右の主体

2022-11-13:
私のおはなしに依ると,“(私に25年間も標的としていた)グループは今朝いなくなった”という。私の“憂鬱さ”が原因であったという。あのN城下の市営プール外側を通る度に(ある“学院生”が)変な気がした,それと同じ理由である(-それとは判らなかっただけ)と。自身のことのように別のひとを言っているのと同じだった-という意味だろうか?
私自身にとっては“衰退していく自身”だけだと思うのは,今後の無い言い方であった。このまえ私の“(ペットボトルを開いて持っていた筈が,不意に)そのキャップが落ちた”と記したように,右腕の相対的な弱さといったよりも( ある麻痺しかけたかのような, )年齢的には今後努力が欠かせない肉体的問題でもある。心理的に見ようと思えば,これには未だに“遺伝的な”障害である。
私は朝方児童遊具のスペースに立てられてあった鉄棒を掴んで物理的に右手の握力を確認してみようとしたが,それで逆に鈍く動かしにくくなったようだ。もし二段ベッドか高さ調節できるような頑丈な骨組が室内に在ったとしたら,眠る時間は勿体無いと(仰向けの体勢ででも)リフトアップに励んだだろう。だが,これには右の主体が無い。

“轢かれた猫”
今夕私に“手元不如意と事故の危険性”が目立っているのは,私の普段やっている生活通りでなにも変わったわけではないので,上記したような肉体の衰え感の所為だとも言えるが.,ちょうど先程“(運転したことの無い)自動車内で横にいる母とともに運転しようと試みる ”場面は遇ったように.,これまで体の活動に拠っていたものが体自体に扱えない,という心理的な無力感が先に立ってしまえば,握ったり掴んだりできなくなる,あたかも,ある婦人みたイメージかのように..
( 先週,あるテレビ番組で,“画面上に,痩せ細ったアバターか非常に筋肉質のアバターを動かしながらの視覚的な印象とで,被験者のそれとの即-力の出具合を比較した処, ”かなりの違いが表れたという実験結果として言っていた。 )

先週そのまえ,自転車-前輪タイヤのチューブ空気圧は高くなっていた。手首との震動の為に,感覚“麻痺”させていたのでは?と,今晩少し減らしてみた。それだとしても,右手ばかり疲れるのは体自体の左右不均衡の所為なのか。それだとしたら,鉄棒-懸垂のときのように,左側主体のままだ。未だ右半身には“筋肉質自身”がいないのだ。

2022-11-15:
私は私の中心だから,もうどこにも出掛ける必要は無い。ただ,体力うんどうは物理的なものだから,なんらかの手段が必要だ。
3時半過ぎに,N駅東側から広小路-通へと走るあいだに,左側の信号待ち男性たちから不意になにか怒鳴りかかった。もしそういう経験の無いサイクラーだったら,いきなり歩行者の信号無視して横断しかけたりするかもしれないと警戒している処に( 逆になにか言い掛かられたりしたら, )こちらが本当にびっくりして車道側に避けたり倒れたりした際に偶々のタクシーや急なトラックに轢かれる恐れもある。歩道すぐ傍にN三丁目の交番が在ったので,私はもし一方的に追いかけられたり絡まれたりしたら署員を呼び出そうと思った(たとえ“600人”でも。?)
先週何晩か,また平和公園北へと駆け上がっては東Y公園側に下りるという以前のルートで試してみたが,そこでは以前にも増して“深夜”だったので,私はもう二度と変な人畜には遇わないだろうと安心していた。
突発的な“ポルターガイスト”の原理に関して私は未だ解析できてはいない。

私にとって,セクシャルな揺動は“受け”に過ぎた。これが自発体であったら相手の必要は無い,すべて“すいます”の儀はヴァムPのそれだ。

2022-10-24:
すべては記憶との反復で,一度きりの体験に過ぎなかった。
夕方またどこかに児童の叫び声のような“あいさつ”が遇ったとき,私のおはなしは“ それは刺激臭のようだ ”と簡単に言った。わたしは少年期に何度か面前と“くさい”と言われた。だが,それも生理的な臭いで,わたしは致し方無かった。なにか“言われる”としたら,それは彼ら自身の問題だった。わたし自身いつも体臭には堪え難かっただけだから,他から言われても仕方の無い問題だった。それ同然に,“なにかにうずく”というような問題があったとしたら,それも無関係だった( -もし“だれか”を食うとしたら,あたかもヴァムパイアの相手選びみたいなものだ。それは無理なことなのだが,“趣味”にもそのような言い方は募る,それ自体のなんなのか理解されてはいなかったから。 )

