すべて夢見の脈に乗せる

2021-02-03:
夜,私の視野-右に一瞬初めて青い色合いの点がみえた( 右側-動く。)

- すべて夢見( の脈に )乗せる;[ 無用な勧誘的ベクトルを放棄し,切り換える。観念的事件を持たない。]

2021-02-04: (“ 私 ”のすべてを( 同一視しないで )現象と捉えること.)

‘ まちうけ ’しない。

周囲にではなく( 私の身体-両足に )投射しているとき,より意識的に感覚できた。投射先?どの点かに拠り。

[ メモ:“ 周り空間 ”消失の原理?
仮想-( 記憶またはイメージ )ではなく,通常-日常-感覚( 外界的投影 )されていたものが,再び“ 夢現 ”それ自体に換わる瞬間では? もし日常投影されているのが“ 夢 ”と同じ性質のものであるとしたら?( 外在/内観 )両目-閉じていても開いていても,“ これら ”は変わらない筈だ。]

2021-02-05: コンプレックス障害面としての夢?
室内,学習中の制服-男子たち,( わたしは )彼らの間に散らばった紙片〔 横書きの,なにか一連の印字されたもの,〕拾い集めるようにして往き来した。彼らの何人かが“ しずかに勉強できない無関係な侵入者 ”という例の論理を向けた。
“ いいや,わたしは邪魔してはいない。”
〔 最近,私が市役所交差点の病院前を通過しようとする度に,路上歩きの男子たち( なにか奇矯な )騒ぎ声.また,次回その気配-( 以前日記のように,あの病院前で学校制服姿たちや3羽カラスから“ 一方的な嫌がらせ ”のようなふりが遇った。)
もしそれらに内的“ 態度 ”と言えば,私は単に下手な咳払いかにわかエクソシズムかの問題のようだ( 仮に外の環境として“ またオケダさんに対して一々大声で言うのは-,”というとしたら,反転していたとしても最初のヒステリーが解消されていない,というのと同じく。そこで,私の内的な対処として“ 私の緊張 ”が階段的に無くなり,“ 彼ら ”に対する私の見えなくなるように取り敢えず沈潜していこう.一度はこれらページの実質的普及を促進されるのが先決だったが,“ 彼ら自身 ”への雑多な文句看板と見なすなら,路上で目に付くに超越したことは無し.)が,先ず私-自身の心的なコンプレックスが,理解-解消するだけでいい。
ちょうど読みかけユング“ 早発性痴呆の心理:A 急性コンプレックス作用 ”という節の最後に,このような観察面が遇った;
..普通、情動は無限に長いあいだ( 胃や心臓の障害、不眠症、震え等の形で )作用し続けることができる。しかし情動は徐々に鎮まり、コンプレックスの表象は意識から消え、夢のなかにだけ多かれ少なかれ変装したほのめかしとしてあらわれる。..( コンプレックス敏感性と名付けて,)イヌに噛まれた子供は、イヌを遠くに見ただけでも驚いて叫ぶ。悪い知らせを受けたことのある人は、震えながら郵便を開く。..
以前( 私の記録に書いたように,)私の寝床から離れた所で不意に,男児たちが大声を発したりした時,その直前私の胸にギュッと緊迫したような予兆したかのような不快な感覚が遭ったのが,憶い出された。“ 子どもたちの喚き声 ”に緊迫し身構えるものがあるのは確かだが,それがなんらかのコンプレックス反応だとしても,予め察知可能な要素というものが内容として在ったのかどうか? 〕
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おそらく“ わたしは邪魔してはいない.”という反応的な台詞( 相として )私に向けられる度。
[‘ 性的な可能性 ’とみることは,同時に‘ 死 ’を暗示する。今回男性の問題と言うなら,それは男性の死である( その象徴的な場所での. )]
“ 横書きの紙片 ”は英語のパラグラフだろう。その場には私がいなかったので,読もうとはしなかったが.. 〕

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覚醒夢に於いて‘ 夢だ ’条件点ける。

2021-02-06:
〔 以前に,ある百貨店デパートメントの屋上にひとりいたという場面“ 記憶 ”が遇った(-それとも,-その進行中“ 夢 ”自体の同時的なイメージか? )無論,この記録-想起自体があとからのメタなので,その場としての‘ 私 ’視点が足りなかった場面には,確認の難しい部分。( わたしは )ある屋内から抜け出ようとしていたのだが,それがその“ デパートメント ”との擬似的な想起になっていた。〕屋外に見下ろしてみると,黒っぽい冬着の人々が出入口-外になにか待たされているかのように,その辺に留まっていた。( わたしは )その間をすり抜けて出ようとした。通りの途中( 直前“ 人々 ”光景は昼間のようだったが,そこでは夜の町路上にみたかのような印象,)すぐ向こうに仏教寺院の装飾的な建物か門-上部が( 2個所に分かれたような形 )目を惹いた。
ある通路,そこには( わたしと,右側に )同じように抜け出したのか男性2人が一緒に来た〔 ひとりは長髪にコート姿のその横顔,ある男子店員に似ていた,-30年まえ? 〕その正面,出入口に,若い顔の男,青いダッフルコートのぴっちりと身についた体で現れた。彼は刑事のようで,名乗りながらその場に制止しようとした。〔( わたしは )言いかけてはっとしたのだろう。途端に“ 夢 ”は途絶えた。私は瞬間的に“ 夢見の実践-originalというサイト名を!”と言ったが,既に暗転したかのように,応答は無かった。〕
一昨夜だったか,私は“ 天安門事件 ”に関するドキュメンタリー番組( 再放送 )みた。私は街頭デモの類いにはいつも感心しない( それがなんの訴えであっても. )“ 暴徒化 ”されたのなら自壊したのは当然だが,鎮圧命令の兵士たちが犠牲者とは気の毒だった。最近の名古屋市民は変嬌なデモをしないので,私には良かった( むしろ少年らの拍手笑いは私の心臓には悪くした,あの紙看板の類いは個守的実験で,差別-根拠的とみられる点では“ ブラックなん ”と同じであったろう。いっぺんも集合的関係ではなかった.)

