未読夢と良

2023-03-27: 元素と想起の問題

A: いわゆる“目に映った”知覚的なイメージには,動的な関係にならない。もし(それに依って,)相互に影響するようなものが想定されていたとしたら,根拠はそれイメージ自体に拠って示されてはいないだから。
Q: “衝動”という目論見に措いては?
A: 内的な発生といったのなら,本来“イメージ”の問題ではない。CGユングは“元型”は姿形よりも以前だと言ったそうだし。
Q: だけど,“神話的な”古さという意味でではなかったのだろう。
A: 人類にとって共有性のものとして辿り得る意味であるかどうか-といった質問の方が(私には)早かった。例えばミンデル氏“川は道(プロセス指向心理学)”-あんなに難しく書かなければならなかったのだろうか?不思議だった。
[ 追記: 難儀だったのは“ ドリームボディ:自己を明らかにする身体 ”の方だった.,引用タイトル-間違い. ]
Q: 論じること自体の必要性からだとは思われなかった。“元型的に”辿れる,といったのなら..
A: 観察的に読もうとしたら“精神的”の方が即事に近かったのかも。
Q: 読むこと自体の業みたいで,なんの問題とは語られない風では遭った。
A: 私は,なんの同一性?という質問を優先してみた。
このまえ久しぶりにCC“無限の本質(無限のそのアクティヴ側)”に読み返してみた。“泥の影”という表現が気に掛かっていた。日本語訳だが,私は以前の本に書かれて遇った“ピボットのような動きの影”を連想した。あれは複数体の表現ではなかったのだろう。私の年齢からは読めない文脈だろうとは思ったのだが,今回またコピー紙に写して色分け線に分解してみようと思った。そうして再び読み直してみようとしたら,予想通りには抽出できなかった。
[ 追記: meisekiyumeminogihouに,“ 泥の影 ”および“ 意識の暗い海の旅 ”などの抽出がある。2023-08- ]
Q: ヨハネの福音書だったか,網に魚をすくったら何匹かかっていたと数で書かれていた。
A: 昨日,なんでか日の出と日の入り時刻に視て昼間-夜間との時間を分けてみたら,初めて“昼間は夜間と比べて59分も長い!?”と不思議だった[ +Q: 夜は13時間くらいあった方がいいと思うよ( 但し,翌日計算してみたら,“約20分?” )]..なんなのか想い着かなかったんだ。そのときイメージとしては,地球の軸-回転と太陽光線との照射角度どのくらいであって(毎日どのように変わっているか?)地上からの見かけでは関係できないというのが私の機だった。
Q: “月の大きさ錯視”の話じゃないね。“ビール瓶の蓋をこうやってみたら..”というお話を聞いたことが遇ったよ。
A: ..それで,また久しぶりにヨハネ書に目を通してみようとページをめくった。あの“石打ちの女”一節は通例その書からは省かれていたと注記されてあった。
Q: ストーニングの側に,“また屈んで指で書いた,” -ペテロには,“あなたは鶏が鳴くまでに三度私を知らないと言う”
A: ..ある性格の必然性,ある天然のような“症状”を表した言い方だと思うと,面白かった。
Q: 実相だとも言える。
A: 私は“ あの少年ら-歩きの悪い言い方 ”といった様相は私-自身に過去印象との一瞬おくれたタイミングの反応を押しつけた状態かと思った。たとえ私が虐待の世界を克服して“ 礼儀深いひとびと ”という自己イメージを更新できたとしても,それが投影されたニセモノという表面,それともそれ自体には違いない.,それは不誠実という以外に無かっただろう。
ミンデル氏のあの本には“時間的な前後の位相”といった図での説明こころみが遇ったが,私は今度このことについては読むまでも無いと思った。

