明晰夢”訓練機能(記憶と無為’)

2020-06-01:
今朝4時過ぎ,急な雨降り,なにかサインのようだった(テレビ各局のデータ放送等では,辛うじてひとつの雨雲レーダー図にだけ,ちょうどこの辺おそらく数km範囲の雨と,中区付近にだけ小さな“雲”が表示されていた。天気予報等では9時以後の雨と書かれてあった。)私は直前までに今朝の自転車予定を取り止めていたのだが,もし4時まえに私が県図書館に返却しに出掛けていたら,その“雲”がみえたかもわからない。おはなしには‘うろうろのグループが今朝かなり取り締まられている.’という異例なニュースのようだった。それで“これ以前に私の街路への出足に影響していたのが実は彼らだった.”という見方になったので,坂道上がり練習には時間帯の早いまたは遅いという私の理由だけだった。

昨夜テレビに映画“エヴァQ”みたからか,私の寝ている合間にアニメーションの色柄ロボット類のようなものの動くイメージ幾つかがみえた。が,どれもあの映画シリーズの記憶-絵ではなかった。
先程,ある光景印象に,特定箇所の夜道-坂道とともに(,それ一瞬遅れて,代わりに,)青紫色の破片等があたかも万華鏡の反射等に表れたかのような,変わった印象だった。私は即それが私の最近よく飲んでいた野菜果物ジュースの紙パック(その表面イラスト,ぶどうが模された)絵の一部分だとその瞬間わかった。私は毎回私の自転車時に飲料用ポットにそのようなジュース類をカクテルにして携帯するのだが,あの特定地点との関連は判らない。
考えてみれば,あの坂道の信号機前と言えば,私が一度マスキング呼吸に急激に難しくなって慌てた地点であった。そのときの私の脳の状態か,私はそこでは意識しなかったが栄養不足という観念かもしれない(私は先程その紙パックの1本をちょうど空にしたのだが,すぐには買い出しに行けなかった。)

2020-06-06:
午後,私は詰まらないままに起き出したが,(付近というには)騒音も無く比較的やすらかであった。手洗いに立ったときに,なんでか久しぶりに(普段気にならないような)私の頭上に目が向いたりした。
(私の読書に戻るまえ,)不図のイメージ,丸い黄色っぽい太陽のようなものと,その中を潜ったかのような(あの“青い光”を想わせる,)小さめの発光が出てきた処。“青い光”は私には静謐さと関連している。

‘中心’ふくらます。

2020-06-09:
私は数ヵ月まえの‘うんどう’記録に読み出していた(“UNDO”タイトル頁にまとめ記載するの為。)私はKZ寺からの付近には私の記憶が働かなかった。私はその辺での初回に19号線との直線的な予定ルートとして(その脇道に)“EP寺”と書かれた交差点に出た。私には見覚え無かった(それより2回目だったか,私は道路側そのお寺の囲い壁みえる光景になにか言いたがっているようでもあった。そこは私の巡回ルートとしてちょうど下り-出口(北向き逆さU字路の直線的上がりと,もう一方のその直線的下り,)その入り口-上り途中あの暗いコンクリート台上のS薬局という光景になにか遇ったのだが,それは別ルートとの記憶か印象違いであったかも? ある建物やその周りの部分が偶々なにか古い印象とすりかわりにそれ自体の記憶光景だと間違われる?)

2020-06-11:右側に受けをしない.

