予兆と予測

2021-10-04:
先月初め頃までの私の条件点け項目等について,要約してみる。

追想( 記憶的の想像 )
( -私の睡眠状態での )夢が,それ自体の表れであったとみれば;
私の対面または追想という記憶的描写からは,隔たれている( これらは乖離している? )
:これらが同時に起こった場合(-自覚の伴った夢)が,どのように可能なのか?

記憶と意識
普通夢のあいだ( 私のこれ夢だという意識が手前に無いような )の状態が,通常生活に於ける“ 私 ”という意識的-視点の欠けた状態( ぼんやり,無意識的な )と同義か,それらのメタファーだという証拠は無い。

通常,想起の対象は一度記憶された-なにかへの観念物なので( “ これは夢だ ”と覚ったような場合の経験も含まれるが,それ自体が意識的に記憶-対象化されているかどうか? )
むしろ今,目の前にみえる“ 夢 ”という能動的-認識が先んじる必要がある。

“ 私 ”が普段の何に依拠しているか?をその場に逐一問う( これへの慣習化 )を強化し,逆に“ 私 ”ではなく対象物-観念物そのものが-やった時に,私が“ それは夢だ ”と知らなければならない。

2021-10-05:
自動的な慣習化された心身の動きに(先んじて)注視する
( 潜在レヴェル )動き自体へのプレグラム(予定)

2021-10-06:
自動的な心身の動き(“ 夢 ”)視る。

2021-10-08:
観念物を洗い出す( 同一化しないで見分ける。 )

+ 私の時間。

2021-10-10: 夢の視点?
暗い夜のような町内通りに(見慣れた家屋の)側面がみえた。こちらの近づくにつれてスムーズに“ 夢だ ”といったが〔,理由わからない.〕その側面に凹みのような部分が遇って( なにかカメラ用レンズの円筒形カヴァーのような物ひとつ )壁面の向きに置かれていた。
〔;この“ 夢 ”には視点の反転があったかのようだ。私は普段その側面がみえる角度で近づいたりはしなかったし,そのアングルに留意しなかった。象徴的に読めば,私自身が“ カメラ ”なので( “ 夢だ ”としったので, )私の視点先にはその本体が無いという意味ではあるが.. グレーのプラスティックか短い円筒の(一方の端がわずかに広い)その物品の,円の広い側がこちら向きに置かれたという点.,もしそこで“ 夢だ ”という意識が無いとしたら,わたしはそこにこちら向きのレンズか逆の視点をみたかもしれない。が.. 〕

+ 常に視点の反転(物,メンタル性)に対して意識的であること。

2021-10-11: 在るツール
ある商品広告に腕時計型ツールを読んでみていたら,“(もしそれを着けたとしたら)それは一日中ある.. ”と,おはなし言った。おそらく観念物としてのそれは私の意識からは消えないだろうという意味だ。昔ロバートモンロー“ 体外離脱 ”に関する方法指南に,寝床では時計のような付属物一切外すと書かれてあった。が,私にとっては(居間テレビなどと同じように,すべて)心理的に常にそれらがどう影響しているかという問題である。個人的にはそれらは“ 呪物 ”になりうる。たとえば,ある人物が“ その誰か ”であり,その“ 誰か ”以外ではないが,おそらくそのひと自身はこちらの“ その誰か ”を知らないだろうし,“ いや,それはあなた自身でしょう ”と言い返すが当然である。
だから,一日中でも一生でも“ 明晰さ(夢)自覚 ”がそのウェアのように(寝ていても)動作できればいい。

想像をやめる。

2021-10-12:
学校セーラー服姿の女子たち〔 すべて後ろ姿で,静止してはいなかったが,いずれの顔も見えなかった。 〕ひとりで歩いていく男〔 やや左から右へと動いている後ろ姿。その背中,上着に,青みか灰色がかったキャンバス地のような厚みの四角い部分が折り畳まれたようなデザイン。 〕その姿がみえてから一瞬-(不意に“ 夢だ ”と,)見えなくなった。
〔 これにも何の要因があったのか解らなかった。その場での意図ではなく( あの“ 家屋側面 ”での反応と同じく )なにかその表れ自体に応じた“ 夢だ ”という言い方である。
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仮に“ 偶像 ”との夢見-条件としてセットされた用件が遇ったとしても,今回多人数的なみかけには働いていない。もし,ある場に“ これはなに? ”と不思議な考えさせるような絵が遇ったら,私の気づき可能性が高まる,という見方も(.,ならば,なぜあの“ 両目と赤い縁取りの顔ペイント ”という面には私の思考が起きなかったのか?)むしろ,その夢の文脈について一通り見るために“ これは夢だ ”という判断を後回しにするような回路があったのでは.. 〕

予め表れている夢( 予定 )

2021-10-13:
ある瞬間,私は私の自身が現にこうしているという常態自身を(あたかも無関係な存在の中にいてこれ自体を視ているかのように)眺めていた。これこそが私の体に未だ不慣れだったときの常態に近いのだろう,と。詰まり,これはコントロールではないが,言わば,“ あいだのひと ”への逸れから自身の体に(焦点的に)戻るというわけだ。おはなしも,だれかも,神経質なものを避けようとする幼児の頃以来からの逃避の所為であったのか,と。
私は以前一度‘ 私の一挙手一投足に意とする ’と書いた。しかし,子どものときのように不慣れに観察してみる。これはより先天的な点だ。

入眠時イメージのようなもの:
ヨーロッパに古い町みたような典型的な石畳の通り。左側に高い壁,正面には路地に隔たれた石造りの建物( その出入口がちょうど左側-壁の向こうに半分だけみえる。その上部の円い,木製扉は予め閉じていた。 )私が意識的に視ようとしたその瞬間から,それらがなにか暗くオーヴァーラップされたかのように,その壁などの表面どれもが不規則な岩みたいな石材の組み合わせに変化した。

奇妙な一瞬イメージ等: 2021-10-20-