2023-03-29: 自乗?
(“クッキー”と呼ばれた-)ある小さな固まりから精製されたというよりは,それの黒っぽい部分,削られて丸まった粕のようなものが取れた( わたしがその意味を問おうとした度に,そのイメージだけを繰り返した。“ゴキブリ”または毒物という連想. )
競技グラウンドのような場所で戦闘が行われていた。わたしはひとりの男を手にかけた。もうひとりの倒れたような暗い顔。わたしは情けをかけたかのように“おまえをころさない”と言った。彼は聞き返した。
その男があの“黒いもの”を食べようとしたのをわたしは口頭で止めさせようとした。わたしは“それ黒いもの”の出元を質そうとして意識を向けた。
横書きの表札みたいなもの,下に“ 蓮夢 ”その上に2段“ 遠夢 ”(漢字の)苗字がみえた。
[ 一時期わたしは即席ラーメンの麺を“クッキー”と呼んでいた。前日,鶏の胸皮を電子レンジで脂ぬきしてみたが,その肉の保存用に付着していた塩っぽい味つけの所為か( 先ず洗い落とさなければいけなかった )皮自体に黒っぽい焦げ部分になった。私はAGEsに関して読んだりしたことがあったが,生物にとって長年危険なものなのだとしたら,なぜ適度な油揚げ物などを旨いと感じる味覚的な-が遺伝的に自然淘汰されないで保たれていたのだろうか?不思議だった( あるいは,性行為のような-快楽の有る無し-要因に過ぎない,といったべきか?と. -私にはそれらは心理的に及んだものかといえど,殊更な“信心とストレス”の要素ではなかった。)
無論,古代人には未だ“油揚げ調理”は無かったのだろう。]
私は先ず夢の方から“夢だ”と記したりは無かった。ある状態自体に-“夢”だという-自乗的こころみ成功しつつあるようだ。
“夢だ”と気づくための仕組み-原理は( 直接-意とよりも,今少し )複合的だろう。]

“戦闘”などの夢は私の意図しないものだったが,先月終わり頃からの日記に書いたような,ある再帰,“ジャンヌダルクの戦い”といったイメージとの関連だろうか。/ 投射現実(魅惑の正体):2023-02-

2023-03-28:
今月先週までに“予告”した日付については,むしろ起こらなかったかのようだ( 動静の問題と言いつつ,却ってしずかだったとも言える。)本当に外的状況の無かっただったのだろう。
( 東京と静岡の南に何かが無い。)

2023-03-30:
自転車での‘いきかえり’私は右足の畏縮させていたと再び気づいた。“感受性”といったような? 本当に右足自体として(ただ引っ込めないでいるのを)怖れていたのだろうか? 存在-メンタル的な“気にする”振りは逆接的な関係性だったとしても無意味だ。

逆接的指摘?
寝起きに( あたかも偶然, )意味を転換する(再転換する)と言った。-不意に,“第三の男”のあの音楽。連想としては,以前わたしが不可解だと述べたオーソンウェルズの“微笑み”画面であった。私は未見だが“ドクターストレンジ”予告編に聴いたあのベートーヴェンの一節も( 私のおはなしでは,ヒーロー役?はラストではホームレスだった,という。)

以前“うちの父”心像 - わたしの偶然だったといったように,こちらの背中に子どもかなにか触れたのかとみた。

手洗いに向かったが(その戸口手前,棚に)見慣れない四角い洋酒瓶のような物に黄褐色の液体?
[(あとで,上段までの例に,連想として昔オーソンの洋酒コマーシャル出演していたイメージが伴ったのが原因かもしれない,私は思ったが..)それだったとしても,“瓶”自体は透明で蓋以外ラベルもなにも無かった。]

2023-03-31:
“おけらま”2001年日記の内容すべてを私のストーリーに書き直し(私自身の更訂のために,99年以後-深遠な夢見活動の続きとして)再アップする,というアイディア。
すべては清潔であった。(自己-他者を対照した作為には)求めも触れもしない。(環境-疑問といった)難解も無く,(目的と称した)旅行も居ない。こうして不要な過去のイメージを無為とし,私自身であったと証明することは,未来から私の現在をトータルに映じる。

2023-04-01:
私のおはなしでは,(今Uの戦場になっている辺りに)“ジープが沢山いる”と言ったひとが遇ったという。連合側の象徴だろう。ところで,そのジープは途中で撤収するという(向こうの勢力6割いなくなるからだと。)歴史観的には料理番P氏がレーム隊長のように始末されるのではないかという見方もあった。しかし,“彼は飛行機場にいる。”
[ “飛行機場”というワードは昔わたしが幼児の頃に言っていた(“空港”という語は無かったのだろう。)
小学生の頃にわたしが書いた,ある四角い建物上部の爆発した絵には“原子力工場が爆発する!”と記してあったが(90年代に久しぶりに開いてみて驚いたが,憶い出せなかった. このことは私の以前日記に3回程書いたものの,どうしても自己-他の問題にもならない。) ]

当たらなかった半-予言?:2023-04-15/無題