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最後の豫絵(無感想)

2021-04-22:
心像はしばらくみえなかったが,久しぶりに光景的な夢が遇った。室内に一枚の絵,それは油絵だった(私は母の描いたものだと思って近づいてみた。その右側にも少し大きめの一枚が遇ったが,それは私の注目を惹かなかった。)散策用公園かどこかで描かれたもののようで,手前小さな水辺にその向こう側の桜がやわらかく映っている。その水面に桜の様子がその絵の中心だとわかった瞬間,それは実写的な光景に変わった。
〔 その夢からの直後,私はその光景の場所が実際にどこかに存在するのでは?と思った。それ心像-自体の効果。直後私は屋内に歩き回るうちに(偶然?)私の反射像であるかのようなあの“ のっぺらぼうに引き伸ばされたような頭部 ”がみえた。
開かれた夢はそのような不思議な像として変わることができない。〕

“ このひと ”に気付かない,という理由であたかもいつも周辺から責められるような(私にとって)二重の状況が遇った。私は楽曲の成り立ちからではなく音色の妙そのものを利用できるといったかのように“ 夢 ”を利用していた。

2021-04-25:
昨晩か夜のあいだに“ 地中からマグマが噴出しかけている.. ”というおはなしが遇ったが,今晩(風邪気味に)起き出してニュース画面に桜島の噴炎を視たときまで私は憶い出さなかった。私はあのとき私-自身の問題を言ったのか(身体なんらかの兆候?)と思っただけ。

2021-04-30:
常に一体として表れているものをみる,という本意からみれば,ここに分析的な解釈は難しかった. [ 資料ファイル編 >参考図書3;]ジェンドリン博士は“ フェルトセンス ”という呼び方で(からだに感覚される夢との心理を)捉えさせようとした[ -その本,夢に表れる(一見検討されないような)“ 反対側に成長するもの ”というヒントを示してはいた。ミンデル先生も述べていたように,それらが善悪との同一のために判断される用ではない。ある“ 夢 ”に関して語ることは心理的な常在の可能性であり,そこに何らかの改正される意義やこれからの意味が在るときにだけ,有効となる。-“ 夢 ”は補償作用の為だという当初の説も。]この参考読書のあいだに,私は“ 夢 ”どれも記憶に還元される(または,それらとの合形イメージ等)という見方に基本的に帰った。
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私はあの中学生たちの路上一斉げらげら笑い現象に関して既に私独自に‘ 反転的にみる- ’と述べていたわけで,[後から読書付けに依ってわざわざ“ この関係はジェンドリン博士の語で言えばバイアスコントロールという,プロセス確認の方法に相当すると思われ- ”と,面倒臭い段階分けの理論に無理に馴染もう必要も]無かった。既に見覚えられた“ 夢 ”に関してフェルトセンスを適用しようと,呼び出し的な?作業をする,-その用語等に因る煩わしさであった.
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このまえのように‘ 夢が原理である ’と言うだけで良かったのだが,私はいっぺんに全的アクセスすることは不可能ではないと先に記した。けれども,私は私の現在一視点が過去-未来の亡霊に左右されるような“ ドリームタイム ”という価値観には一致しない(少なくなくても,それらに開放-同一してしまえば“ 夢 ”は対面化できない。しかし,イマジネーション化する手法としての,例えば“ 能動的想像 ”という古い語法は本当に自発的なひとには合わない-(“ 明晰夢 危険 ”が判ったというひとには. )私は今あらためて‘ 観察用スクリーンに投映する動画現象 ’の可能性について試みようとしている。)

2021-05-01: “ 私は-している ”
普段の意識に見えないものを心理的な“ ドア ”を通して見なければいけない,-というのはウソだ。そのような“ 装置 ”が有効なのはそれが何番目かのメタファーとして機能できるときだけで,脳のコンピューターが完全なら(“eh”などに縛られなければ)データ自動はただ可能であり,メモリーに心的な対処を必要とはしない(それは“記憶になった”時の問題,それの記憶-条件なので,ある原因が不必要になれば,お開きとなる。)私は当初の目的に帰った。

2021-05-04:
・ 同一化している状態に(常に)意識的の‘一歩引いた視点’を設ける。

2021-05-05:
試行(夢だ,と)気が点いたら,やめないでひとつひとつ自乗してみる。

- 不愉快な感覚を周縁化する( この場合の‘ 周縁化 ’とは,全体からの分離-隔離という意味ではない。“それら”自体排除しないで周縁に置いてみる。但し,こちらの中心は無であるように。‘ 無 ’の表面にみる。)
その周縁化された全部を‘ 夢見 ’と結び付けてみる。

2021-05-06:
〔‘ 純粋な空間(の膨張)’- これは時に内が雑で外が無だという一見“ 反転された状態 ”となる場合がある。保持の原則に依る内と表面とは,象形,メタファーであった。
有機物/無機物というアンチテーゼからではなく,完全な‘ 無の空間 ’自体。〕

2021-05-08:
- 今“ 活動 ”中心どこ?

“意識”-遅いのか?

2021-05-10:
また時折右側に“ 青っぽい色 ”がちらついてみえた。

2021-05-14: 黒い線状( からだの太陽 )

2021-05-15:
ページ上の文字文章よりも,その紙に偶然なにか一見小さな光る点のようにくっついていた(錯覚ではなく,反射性の塵?)
もしそれが“ 光の窓(宇宙との)”自体であったとしたら,その極小モノポールに宇宙すべての“ 光 ”あまねく粒子のひとつの特性として表れている。これは自動化された直観としての夢見といえるかもしれない。