予め表れている夢

2021-10-15: 観念物を去る(取り憑かない。)
常に一瞬先へと憶い出す(予後的に意とする。)

2021-10-16:
普通に忘れている(意識に昇らない)“ ぼんやり ”状況に,予め‘ 夢だ ’を憶い出す-条件を作るための方法が,あるだろうか?
“ ぼんやり ”について(予め)意と的に条件を点ける。

2021-10-21:
‘ 憶いだした ’自体に条件点けてみる。
・ ‘ 憶いだした ’とき,視野自体に“ 夢 ”条件点けてみる。
( -“ 想像 ”は以上に反する。視点の設定により,“ 想像 ”が視点に流入するか転化してしまった.,自動的な‘ 憶いだした ’との作用-視点は阻害された。 )
- “ 眠らせる ”要因( 世間の重要性など. )

[ 注意,私の方針
“ イギリス人が再度の感染拡散にもまったく対策規制していない ”という今日のTVニュース( オープンスペースで大勢がマスク無しに食事しているレストランなどの光景が映されていた. )
うちの傍-町内でも午後子どもたちが再び騒ぎかけるという繰り返しの状況が遇ったが.,外出と言えば,私は以前ファイリングのために数週間に一度だけ外出するという時期があったし,あの図書館にも若い世代や親子連れの集中と考慮したので,8月初めから今週まで私は一度も近づかなかった。今週また路上に,なにか“ 声を上げる連れ子たち ”が増えているようで,例えばラーメン屋前などに並んでいる男子の無関係な“ からかい ”声掛けも再び遇った。私は知らないが( 私の“ 感染 ”対策については最近のブログに夢見-条件点け等として在る )これからも自殺者を出さないためにも個々の原因自身が公表されるべきである。
どんなときにも“ すべては夢である ”というのが私の基本である。 ]

2021-10-22: ここにいない私
真夜中,自転車での体力アッパーに出ようとしたとき,私は先に非難に苛まれていると思った。私は未だに本当の意味でのひとりきりではなかった( -以前,“ もう背中に剥がれなかった ”と言った。 )あたかも,ある時,ある場所だったように.,それとしての“ 私の ”と謂うのと同じことだった。取り合えず“ 観念物-対象物を作らない ”という救済の方法を示した。

死後の世界
これ以前のマイブログにひと通り読み直してみては夢記録や夢見に関する-以外の余分なぶらんち話題を逐次カットしていくという作業。単純だが,私の現在点からきれいに立て直すという意味で,夕方以降,人目も気にならない居心地よさだ。
帰り道,歩道上なんでか珍しく私の背後にわざとらしく数回手を打つような音を立てた女子連れ歩きが遇った( 私は自転車で偶々自動車進行方向の反対側に出た処だったのでその歩道上に行かざるを得なかった。 )その2人は自分らでなにか笑い声を上げていた。いかにも私からは心当たりが無かったのでいっぺん停まって理由を訊ねてみようかとも思ったが,その子たち自身の原因を聞いたとしても私の作業価値にはならない( これまでブログに記した映画の話題や他者名に投影したような問題なども私は切り落とすだけで今後一切持つ気が無い。 )一々声を上げるような子どもたちに何にも“ 私の現象 ”という呼び方は無かった( -私はここに述べたように常に“ 動物 ”との同一性をやめようとしていた。 )
しんとして,ようやく夜だけになった。
私はニセモノたちの世界には無い。また拍手-笑いが路上に再燃したとしても,私からはなにも希望しないし落胆もしない。この“ 明晰夢見の実践 ”という第一義が,今更“ それら自体 ”という態を持つわけではない。

[ 私がこうして書き示したのを後々参考にできる方があるかもしれない。例えば“ 自殺に追い込んだり陥れたりするような街-世間 ”としての自身に認めるような子ども性向は否定されても,なんらかの自己同一性に依って間違われていると思うとしたら,訴え出るよりも苦難がある。
私として“ 外向き ”である必要性は無かった。批判-非難自身も無く( 再び内的一点に転回できれば, )真の体験が得られ,自由の意味がわかる。 ]

2021-10-24:
( 夢見への意-注 )条件-要項;
- なにかを欲する(それのスピード.)欲しない( 虚ろ )

“「あっ、忘れてた」はなぜ起こる ”を読んでいて(;資料ファイル編に書きかけの私-読書記録,)不図“ 一々他人の顔を憶えているというのもマスターBのようないやらしいことだった ”という思いが浮かんだ。
そう言えば昔,ある英会話スクールの関係者に,路上で私を見えない者のように完全に無視して歩き去ったひと何名かいた( あの何年かあと,私が事件に訴える側として“ 嫌がらせ ”と言われたのだが.,私が今こう言えばこれも“ 私の(無視していた)嫌がらせ ”という訳だろうか? )後々“ このひと ”は存在しなかった。あの世から消えたのだという意味合いになる。
[ 仮に“ センシング ”について確認したければ,街頭などで敢えて内心に“ 良いひと ”と思ったり,敢えて“ かれら悪い子たち ”と対してみたりすると,投射の度合いによって即ひとびとの反応がグラフィックに変わるおそれはある。但し( こちらが予め別のだれかにセンシングされていたとすると, )それが意識下にも無関係に向こうや周辺を優しくしたり邪険にしたりという不可解の問題にもなりかねる。“ 身体不完全 ”という言い方があるなら気の毒である。アーノルドミンデルの“ ドリーミングボディ ”は時空を越えて影響するかどうか?という点には余り言及してはいなかったようだが.. [ 参考図書等; 夢見の実践f:資料ファイル編.. ]
無論,“ 陰険さ ”?( 純粋な無対立 )に優るようなあれは無いから,動物との同一化や魔術よりも人類の科学や道義が通れば良い。 ]
しかし,現在の私にとっての,今,ここで,私が,なにを-という自乗意識こそが,自覚的な夢見から正気に戻れるかといった質題の点。

2021-10-25:
[ + 寝る前に夢見-意とを高めていく( 自乗効果する。 )あたかも呼吸,吸う・吐くのように,睡眠-夢のラストまでに意とが作用する可能性。 ]

テレビニュースに沖縄での“ 海底火山活動に因る軽石等流出 ”と視て,そう言えば,おはなしに“ 沖縄の方に赤いものがみえる ”と言っていたのだったかな,と。たった今“ 2週間くらい ”だと言っていた( ドイツでもなにか観測されるのか,“ ドイツに赤い風船が飛んでいく ”という不思議なワードだった。 )