窓を開ければ(仮)

2023-02-10:
“追憶”すべてイメージである。

2023-02-12:
ある夢(私はその状況に流されないで夢の人物に対して普段の私のように説得しかけた)そのあとに,珍しく動物虐待イメージが遇った。棄てられた動物を庇う側だったが私は“世の中の残虐さ”に認め難かった。私は常に“集団げらげら”によって覆される-だった( 夢見の目的自体は,それの原理には無く, )そのなんなのかを勘案しようとした。先日R国のPはU国やナトを“ナチ-”だと標榜した。しかし,一方にそれとして対峙したわけだ(そこには軸は無い。)
[ 私は英会話スクールの宣伝リーフレット配りをしていた頃に,そのスクールのスタッフからそれらを遺棄したかのように言われたことが遇った。私はそれは不可能だと書いたが,20分で900枚を配れると言ったかのような滅茶苦茶な難癖をつける講師もいた。今の私ならあの時のレセプションルームで“ あなた方はスクールを辞めたいのですか ”と質問しただろう( 私の代金20万円こそ彼らの為に棄てられたも同然だ。 )私はアルバイト自体だったのであり,お金のために嘘をつくとしたら生命を犠牲にしたということだ( 私は未だ自害してはいないが,これからも元スタッフたちの個人名をひとつずつ挙げて彼らのハラスメント行為に対して正しく告発し続けようという要請は再び高まっている。しかし今回は警察沙汰ではなく,代理で裁判できる人たちがあったらソーシャルの対応を,という意見もある。あたかも,韓国の被害者たちが代表して完全な日本人犯罪だと追及し続けなければいけないように.. ) ]
明晰夢見の実践と理論”は今後の30年もこのような圧力に看過しないで,私自身のために研究ファイルしていく。

2023-02-13:
今朝の室内温度は15度Cを越えていて,私は上半身Tシャツ2枚で自転車した。月曜日なので久しぶりにオオツ通り側からサカエ-ニシキとの間を孤独に走りぬけようとしたが,自転車自体との不安要素,昔のマーヴェリックスピード(マッハの壁)には足らなかった。右脚の付け根は開いていたのに(内側に戻り気味になって,)漸くまたも無く両足一致的に動ける。却って男性自体との股根は無意味であろう。

2023-02-14:
[ 人工照明の無い屋内通路のような所だった。歩きだして下半身だけ裸であるのとわたしは気付いた。あとで連想的に変わったイメージかもしれないが,その通路にはレストランのテーブル等のような装いがされていた. ]振り向きみた処,若い従業員か,少女のような外見の者ひとりいた。わたしは体に覆う物も無いのでちょっと慌てたが,彼女は平然としたような顔で(“アルコール”を必要としているのかどうかを)尋ねた。わたしは“酔っぱらっているのか?”というその意味だと思った。しかし,彼女の,こちらに視えていないかのような様子に,不図“わたし自身に責めた,こちらの思い込みなんだ”と判った。

2023-02-16: 算数はできない.(真相-)
朝,テレビ番組にマツダリナいう女性が一寸出演して頸部でフラフープを回しながら歌うというのをやっていた。そのとき(こちらの)おはなしには,
“(私には)数字があったのだろう.,不得手の問題(計算不得意,その理由付けが逆-?)”
その直前,私は例の自動書記に関連した記述に読んでいた。私の‘ 左手側に質問してみる ’とその指先が素早くタップした。それは一見無意味な動きだったが,私が言葉で繰り返すうちに急に人差し指と親指とを伸ばして“バンバン”の振りをした。私が思うに,それは“私のモデルガンで射的するのは右手だった(その焦点は右手側にあったので,一度も左手では構えなかった)”という意味だと汲んだ。

能動的に,感覚と感覚記憶(イメージ利用)とを分離する。

2023-03-07:
カルロスカスタネダ著“ 無限のその活動的側 ”に於いて,彼の学生時代や生い立ちの体験として語られた“人物像”は,彼の“師匠ドンファン”からの指示だとして彼の記憶に基づくアルバム作業として為された( 私のおはなしでは,ちょうどあの年に去って“94歳で西イギリスにいる.” )私はそれ以前の文脈に遡って“ 鋳型を無くす ”という言い方になったに違いないと思う。どの時点のものであろうと,それらはイマージュに過ぎなかっただから,そのアルバムの表紙には当然ひとつ名前だけで,塑像されたそれらは溶かされなければいけない。謂わば,記憶のそれらはすべて偽モノであり,どんなに尤もらしく語られたとしても,似非(えせ,)フェイクに過ぎない。
例のカスタネダ著では,この点は言外であった。