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これは夢である自体

2023-06-12: 意識と観念
私が観念できなかったらそれは存在しなかった( 私の観念させられなければそれは無い. )私は観念的であるとはどういったことなのか-考え無かった。
ここでは“ これは夢である ”という意識が常に存在しうるのかを問うのと同義だね。
..たとえば“濃度が薄い,気温が暑い”と言ったりするひとの場合みたいな。
いや,“度数の大小”ではないよ。“最大の通念”と言ってみたり..
“高い-高い-”も高いの内か。私はいっぺんも“高”の字を書いた覚えが無かった。
そう言えば“温度が少ない”とは一度も言わなかった。
“ これは夢です ”! ひどいな。
ソラリスのあの女みたい。
それ自体に可変してみようとは思わなかったんだよね,彼は消そうとしただけで。彼を消したかったのかもしれないが。
たぶんちがった名前で出ています。
もし-投影的に見た“特徴”について-分析してみたなら,難しくはない。“インセプション”の夢場面でのあの彼女とは記憶イメージに因る自己投影だった。謂ったが自動的なあれなので,それ以上のものは有り得ない-と。
夢は無いんだ,あきらめなさい?
私は未だ“U戦争”を信じてはいないよ。P氏がいつも相手を指して言っているかのような言葉だったのは,不思議だが。
先週初めてZ氏と両者の口から“反転攻勢”が認知されたわけだが,テレビ放映された両者の顔どちらも,少し以前の顔に戻ったかのように,かえって何も無さそうだった。
-それこそ投影かもしれない-と。

..私は一昨日以来まったく散漫状態だった。“ああ,なんだ.. 集中できないのは肌が冷えていたからだ” - 夢のだれかに“明晰夢”と口先のように言っただけで,なにもしていない。仕方も無く,その前時点に記してあった; 私は私自身ひとつきりの態度を執ることは可能だの処まで戻ってみる。
だれか!”と,‘私の意としよう’とは,無関係だ。それも本当の誰か?だったなら何か言ったりしたかもしれないが,外的対処しないと決断したのだから( 記憶された条件反射的なパターンに従っているばかり, )更新できていない。しかし,そのまえに役割の役割といったのでは?
役割自体は観念的になれない。常に観念的であるためには,二重の,擬似的な要素でなければならない。
-“これは夢です”というがために,先ず前提を立てなければいけない?
前提は役に立たない。私が今どうしたといった問題は,夢の本質といえるか。
私がどう思ったかは重要ではない?
そのコンテクストに依ると言ったのなら。

2023-06-14: 先にある的
常に直後に(視る-的)条件つける。
-‘目的’最初に述べるやり方は間違いだ( 目的は目的自体でなければならない。)

“右腕(-右半身の)通じにくさ”に,更にリラックスさせてみた。“感じにくさ”は力みとの関係だったのだろうか。

2023-06-15:
意と力(合成力)をつかう。
(直前のものと)純粋な意とと-合成した“夢”
外部環境ではなく,内的要請だけ。
-“煩悶”はしんだ。

[ 路上子どもの叫び声に遇ったからか,昔,ある歌に“ あなたは僕を しあわせにしてるよ ”といった歌詞が遇ったのが憶い出された。
自己反転されていた時期には(ある意味,内部への言い様としてみたら)うまいお返しだったともいえる。そのように,歌とは常にメンタル的な(ある時わたしには,今朝あのお酒をためそうか-みたいな)用法ではあったけれども。“ 誰もあなたの代わりになれはしないから ” ]

2023-06-15:
いろいろな雑念-饗鳴には無く(+条件つけ,)私ひとつきり通す。

2023-06-16: 屋内機関車
通路状の(翳ったような)白い壁囲い,その構内に色褪せた蒸気機関車のようなものが動いていた[ 古びた白っぽい通路に,それは色褪せたような,無音に動いたような平板な形だけであった。車輪などの動作的なイメージは無かった。]- 客車内には半袖白シャツ制服姿の男子たちが(おとなしく)座っていた。それ車内にみた反対側,こちら背後の壁面に,(その壁面に半ば浮き出したかのような)なにか半分人型でその表面に褐色の丸い盛り上がりなどの胴体-両腕の開き上がった形。〔 本能的だったのか,こちらからその“体”に両手で取り掛かりその球状などの“頭部”に上がりかけた. 〕その瞬間- 別の光景かのように,あたかも間近に平面の向かい合った(薄青みがかった,やや反射した面,細かな不規則な線と円などに分けられた,半ば結晶か模様みたような-)‘夢’だと思った。

[ 象徴夢,おそらくp-の生殖機能 - 古い代からの継承といった,その象徴的な“蒸気機関車”の表れだろう。私はその機械自体に同一したりすることは無かった。
何年かまえの場面では,やって来た機関車の胴体部分だけが(昔の夢で一度みた)“あかるい金属表面”のようだった。このような表現は一種のヒストリーだったとも言えるだろう。
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たとえば私は一時期“ 味わう ”ことには“ 夢だ ”条件点いたりしたが( フォークかスプーンかの違いはあったかもしれない )今度のような無味乾燥のものには反応しなかったのだろう。]

“蒸気機関車”に関して :2018-03-22,
この繋ぎ直してみた“ あかるい金属色の機関車 ”関連に読んでみたら,その夢の遇った日に,“図書館へと行きかけたが-途中で第三金曜だと想い直した”と書かれて遇った。これも奇妙な偶然である。私は上記の夢をメモしたあとで図書館へと出かけようとしたが,やはりも第三金曜日であった( 以前のとは別の館だったが,私はその手前まで行って閉じているのをみた瞬間まで気付かなかった( なんでか“予告”できなかった!))..しかし,あとで思ったには,私はいつも右手に腕時計を付けて出るのだが,この時には珍しく短パンツの左ポケットに入れたまま(面倒臭かったかのように)私の腕に付けなかった。
予知-? :2020-03-02

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幾つもの人工的なタワーみたいな.. それらどれも上部に展望台のようなキャップ型の(金属面に反射したような)張り出し部分..( 夢記録:2017-04-30 )

2023-06-16:
最大モーメントに一致する( ジャストモーメントとの条件点ける。)

2023-06-17:
“夢だ”と気付かないのはそれらは無意味だからだ,という逆説の見方。