? 明晰夢見る

2021-06-18:
タイトル表示‘ 明晰夢見の実践 ’にしてみた。この名では今未だ“ 24時間の明晰夢 ”ばかりのリストアップス( アーノルド・ミンデル著など-私の読書記録等は夢見の実践f:資料ファイル編;>)に紛れた形だが,じきオリジナルトップに復帰できるだろう。
‘ 夢見の実践 ’には真に明晰な自覚夢の研究という私-思考本意での明晰夢見の機会が無かったといえる(-私の当初に記した目的からは;)私が夢の起源すべてを明らかにできるかどうかが(私がそのように夢自体を探査できるかどうかが)鍵だったからだ。

2021-06-19: 引きつけない( これは夢,見る )
身体( 私の無自覚に )片足-収縮したかのような挙動( -血行が悪い. )楽に自由にしてみる。“ 胸の虚弱 ”と両眼-下側の不良!( 必ずお腹を出してみる。)

・ ‘ これは夢です( 見る )’意図する。
- すべての記憶的慣習-励行( 受けの要素. )

2021-06-20: 中心-自覚と周縁-視像(意識的)
普段に‘ 夢 ’といいながらの,この注意の先に対象物が,表れ,一々それ自体となる。Cカスタネダが“( 夢見の注意力を保つには )特定の物一々に焦点を合わせないで視る ”といった点が憶い出される。
が,周縁的な像との関係でのみ‘ 夢だ ’意識が保たれるのだとすれば,未だこのようになにか特定対象に向かう(自動的に奪われる)一瞬自体にとっては-)注意の条件点けが成っていない。
なんの像や関心にも(私の注視していない向きにのみ)意識的で居られる-というのは消極だ。-‘ 注目 ’との直接的な条件点けという以前からの方向が逆転していた! たとえば‘ 他者の文脈によむ ’ためには(的確な内容理解のために)ある程度観念的でなければならない。そのような状況内で注意を保ちながらよむために,中心と周縁とを(読解の焦点と,夢見の注意とに)転じる習慣が必要だとしたら -
〔 もし私が中心視覚的に私の注意を留めようとすれば,意識的に読書しようとする場合でのように,同時に周縁視的な自覚への支えを持つだろう。この意図自体が常に働けば( 受動的な感覚の為ではなく )ただ“ 夢だ ”といいつづけるだろう。〕
あるいは“ キャラクター(おはなし関心)”化されていた周縁部を転化するという意味での( 夢見-注意への )再転換は可能かもしれない。
文字通り“ 24時間の明晰夢見 ”可能かどうか?

2021-06-21: これは“ 夢 ”ではありません。
仮に“ メンタルピープル ”が在った時には,このような逆接的な言い回しの方が(自動化という面では)良かったかもわからない。たとえば,こんな常用句ではどうだろう?;
わたしはこれまで(それが夢だとは)言わなかったでしょう?

- “ 忘れられている ”あいだの障害(の表れ方に見る。)

2021-06-22:
- ‘ 意図 ’は視覚的次元ではない。

2021-06-24:
- ‘ 憶い出そう ’とする( 強迫 )という逆接.
+ ( 憶い出される-自体。)
・ ( 憶い出された-瞬間,)夢だと定義する。

2021-06-23: “ 跳ねた石 ”?
私の寝入らない状態で,久しぶりに( 目蓋-閉の視覚に )下から急に跳ねたかのような一点だけの動きが遇った。

2021-06-17: 中心眼を持つ( 心象 )
私の最近,本のページに開いて“ 読もう ”とする一瞬,その黒印字が微かに金色がかってみえる。それはその物理的な知覚の色彩自体ではなく,私の(意図との)印象というべきだろう。

寝床上,夢見への導入方法として‘ 手に青い玉か,反射的な円盤を持ったように ’みてみようとしたが,物的な象徴性には意味が無いからなのか,できなかった。私は片手にペンを回して寝際に眠らないように私の意識を留めようとしていた。