再帰-夢?( 夢の原理 )

2021-01-14:
私は夜少しくたびれたようにテレビ番組に目を向けながら一瞬ねむりかけた。ある図書館への道筋途中,その小さな交差点との向こう側に渡ろうとしている。
(:その光景自体は今夕かの,私の“ 向かおう ”としている,その場での状況だった。)一瞬“ 夢 ”のようでは遇ったが,( 私の現在-自覚無しに )“ その場 ”自体それだけが体験されているような状態,最-問題点。
〔 わたしがその“ 光景 ”瞬間までテレビに視聴しかけていた番組話題は一見無関係だった(“ 赤いシリウス.シリウスは青くみえる連星,昔その星が赤くみえていたという,原因は? ”)..無論,かんがえてみれば,私がその交差点では大抵“ 青信号待ち ”してから渡っていたという,象徴的な意味合い? が,なぜ特にその交差点であったのか,その印象に関与した象徴性か,過去の因子が遭ったに違いない。〕
対象と“ 横切る ”?
その外観的な条件と見るなら,その交差点の向かい側には小さな喫茶店か理容室のような建物と,コンビニエンス店舗。ほぼ毎回そこには自動車等が通りかかり,( 信号機は歩行者側のボタン押し切替式, )横切り道路上注意が必要の箇所であり,それら分離的な要素と( あるいは同時に,)私の恒常的な‘ 意と ’が働いていたかもしれない。
〔 そこへ最短の近道するとき私は東-西へと通るのだが,通り道に依っては,北-南とその交差点まで来て右折する。その折りにはその直線の行きとが交差するか,一方が横切っている。〕
私の昨日記事に“ 私は周縁視野では文字判読ができない? ”と書いたように,私の意識的な読み取りには不明の限界かも.,その“ 焦点と認識の ”努力自体が( 同時に‘ 意と ’条件点けとして )自動再生される可能性は在る。し,“ 分離 ”のより悪くする.,先ず自身の機能的不一致こそ,原因遡及の目論見であり。

・ 参考’夢記録:羊毛とネジ(:2018-05-27 )

2021-01-15:
自転車最中に,なんでか“ ファイトクラブ ”の音楽が再生されていた。私そこではかんがえ点かなかった,前回“ 夢 ”でのあの黒タイツ姿の男たち,というイメージか?( -ややコミカルではあったかもしれないが,過激な印象ではなかった。あの映画自体ひとり語りのファンタジーだ( 最初鑑賞時に“ タイラー ”の正体があっけらかんとしていたので,その表し方には心理的な深みがなかった. )
私はあの夢での“ 顔出しの白人 ”には見覚え無かった(“ 部屋から部屋への迷路, ”私がこのまえ日記に“ アリアドネの糸 ”と書いた処にあったのだろうが.,)私からの象徴的な読みができなかった。)
布置と辿り(:2021-01-02 / 明晰夢への遡行 )

2021-01-19:
午後,陽射し除け用の遮光マスクに布地と袋を被ったまま,図書館数軒はしごする。A図書館。ある棚の本に,あるひとたちの反応実験に関して簡単に書かれて遇った。被験者たちがモニター画面前に( それは表示されていない,“ 被験者自身のボタン押しに拠り点灯する, ”という指示. )ところが,その被験者たちの物理的なタイミングよりも先に“ その点けようという意思 ”が機械的に読み取られるので,それが予め一秒だけ早く画面点灯する,という仕掛け。
私がちょうど動作すべてに先んじると記した点に( その実験の趣旨は違うが,あたかも具体的アイディアであったかのように, )再び私の動機-点けとなった。[ その引用が遇ったのはアーサーケストラー“ 偶然の本質 ”だった( と憶うが,私は一度その部分メモしておこうと思い直し,すぐに引き返してみた処,その頁だけが見当たらなかった。)]
私は常に一瞬-先に‘ 夢見-意とする ’に拠ってこれを再起し続けよう。と試みている( だが,これが常に自動的に働くためには,決しても“ 余所事 ”に捉われていてはいけない。)
私がインターネット席に掛けていたあいだに,セーラー服姿たちが通りかかり,路上例のように,くすくす笑いながら右から左へと消えていった。-私にはもうも,なにも,無かったのに,まるに苦しむふりをしかけつつ,みたいな?
そのようなことすべてが,私に“ 外界的 ”のあきらめとし( 詰まり,これに誰々のセカンドだの,外周外縁だのいう問題は存在しない.,)こうしてこれからは真に内的な‘ 原理( 夢 )’の表れだけを生き。
〔 外的な反応-自身には,このように無価値化する。未だ逆接的? 〕

ちょうどCGユング心理学の“ 超越機能 ”について一節が遇った(:“ 創造する無意識 ”収録 )リビドーを内向させる..これです;
..視覚的な想像力に恵まれた人は、何かある内的なイメージが醸し出されてき始めはしないかと、そこに期待を向けるようにする。すると普通はそうしたイメージ、たぶんは入眠時の空想像が浮かんでくるから、これを注意深く観察して、紙に書き留めるのである。聴覚的・言語的な素質の人は、内から声が聞こえてくるのが普通である。初めのうちそれは、一見意味のない断片的な文句にすぎないかもしれないが、これもやはり慎重に記録しておく。..正常人でも、ある程度内的生活を発達させると、この音なき声が容易に聞けるようになることがある。もっともこの声は名うての反抗児で荷厄介になるのがつねだから、抑圧されるのが普通だろう。ともあれこうした人たちは、無意識の素材との関係を作りやすく、したがって超越機能を作用させる前準備をするのもむずかしくない。..?まだわからない。
(“ 心理学分析セミナー( ユング心理学への導入,1925年 )”も借りてみた,全然よんでない? その本自体,全く新品みたいに手垢も付いていない。20代ときのように‘ 読み ’進めよう。)
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しかし(“ 夢 ”=‘ 私 ’と言えない現況であるので,)ここでは‘ 夢の原理 ’と称する以外無い。

“ ユング超心理学書簡 ” :2019-03-29, 2019-04-05

2021-01-20:
‘ 私 ’に先制する( 過去に眠らない。)
〔 -私の観念的なものを意識的解放し‘ 繋ぎ換える ’に拠って,ある身体的な緊張状態から切り換える。過去に類するすべてのこと扱わない。〕