最後のカウンター(番外)

2021-09-14: 内的世界の完結
朝方,私の右手に例のJヘイリー逆接的心理療法( 夢見の実践f:資料ファイル編での先日フログ話題- )その続編を生半可に開きつつ,早くも痛みだした左上腕の先に数字カウンターを持って何度かまっすぐ出すようにしてみようとした。
昨日,私は“ 提唱する,強迫(される,) 忘れている( だが,このまえ自ら意とした命令どうしの矛盾? )”という3つを唱えようとしながら,2回目ワクチン接種に( 昼間,例の遮光袋を被って,路上-下校女子たちの“ 騒ぎ笑い方 ”に再び戸惑わされながら,私の“ なに ”を待っているのではなかった。 )
以前自転車うんどうルート上だったスタジアムまで( 先月初め,予約まえに,私のおはなしでは“ ドーム会場を選ぶとより若いひとたちと一緒になるから.. ”と言ったので,インターネット上に追加枠と書かれていた方に電話予約してみた。 )
不思議なことに,一昨日か,その路上,私の自転車で行く途中後ろの方に時折なにか男児の声で一声を発したような“ 音 ”の感覚が遇ったが,私は一度も聞き取れなかった。帰り道,他の下校中たちも誰も笑わなかったので,かえって別の論理が働いていたかのようでもあって,これも不思議だった。

午前中,読書中には何とも無かったのに,休もうとした途端に急激な寒気-震えが起きた。いつのまにか体温38度C越えていた。

夢見の“ 五体不満足 ”
私は一切“ 路上アピール ”というものをしないと経験的に言ったわけだが,最近なんでかまた女子連れ歩きが変な笑いを発するということが何度か遇った。私の理論的には,おそらくその者たち自身の“ 偶像 ”との問題,マスターB対象すべて“ 好きな映画 ”みたいに自身の鏡,自身の匂いというだけ( 私の夢に関する試行的なデータ自体を反映したものが無かった。 )
この点には徹底的-決定的な見方が必要だった。私に対する意味不明な勝手な関わりたがりには常に遺伝的なプログラムとの自己同一視という問題があるのだろう( 私は生殖用具とは二度と同一しないと記した。 )もし発作的な子がそれを見ようとするのなら,まだ可能性があったのだが。

ひと言で言えば,一致の無い“ 五体不満足 ”ゆえの障害,完全な私的な自己である筈が,家族観や都会感に損なわれているなど,と。詰まり,私は“ 夢 ”それ自体を信用しないが,“ 求め,受け ”無しに,この体として再成長できる。

2021-09-15: 自乗効果の夢見
‘ 夢の身体的 ’(意識的)自乗効果?

2021-09-17: 無惨の夢見
ここ数日間,明晰どころか,惨めさに逆に当たったような場面の夢が多かった。ある“ 若い女性 ”からなにか挑発的な態度が遇ったが,私は論法だけを用いて言った。
例の図書館による長年“ ぼく ”呼ばわりなどに,当初どう対処するべきだったかと(ここのプロファイル頁 >クレーム票などに表面的記した通り,先月避難して以来)再び考える案件が遇った。いずれにも私に覚えの無い一方的ななにかであったから,私がそれ自体に“ なにも悲惨な ”心象を覚える必要も無かった( ,おそらくその遺恨は今では憶い出されないもっと古い別の事情からだろう. )清潔さという希望,今後も成功するだろう正しさ,一々挫いたり..
私は“ 恐ろしい惨めさの先生 ”ではなく,仮にそれが感じられたらそれを私の‘ 夢見 ’の機にできるように,ただ条件づけできれば良かった。( だが,これらが外部的な反転だとみなされていたように,こちらの投射する視点としての自覚には無かった。 )

2021-09-18: 私は了解しない
私はこれまでセクシャルな要件に夢見-条件を点けた試しが無かった。
私がそれらに点けなかったのはそれらは一見私の夢見-意ととは正反対のものだからだった。
少なくとも一日中,一週間,それ以上,‘ 私はすべてを了解しない(一々の特徴に対象しない) ’と言い続ければ(それ以前“ わたし ”として無闇に同一化していたものが)見えてくる。