これは夢だ

2022-05-26:
私のあらゆる動きに(同一しないで)条件点ける
これは夢ですか?という質問を(外来に,コンピューター的に)設定してみる。

2022-05-22:
私は“言語化”をやめて,言外に視てみる。しかし,すべてに同一しない(;どんな“気分”や“起こり”にも)この明晰点以外には。

自身の動機として不明なことを最初に“じぶん(わたし)?”といってはいけない。[ 時系の異なる,“このひと”の問題としての表れ. ]
私が自身のダブルイメージを意志的に固める。

2022-05-28:[夢]モニターに映ったもの:
寝床のあいだに,普段眠り込んで私の意識を保てないようなレヴェルでも‘私’であるかのように視ていた。が,その最後の夢では一度も夢の文脈自体に“これは-”とは言わなかった。
..ある施設内だった。小さなフロアその隅,その室内に向いた座席とデスクトップのような(なにかセキュリティー用のものみたいな)モニター一台が遇った。その画面に,やや暗い画像,男の頭部のような影が動いた。その頭頂だけ頭髪の残されたかのような髪型〔 実際にはそれは2017年秋頃私の髪型のひとつだったが,“画面”のそれはもっと長い髪だった. 〕その画面に向いた自身の姿だとわかった。その端末にアクセスするためには,ある質問に答えなければならないようで〔 その画面にはシルエット以外なにも映されてはいなかったし,音声として聞こえたのでもなかったが, 〕..“ (以前に使われた)赤いものについて答えよ ”と言った。
なんのことか,私は思い出せなかった。夢の場面はそこで終わった。
〔 夢場面でのモニター画面に“映るもの”を探索-手掛かりにしようという関係性は,私の目標のひとつだった。以前何度か能動的想像のようにして“情報用画面”設定してみようとしたが(なんでか,)できなかった。
それから寝床に覚めて“赤いもの”と呟いてみた。..“あの世田谷事件のこと”だという直観的ななにか(私は以前あの事件名に関して“おはなし聞き取り”を試みていた。)物証のひとつとされていた“染料”のもの? おはなしではそれは“赤い”のではなく“青い”のだと言っていた( “標識に使われたりするトナー”という言い回しは自己情報メタファーかもしれない。 )お寺の名なども遇ったが,わからない。
-“聞き取り”については(論外)2022-05-17,

