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幻の出入口への導入

2017-11-30: 肩・肘の位置に拠る。

2017-12-01:
明晰夢-実験ページ( 夢の‘ 原素 ’みる )この先生の。夜中このように‘ おとなえ ’してみる。
あの路上ひとたちの“ 笑い ”?がどういう意味とはわからなかったが、私自身の内部対立が酷くなったのは,そんなことばかりで‘ 夢見の実践 ’への支持・支援が少しも見えるような外形に成っていなかったのも要因だと思った( しかし、私は‘路上での問題’と言ったのではなく、このサイトに於ける私自身との広範性との同一が遇った。私は未だ全国的にこれを“普及できる”と思われていたのである。)私は私の資料集として整理するのが先決と考える。

昔“ unknown ”というタイトルで空想からのミニ小説集という形にしようとした私には、そのワードとしての効能が無かった。同級生たちが“ウンコ”と掛けて言ったのを私は考えなかった。私は誰にも本を見せなかったのだろう。
“ アンノウン ”と言うときのワードには( あたかも1993年夢に“ ROWLING ”いう墓碑イメージみたということが私にはその7年後にも意味不明であったように,あとでウェルデマートの墓が開く映画場面に私はたぶん‘ それはウソだ、あれこそJKの誕生という意味合いだったのに ’と言うべきだった. )墓標というよりは機能である。

2017-12-08:
私は図書館でインターネット端末待ち時間に“ NEWTON ”誌面に電磁気に関する説明“ 白金の原子には電子等78個 ”と書かれてあるのと読んだりした。“ 電子のスピン ”? 物体自体も非常に高速回転すれば( 真空-無重力中では )他の物を引き寄せるかもしれない。そのとき“ 大きな薄青い半透明-漏斗 ”のような形の中にゆっくりと水平回転している羅針盤の盤面みたいなものがみえた。それは一瞬あの前回夢での“ 回転独楽( ‘ コブのトーテム ’とみなされる場合 )”からの拡大-充当版とも想われた。
私の夢イメージとしての“ 青い光 ”自体は元々回転してはいなかったし、( 私はあとで映画“ 十戒 ”山での場面に再びみて‘ ああ、あの光という表れみたいだ。’ )回転といってもその“ 内部-光 ”の動きはごくゆっくりだった。しかしこれは先月‘ 能動-光ながら振れ拡散したような様相 ’からは再び集束しつつあった。私自身は‘ 時間を遅らせた ’とは謂わなかった。

2017-12-03:
時間帯から夕方~夜に移行してみようとした。幾つかの夢などに面白いイメージは遇った。そのひとつに、若い女性たちが歩いていて各々その片手に( 一様にその肘-高さに掌が下向きに差し出されていて、その下,宙-空に、あの‘ 青い光 ’と想われるが、)菱形というよりは円盤型のような均一の形。( しかし放射状の光ではなく、その青い輪郭の中に白っぽい点線か破線の連続状とみえた )。記憶連繋的に辿れば、その‘ 光 ’は私がこのまえ“ 映画‘ インセプション ’のトーテム ”に関して再び述べたことだ( 同時に、状況的には、それが受け継がれるであろうが、私自身の統一感を離れている。フロイトの“トーテム”説にも読みかけてみたが,時空の一致感からみればぴんと来なかった。 )

[ のちに、私はあの映画の“トーテム”を私自身の文脈に解し直して、‘そのイメージングとともに( それを保ちながら )夢に移行するための’ツールだと述べた,-2018-11-23,2019-03-11;]
:22,11-2017( イメージ自動; “聖人とメダイ” )

私はまたもや“ こちらが夢 ”だと言うことに失した。
‘ あちら ’ではなく‘ こちら ’に、今これは夢だと言うための法則が必要である。
夜、何時かも判らないまま私は寝床にいたがメンタルから分裂させられたかのように騒がしく最悪だった( 今更‘ 不戦平和 ’という言い方さえ必要であった )。私はまた‘ 夢見の実践と御検索いただきたい ’と繰り返してなんとか納めた( 私は‘ 収斂 ’と言ってしまう癖があるのだが、正確には‘ 集束 ’か。しかし私の両足はまだ措かされてはいない,これから‘ 夢 ’に基点としてみる )。

2017-12-04:
私の呼吸,体中央まっすぐの筒のようなものがある( これにて通す )。

夢に私は居らず、たとえにマイルズの演奏と言えばキャノンボールと言わない“ 秋葉たち ”のようだった。

2017-12-05:

私が六面体パズルに一所懸命に試していた頃、どうしても残り2ピース入れ換えに何日間か難儀だったが、不図( テレビに所ジョージさんのガレージ雑貨紹介なんか眺めつつ )いつのまにか‘ 揃った ’とように、脳には独自になにか計算したり一見精巧な‘ 仮想現実 ’のような合成イメージや他人称的キャラクター迄もつくれるような領域がある。
( 以前の日記‘ 幻像と記憶 ’には、私には珍しい例として、通常の睡眠時間帯-夢からではなくもっと直接的にT中央図書館-東側にもう1つの古臭い出入口が在るという光景としての印象がいつのまにか遇ったと述べた〔 下段・参照用リンク 〕。私は実際そのものがその場所にあると思い込んだので、その扉とその反対側出入口とはまっすぐに通り抜けできるような従業員用通路だろうかと想っていたが、次回そこに視に行ったら植え込み等の間に鎖で禁止されているその地下へのステップのような形があるだけだった。その堀のように隔てられている向こう建物側ガラス越しに1Fフロア内部半分にお客たちのいるのが見通せるというだけで、そこには渡し連絡通路などは存在しない。当時私にはその造り自体が一方的に変だという見方もあったが。)私は解明できるかもと思う。もしその‘ 光景 ’が実際どこかに在ったのだとすれば、幼児期からの断片記憶だろう( 今おはなしでは‘ 昭和53年にはもうそのドアは閉じられてしまった ’と言った )。
私にとってはそれ印象が‘ 私 ’とは関係無いという点では、あたかもホイットリーストリーバー氏の“ コミュニオン ”みたいな遭遇感覚だと思われた{ その彼-著者にて“ 兵隊 ”だの“ 帝国幻想 ”だのいう言い方が“ 訪問者たち ”という形での表れになっていたのだと認めなければならなかった }。

