まえか,私はあの図書館前の“滑り易さ”について自ら警告文字画像を作った覚えがあったのだった。私の左側表面には帯状にびっしりと小さな枯れ葉みたいなものが濡れて付着していたから,その通りかもしれなかった.,危険は,むしろ滑り止めの無い石材の(わずかな傾斜面)水捌けの悪さに違いない。私が摩耗していない新しいタイヤや底の平らでないブーツでだったらツルツル滑りはしなかっただろうという言い訳だが..
もし妊婦や両手に子連れの来客がそこでそんな転倒したらどうなるんだろう?と,あとで私はなにかの連想みたように呟いた。なんで何年間も改良されない訳が?? いわば,例の,そんな“名古屋の放置くせ”に見捨てられたのか..? ]

2023-04-08: “優先”事項-?
私は昨夜のあいだに“ルポ-”の象徴性的な再発見と思った。たとえば福音書の解読が一筋縄ではなかったように,私自身とした表記との同一性を問うのが精々だったのである( 但し,私の文体として手前からのワード優先した書き出し,それから“なにかが”主体なのかと文字通り転倒したような点も,見過ごされない。私が更に完全だったとしたら,違う進行だったか。)
たとえば“ウィシュマサンダマリは何故しんだのか?”と問うことは易しい( だが,“なにを”問えるのか。)
私の自身に妥協を許さないことが重要だったのなら,たとえ他者にであろうと私は三度説教臭くなったであろう。そしたら今回も肝心の点は失われた同然である。

2023-04-09:
気力収斂により,夢(見の)意と復する。

朝,サイトイメージの修理部分など書き加えに出かけようと思ったが,男だてらには肌寒い。着替えかけたら,不意に髪から即席ラーメンの臭い。金曜日にあの自転車転倒して帰り着いた直後,ここ何週間も嗅がなかったガリーグなどの匂いが突然遇ったので,“頭打ったという衝撃かその記憶の所為か?”と一寸驚いた。匂うなら“冷や麦のカルピス和え”の方がまだいい。布団に戻った。

不思議な夢だった。わたしは街の商業施設内や店などの間に歩き回りながらその辺の愉しげな者たちと一々愛想を蒔いていた( そこには何も嫌味が無かった。)
ある室内通路に差し掛かってその左側に不図みた処,(黄色がかった褐色の凹凸浮き彫りのようにやや不規則に描かれた)映画タイトルの宣伝ロゴデザインみたいな部分,その右側末尾に(浮き出し文字,左上から右下へと密に列ねられたみたいに)“オケダ”という片仮名3文字が見えた。
[ 私の苗字だと思って判断度が上がったのか,そこで場面は切れた。今となっては似つかわしくない街での“態度”だが,もし本当にそのように死ねるのでなかったら,実際に矛盾を突くような面として表れただろう。
(片仮名の)ややマンガ題名みたいな形,私の作風ではなかった。あとで私はその文字の詰め配置に“トヨタ”の赤い社名ロゴを連想した。
あるいは“オケダ”も別のものかもしれなかったが,私には相応しくない絵だった。]

2023-04-10:
私は例のコーヒー豆を今一度電子レンジに放り込んでみた[ 関連話題((論外)予告されざる未来 :2022-04-22 非表示)]皿の真ん中に丸く寄せて置いてみたが,一度にやったら白煙と焦げの匂いとが立った。数回やり直してみたあとで( 電波は集中し易い?- )皿中央にではなく,リング状に並べてみたらどうか?思い付いた。だが,それからまた2回も以前の置き方を繰り返していた( 四角い皿の縁に三角に寄せたり. )今日ようやく電子レンジの前で憶い出されたが自動的だった。
私は以前‘ 意と ’というものは常に持続する思考パターンの形成だと信じていた( が,自己強制する作業の常態化したら,意識的-点滅するような対処ではなくなり,あたかも慢性的な睡眠不足かのように疲弊する.,Q&A式-20までの関連話題 )..あるいは,再び30年を越えて歳とともに展開されつつ-“解体”次第に-自動的に変わってしまうのではないか?