2022-05-27: (改題)明晰夢見の実践 - 理論的に視る14

A. これは夢だを再定義してみたい。
Q. ‘これ’と言っている。
A. これはあれのとは言わなかった。
Q. あれ?
A. この-言ったが,このの場合,夢は特定されていない。
Q. 今この夢だと言っているのなら,これの-だと言ったら?
A. これの..これの視る夢という,包含的な視点としてか?
Q. これがみるといえば,‘私の視点’とはいえない。例えば,これの指差している指が“明晰夢”からの問題だったら..
A. 指差しているこの指が,“この明晰夢”である?
Q. この指かもしれない。..なぜ‘私の夢見’いわなかったのか?
A. 私の夢だ。明晰夢見の実践。
Q. だが,夢は見ようとしている?
A. 私の指先でペンを振り回そうとしたら,ペンは動かなかった。
Q. しかし,これがペンの夢だとしたら..
A. ペンは回ったかもしれない。但し,ペン自体の動きだすという根拠の有無に依るだろう。
Q. ペンの夢が‘私’を見る?
A. ペンは“そこ”に遇っても手に持たれるの前提にある。
Q. そこに“置かれている。” その辺に“落ちている。”
A. “ペンはまだそこに落ちている。” [ ..私の旅行途中,ある2人が会話中だった。そのひとりの足下にペンが“落ちていた。”私はその会話の合間にみてそれを指差して“あれはあなたのペンではないですか?”と英語のように言ってみた。彼は“サンキュー”と言ってそれを拾った。 ] ..通常のミタニミーだ。
Q. “あのペン浮いていますか?”とは言わなかったから..
A. “浮いている”かもしれない。 [ ..私は浜辺にいた。ある夫婦のような2人は歩いていた。その紳士は婦人に話しかけながらその足下に気をつけさせようとしたかのように,“割れたグラス”と言った。 ]
Q. 記憶的な保持の条件だという指摘には同意するけど.. どうやって“浮上”させるのか?
A. ..この指は指している。
Q. その指は何も見てはいない。
A. もし訊ねても無駄かどうかを言いたいのだったら。しかし-“あの塔は浮いている”なにか-“その指”(と言い換えても)-同じ。
Q. 浮いているかどうか,“この指”の指し示しているに拠って,なにも証明できない。
A. それは通常の物象といった。普通にそれらが主体物である限り,完全な‘夢見’の可能性は無い。
Q. あの観念物としての主体性といったのだろうか?
A. 物の面に視るとき,(言葉ではなく,実相としてみれば)あたかも,それらがキャッチするのであって,‘私が視ている’とは言っていない。
Q. 意識的なセンシングではないから。
A. センシングは自動的な照合だ。我々は“本を読む”とは言うが,“本が読んだ”とは言わないだけだ。
Q. [ “そのラーメンが食べる”ときに? ]
A. [ “そのラーメンが食っている..” ]またもや“テレビ映りを気にした視聴者”のように..
Q. その絵が食っているかね。同時に‘これは夢だ’とは言わなかっただろうか。
A. きっとこれは夢か?の方がいい。(以前述べてみたように,)今この現場に‘これは夢だ’といったとしても,今この現場であって,不特定な夢の状況ではない。単に認めただけでは質問にならない。
Q. では,あらゆる夢の最中に‘私’として目覚めるための方法でなければならない。
A. あらゆる夢自体にとっての“私(視点)”が必然的だというような,(逆説的な)設定は可能だろうか?
Q. ‘あらゆる夢にとっての視点’は予め設定されなければならないのでは?
A. 睡眠中の夢がなんらかの論理性またはそれらとの綴り代わりに過ぎないのなら,それら自体は“夢”を視れない。
Q. では,なんらかの論理性(の可能性)そのものをすべて書き換えてしまえばいい。
A. 想像のことだろうか..
Q. ある夢の論理に通じようという業なら,今晩あのテレビ番組を見逃さないように視聴しよう!といったのと違わない。
A. ある論理性の問題自身としてではなく,これの意識的明晰さの利点として捉え直してみようといったのでは。
Q. だが,いつもにまた論理性の問題自身が先んじて,これの明晰さはそれの次だから,それの動機に追うだけのパッチのような対処なら,なんの利が?
A. しかし,夢が先んじるのだから,さあ大きく両手をひろげてでなければ,それらに対してこちらに自覚の起こり得るのは単に必然であって,これについて更に明晰度,透明度の見方が重要かどうか?
Q. 手か。手は滑るかもしれないが,“身体”成長は保健のための質問だといえば,夢見の目的は心理的だ。身体自体が論理を誘発できるだろうか(もしくは“予知”-これからのフォームとして?) 逆に,身体的メタファーは感覚または記憶かもしれない。身体の活性化に因って神経の連繋もアップし,憶い出され易くなる。だが,これから夢自体が明白であるかどうかの問題は無い。

A. ふうむ。“これ”の言い方について,先ず,検討し直してみよう。“これ”の現在点は限定的だ。
Q. ..例えば“これください”とは言った。現に対象的である-(感覚自体ではなくても)ものに際していう“これ”だとすれば。
A. 便宜的な慣習,二次的な言語の問題かも。
Q. “手前のもの”には対称的に区別しなければならない。
A. ぜんぶ外界だから?
Q. 無論,反転している。
A. 論理的に“指差した”筈が,実は夢によってあやつられている..
Q. 自任できたなら“思念投射”といったかも。
A. だがターゲット自身ならいい,“これ”の存在しない瞬間よりは。
Q. ..ターゲット指定だと?
A. そうでなければ,“これ”自体“これ”だという?
Q. 散らかすでなく‘意図’としていえるのなら。
A. 意図は記憶喚起だ。記憶が記憶自体に拠って憶い出せるか?
Q. からだ書き換えればいいと言っている。
A. むしろ“これ”の無い状態からいうべきか?
Q. “これ”も“それら”も無ければ。
A. でも“ラーメン”には“ラーメン”というかも。
Q. “これはコーヒーである”とは..
A. 指差していうのと同じだ。夢だよ。
Q. “これ”は記憶連繋である?
A. ちゃんと前向いて運転しろよ。物理的には常に未来に因っている。だから記憶は別の到来に綴り換わる,目前のものに対処しようとするから。だが,心理的な依拠では元々の記憶自体を眼前に向かって見るために,“あれ-漠然とした心象”と述べたりする。
Q. “漠然とした不安”..
A. 本当に“不安”だとしたら,原因に憶い出せないからだ。“見えない問題”は必ず繰り返される。
Q. あれはそれだ!
A. あたかも“水中花”といったのように..

(つづく)

理論的に視る 15