情動-記録と意識-面
ちょうど日没時間に出掛けた。昨夕それよりも少し早い時刻に同じ路を行って偶々何組か学校制服姿の傍を通ったが,(-“ 干渉 ”が無ければ誰も反応しないだろう,という前回までの見込みも-無関係に,)私は関心されなかった。
図書館すぐ横に屋外児童スペースがあって,私が着いた瞬間に( 私は見ないが,)ボール遊びの男子ひと組だけがそこにいるようだった。そのひとりが急にこちらに向かって( 気配的に )笑い声を発したかのようで,突然“ 気に障った. ”私がインターネット端末の前に掛けたとき,続いてその少年たちの声や拍手が,今にもこちらに覗きにくるというあの接近感覚となった。
予め“ すべてに不要 ”と( 私-自身というタームも含めて )言い切れ。“ 彼ら ”がなにか言いたがるとすれば,それはわたしの“ 彼ら ”への望みゆえ(“ 遊びの時間 ”て? )
その直前,路上自転車のあいだに,“ まさに,われわれには時間は殆んど無い..”と言ったという,あのウスペンスキーのG( グルジェフ )に依る台詞が連想に遇った。しかし,あのグルジェフ像には,その今にも折られるといったひとのような,惨めっぽい敗者のような言い回しも予め遇った。だが,私は‘ 私 ’のために内的にたたかったりはしない。
[ ユングが言ったには,直観( 思考 )に拠るひとが,感情( 私の理解では,情動-記録から )の問題としなければいけない時,“ 感覚 ”の面にみるだろう。それが観察的な視点におければ( ユングはその説明に於いて未だあの“ 能動的想像 ”というワードに直接語ってはいなかったが,)意識の不明な点として見れる可能性を示唆していた。]
私はむしろ“ 無力化 ”しようとこころみた。すべてに同一的な重点を持たなければ,私-自身にこたえる用件はひとつも無くなる。情感-反応がいやなら,その導体“ 自任 ”するものを一切やめてしまえばいい。コンピューターが科学のために古い動物を労働-理解するような必要性?

2021-02-07: “ 夢 ”に気づかれない‘ 注意 ’方法
“ ネイル(例の青紫-色あい)”あらわれに注記してみる。
〔 前回までの問題に,“ 夢(-表象と,感情-)反射 ”という捉え方と読み直している。(-もし自動的知覚に従わされなら,それ身体にも,メンタルにも,環境問題ある.)
[ “刺激-反応性”の問題.. ]
;今度それとの中間に夢見の条件点ける。但し,
“ 夢 ”の場に対して介入-伝播しようとすれば,それ自体が中断.,これは‘ 私 ’という擬似性にとっての日常的な潜在レヴェルと( 動的な表れの機に,表面的な私よりも,)ひそかに設定し. 〕

2021-02-08: 外伝
“ 介入( 伝播 )”ふせぐ( みずからめだたないように. )

[( 観念 )未だ宇宙の実相が人類には見えないように,“ 無意識 ”こそが本物で,普段の‘ 私 ’その投射物のひとつかもしれなかった。かつて“ 星気体投射 ”天動説のような価値観だったのだろう-が,“ 宇宙 ”が存在するからとは同時に( これ )それらの個。だからそれら自体であるといえば,‘ ひと ’が“ 宇宙 ”に対して特異の一なれない。
先ず“ 他 ”イメージ一切破棄することだ(“ 自分自身の宇宙 ”に反発的な言い負かしとするのは間違い,それは事態を悪くしてしまう。)
私このまえ述べた;“ 私の意識を無意識に近づける ”とき,おそらく“ 特異現象 ”としてあらわれる( 私の記録例としてのファイリング自体が“ 偶然 ”頻発となる可能性も遇った。)しかし,これには未だ“ 宇宙的な現象 ”という捉え方ではなかった。問題はその記録内容等に遭ったのではない。

人魚の肉を食べたが為に800年間いきたひとというお話がおぼえた。私が以前自転車-通りのひとつとして行った,ある町の入り口に,ちょうど寺の名が遇った。( 目立たない場所だったが,)あとで偶然,その名が八百比丘尼の伝説由来のひとつだと新聞記事に遇った。]

古い印象( 忘れられた印象記憶との )間違い-?(:2020-06-09 )

投射現実(:2021-02-10- )