私は最近テレビ放送欄のdデータで“今週の運勢”星座毎のイメージを総合的に( 自己-周縁的に-といったのか )全体的な傾向として在るのかどうか視ていた。たとえば今週のそれらからには“ 以前からのスタック(再利用的な傾向?)と期待感,無闇な霊感 ”と読んだ。おそらくも無く“2人組のお笑い”は再活性化しているだろう。習氏たちの対応は更にクローズアップされる。

例のピエールジャネに拠る第二部-第三章の最後,“ IX 憑依現象 ”最初の一節では,“..統合されていない観念の断片は、なんとなく始める行為や絶えず繰り返す独り言、幻覚などをとおして複雑な形で外部に現れてくる。”と簡単に述べている。
私は簡潔に“矛盾した望みの問題”だとみる。映画“エクソシスト”では,催眠術者が少女の異常に尋ねるために“..彼女を支配している(と称する)何者か,現せ.”というように命じる場面が遇った。あのお話にもその表れは前後の順番としては逆であって( その呻き声の音声自体が“リバース”に発せられた )象徴的な形と“霊”現象に対する時間的な遡及とは一致しなかったようだ。
(つづく)

2023-04-12: “嫌がらせ”の正体( 秋の春?)

私は最近になって“嫌がらせ”を訴える側が逆にその嫌がらせ元であるかのように誤られている傾向に気付いた。
..面倒臭いからじゃないかな。他からの面倒事に一々こちら自身として看れるひとではない。むしろ“みすてる型”ではなかったか。
このまえ日記に書いたように,自身に受けの要素的な同一感になってしまうだとしたら,だれかにはその問題として自任していると思われる..そういう相としての“UFO問題”では遭ったかも。
..フォーユーじゃなくって,目撃されたかったから? 例の“気象観測用気球を言い換えるあの事件”ではなくて?
2047には無いよ。そう言えば,今年ドイツはもっと重要なお金があるかも,秋までには平坦にアップしているという意味だが。
秋は,せつないな。
..“嫌がらせ”自認の相は見にくい,その通り。
ある“嫌がらせ”を訴える側が逆にその嫌がらせ元であったように誤認されるか。仮には,それだとしても,なんらか具体性を伴ったのでは?
-その“嫌がらせ”自体にか。
先月バイデン氏は“気球”にはどうでもいいといった,余り無い対応だった。
ロシアンのだとは言わなかった。ところで,-それ“”の可能性だといったのでは?
それ“”だ-だとしたなら,この嫌がらせを受ける側はこれの元を主張するだろう..主張しなければならない,必然的?
たしかに同一的に言う必要ではないね。
..例のジャネの本が,自動症の観察について論じながら“下意識との(事象群との)協同作業”であるかのように言った点は,私には不明意味だった。
“協同作業”という語の問題かもしれないが,ジャネは半分意識的な呟きみたいなものに関して単に仮定的にそう言ったのではないかな?
“道具”に移行したかのような利用に関してはちょっとだけ語られていた(当時流行った霊媒術などに関して)が,ある観念への固着というとり憑き方は未だ無い。
..“第一人格”にとっての対立は見せかけに過ぎない,演繹的な捉え方ではそれが“他者”同然であったのも当然だ?
ひとつの問題だとして,それにも“時間”計算外だったかもしれない。昔“UFO”は未来から来ると言った話も遭った。
..“あたかも”と“あるかも”とでは違う。

未読夢と良( Q&A-番外より下段-Q&A式-18とのリンク )に戻る

2023-04-14:
身体に自身‘ とり憑いて ’みる( 自発的-視る
夢見の身体?

すべて再び自己責任化する

2023-04-15:
普通な想像-連想は過去のものだ。

“アストリッドとラファエル”の続き放送予定-再放送予定はどうなった? まえの第1-終了時の予定では3月ではあったのか?( 私は先月調べないながら私のおはなし側は“ 5月か6月 ”と言った。そのとき私は“なんでだ!なんで5月なんだ!”と言い返したが.. )
今日午前中に私の昨年日記にタグなどを付け直そうと辿ってみていたら,ウクライナ情勢に関して“ ..3月から4月の終わりまで- ”と書いて遇った( 2022-09-22:)私はそれにもピンとは来なかった。

(歴史観的な年表予言;)
2023-04: R正教会の正直な発言。
[ これの2日後に,ちょうど復活祭で大統領Pが教会に訪れた絵がニュース放映されていたが,ここでのステイタスは不明。]
2024-01: Pと一国主義の問題( 墓からよみがえる人。)
[ 10月の終わり.. “見れども見えず、聞けども聞こえず-”? 国際的自由の転換点は28年。]

2023-04-16:
中心以外象徴に過ぎる。

自身に‘ とり憑いて ’(意志的に動かし)みる。