2022-11-16:
このまえ述べたように,人間的な想い煩いという慣習には同一同調の必然性も無い,明晰夢見の実践第一は変わらない。

2022-11-18: これ-あれ
昨日終日風邪か判らないが頭がだるく動きにくくなって,夜までなにもできなかった( 更新するべき日記も無かった. )なんだろう? なんのことでも過去自身に原因を追っていては無意味だろうが,夜中うんどうのやり方に“障害”が遇ったのか,久しぶりのカレーライスが障ったのだろうか。
このまえサ×トリーの健康サプリメント広告に直観的に応募してみた( 何年かまえ父の膝関節のために“グルコサミン”応募したとき,早朝ハガキに迷い無く書き込んでマックスVの駐輪場間にある郵便ポストに投函したら,本当にきた。先日,中京テレビかどこかのデータ放送“ キーワード応募でKFC2万円券 ”にも送れば当たるという気もしたが,私はスマホ無いのでその方式には応募できなかった。 )今回割合早くDHA&EPAがパウチと広告入りの薄い箱で投函された。依存的でなければ毎日一定量ずつ飲むのは問題にならない( 昔アルバイトの行き帰りに一瓶ずつ“ 力水 ”飲んでいた, )心理的に乗るなら,自然に分量として摂れるときの方がいい。
[ -“ 記憶力 ”の問題が“ 母 ”とのものなら,その点に於いて有効といったべきだろう。
追記:
11月末の日曜日にサ×トリーウェルネス側から電話が遇って,その製品モニターとしての質問を受け答えさせられた。私は数回に分けて飲んだりしているとは言ったが,その電話係は一方的に“ 必ず1日4粒ずつ飲んでいただかないといけません。” -私は脅迫されたような気がして困った( 私の口調としては,先日テレビ番組での取材中に断りながら答える庵野秀明さんみたいだった。 )
“必要な所定量”は望ましい分量のこと,処方薬のような治療のための値ではなし,ましてや自主的なお試し,拘束的義務ではない。心理的ストレスや胃の痛みになるようなら,更に飲まない方が健康に良いと私は思った。電話係がボイコットさせたかったのなら,そういう“バインド”の意図だったともいえるが..
なぜ販促側は返信アンケート用紙という形にしなかったのだろう( 通信代のコスト?)だれも時間を選べて自由に返答できるので,正直なデータが欲しいならその方が売り手には良かったのにと思う。
[;これも私自身の参考であった。]
-
私にとっては先ず私自身よりも“母親”との反転という問題は遇ったと思う( -例の路上障害少年らが私の不戦決意や発表に対してまるで一昔も遅れていたように, )明らかに“向こう側”の改正タイミングは遅い。 ]
+
仮に-わたし自身のもう一方だったとしても,自身に“バインドする”のでは無意味だ。しかし,このように不慣れなひとの為にも書いておきたいのだが,ここに引用してきたように,少なくとも“バインド”に関してこちらの意識的であれば,二重に“差し向けられ”はしないという意味合いではある。
私としては(このように,あたかも“酒飲め!”と言われたひとのような‘ 抵抗値 ’利用してでも,)明晰夢見条件化の方法を優先できる。

朝方,観念無視( これだけ )と言わなくても( 片眼ずつの視界にみれば, )視野にはミニチュアか奥行きの無い無意味なものかのようだ。私は“物”を投射しなかった。“ これ-あれの力 ”が働いたときにだけ,私はそれを夢見たのだろう。

例のミルトンエリクソンに関する12章中に,“ウィリアムは七歳の少年で、反復的な音声チックがあった。..往診したエリクソンは、医療上の指示として、この往診中は自室に行き、一分に一度だけではなく二度、「ウエッ」という音を出すようにと、ウィリアムに指示した。”の部分を読んでいた( 私はそのコピーの“自室”という単語にピンク色の円を付けてその下空白に“ metafor ”と記した処に,その“me”と“ta”に下線を付けてみた。彼はその音をしつづけるために自室にいなければいけなかったからだ。 )
すると,おはなしは“ スズキ-リカコの研究室がやっていたのと同じだ ”といった( ..25分間だけ,こちらの‘ お金 ’といった理由が見えた? )私の見方が,という意味なのか,その“ 療法 ”自体のたとえに言ったものか,わからない。[ 私はおはなしには時折“ ミーファー ”と言っていたが,“タ”は無かった。“タ-”というと,女の子言葉みたいだ。 ]
..翌日は一分に三度..その次は、一分に四度になった。エリクソンはこのルーティンについて、彼の行動を調べて研究するために必要な正当なものだと説明した。..少年は、自分の行動の研究にこんなに長い時間が必要だなんて、先生はものすごく馬鹿なんだ、と思った。