‘ 通路 ’と言えば、私は一昨年“ 世田谷一家事件 ”に関してファイル化しようとする以前に、あるテレビ番組画面に“ 宮澤さん宅 ”外観からの立体的な線画に拠るその内部等が表示されたのだが、私はそのときの視覚的印象で‘ 玄関ドアからの通路がその最奥-壁へと真っ直ぐに続いており、その行き止まり右側に半地下( みきおさんの書斎 )への階段がある ’のだとみた。これが既成記憶となったので、私はあとで別の簡略図に視て‘ あれ? ’ 〔 その2階部分との混同だったという見方もできるが 〕。
既成概念というか、メディアからの言い方自体に前納してしまうのも障害問題と言えるわけで( たとえば書斎・階段向こうの“ 納戸 ”に関して情報は無く、その造りに想像する向きも当然あった。しかし、私はこれまで一度も思わなかったように )、不意に‘ 階段下( 裏 )にスペースがあったとしたら ’と想われたのが先週だった。これは連想に向かうというよりも造り込みだ。
まぼろしの出入口( 幻像と記憶 ):19,03-2017

午前中に私の中央-正常化した。
私は‘ 夢見の実践 ’であり、一見すると他からの好き嫌いやお友だち問題といったような居屋辛子にも一切関与しない。わたしが正しいセンターとして‘ 夢見の実践 ’であると通信できるだけで佳し。こういう処、土筆つくし一本の途中に節分かれしたような( その内からの微かな発光 )という、昔‘ 夢 ’に表れたものに似たイメージが遇った。あのときのイメージでは私が‘ 洞穴 ’の暗い空中その底まで降りていくと植物の生えたような形に何本かの半透明-鉱物みたいなものがそれぞれ幾つかの節に分けられた中に微弱に発光していた。私が私自身に細分化おしていた。

手足の冷えからを無くす,中央-熱。

2017-12-06:
受けを忘れ。常時‘ 今にも“ やろう ”とする両足 ’意とする( “相手と”しない, )これと高める。

2017-12-07:
・両眼まわりをリラックスする。
・寝るといってもカセットテープ回しつづけるとに‘ 私の意と ’止まない。

私は‘ 小さい方 ’を立てないで私自身が全体と張れるような方法が良いと思った。

図書館での待ち時間に偶々“ NEWTON ”に超高層タワー特集みていたら、もう1000m高さビルディングが来年完成予定だとか。その予定図にはあの映画の“ グラスタワー ”という連想、私はしかしそんなに高さばかりのものはじきに倒れるんじゃないかと思った( 身体-象徴? )。

今夕、行き帰りにまたどうしてか例の鳴き声のようなショッカー男子や、女子2人の“ 笑い ”が数度あった( 以前のそれらと比べると次第に集団くささから独りごとに近づいてはいたが )もう一ヵ月程も聞かれなかった。私は純粋に‘ 私の研究家 ’でいたい。私-個人であることに譲り渡しはしない。私は試しに‘ 全員で断る ’といってみた。すると、一定の一致したような覚えに戻った。
“ 夢見の実践と御検索いただきたい!──もっと大きい声で!もっと!大きい声で! ”私が繰り返し言い続けたところ、不意に( ちょっと驚いたように,ここに )あの路傍自転車少年たちのそれのような“ ウー! ”という答えがあった。
〔 ‘ 全員が砂漠あるいてでも“ 夢見の実践 ”に辿り撞けたらいい。’ 〕

“ 反戦 ”よりも“ 不戦 ”,“ 不戦 ”よりも“ 無-戦 ”が良いというのと同じで( 更に )、私自身のキャラクター性というようなものは不必要だ〔 撞着は解消されなければ 〕。

順序と言えば、私は10年前に一度メモ用紙に子どもの後ろ姿みたいにもみえる頭頂だけ少し髪の生えた小太りの男子を線画に書いた。当時私はそれには不思議だった。
以前私の別の日記に述べたように、80年代初期までに‘ 原子力工場が爆発する! ’という台詞付きのマンガ絵もあった( それにはわたしがどういう状態で描いたという記憶は無い )。四角い建物に円錐形の塔みたいなものが立っていて、その建物上部か前面に近い部分に爆発炎が上がったような場面。実際のチェルノビル事件では煙突のような構造物は円錐形ではなかった。私はその点には単に( 12才くらいまでの )子どもの近未来的なイメージだったのだろうと思っていたが、最近それにもあるいは別のなにかが二重に表れていたのかもしれないとも思われた。

( 発電所と言えば、たとえば1億4千万個のルームランナーが据えられている。誰もが動かしたらだけ電力交換されるのだが、皆で一斉にやったとしても電圧は一台分より高くはならない。)

予知-? 2020-03-02,

直近の予知イメージ例-?:2023-08-10,

2017-12-09:
・私自身に繋ぐ。