2020-06-13:
私が私のすべてを視察する。
夢の端緒を掴む

“彼女”効果は性交そのものが結果なのではなく,‘意図’保持できるという強みであった〔・私はなにをやりたいのか。〕
然し,これが必要とされる状況とは,意図の沈静である。

2020-06-15:
今朝,自転車うんどうに出るには既に日の出あとだった。私の体-右側は動かなかった〔脳が動かないといったような。〕地図上に例のNH通り,坂下りからショートカットに隣横を抜けてHS町の上がり道へと出るという見込みが,余りにも急傾斜なコンクリート敷き,ルート化不可。案外の早い陽射しだったので,私の顔面を焼かれないようにとすぐに切り上げた。
私の眠れないまま居間にニュースなど眺めているあいだに午後.,私の体を横たえて目蓋閉じてより(“彼女”のそれを取り戻そうとしてみると,)途端に黄色っぽいちらつきのようなものがみえた。ふと右腕に触れてみると肉質があのモチモチになりかけていた。

2020-06-17: 偶然の通り道
‘この自転車(サドル無し)で,Jヶ丘の方で上りの練習してるんですよ,10km位かな。’このまえ夜道での職務質問にわたしは答えた。が,(いや? 毎回そんなに上りのメーター数があったわけは無いな,)と私はすぐに思い直した。私はその“10km”に心当たり無かったので,ひょっとしたらその巡査たちの別の情報がこちらの口から出たのか,こちら自身の適当な計算に拠る数字だったろうか?と。
今朝私は試しの短絡化ルートにて合計約9km上りだった(出かけがちょうど日の出時刻だったので,AS町交差点からKヶ丘3への道路がじきに太陽と向き合ったのを,3度目には避けなければならなかった。地図上では今回1.35km×4回と1.15km×3回という計算。その地域までの行き来と下りの回数とを足せば,25km.)調子が良くなったのでもう1回か2回まわるのはなんでもなさそうだったが,あとに温存しようと(余り陽射しに曝されてしまうと,坂上りよりももっと体にくる。)
それよりも,帰り道に,私は偶々“S山”交差点から“KD町”付近の通り慣れない脇道に入った(-OS町に近いどこかに出るだろう,と。)私は一度もその道を行ったという記憶は無かった.,なんでか,その向こう下りとのほぼ正面に薄赤茶色のマンション住宅のような建物がみえた。一瞬,変にその通路の光景自体が見覚えあるようだった。ふと右手に,学校建物の名称プレートに視てみると“AO”高校だった(?..こんな所にあったのか。)私はその先に下りて鉄道線路と平行する道に振り返りみたその一瞬にも,その緩やかな上り道の光景自体に,不思議な見覚えがあった。(地図上では,そのすぐ北側にMB電機の製作所と書かれてある。そう言えば,私には最近なんでかそのMB電機すぐ裏側に通り抜けたという記憶があった。‥最近?)

2020-06-21: いなくなった“女幽霊”
昨日終日なにも出かけにもできなくて頸-両足の突っ張りに寝たりしたからか,いっぺんに脊椎か腰にきた。いよいようんどう不足が気になる(-今になってまた“自粛たるみ”みたいな,)寝起きの度に顔面コーヒー塗ってみたり,発酵食に関する資料を探しに図書館いってみよう,でも県図書館は土日18時閉館だしと(自動的に思い出せるだけまだよし?)しかし,
私の外部を消す(外出から,ひとつ自身に.)’再び。

真ん中うんどうは時刻を選ばない(元気な童児のように;)
3時(1分まえ)出,路上,私はなるべく‘明晰夢-!’と動機-点けしながらまたあの坂2つを繰り返し上がった。3周目,私はHS町には下りないで墓地公園のあいだを以前のように通り(朝の陽光に墓石等がいっぺんに照り返してみえた,)NH通2からの折り返しであのTM町への危険な上り下り,HY通に下りて末盛通2_Hヶ池通1に再び上がり,高架橋の下り坂ちょっとだけスピード感。これで上り合計は約10km程度(-鼻マスク越しの呼吸が辛くて未だ1.35kmをいっぺんに上がれない回数もあった。)
‘明晰夢への意とを忘れない’という点から今朝トレーニングで判ったのは,私は上がり道に行く最中には憶い出せる(‘注意的にみる’に同じように,その条件-的に,)が,下り道などに解放された瞬間にはむしろ“受け”状態になる。それで私は私の力まないルーズな瞬間にこそ条件-点けてみようと試みた。私はその帰り道に買い物に寄ったりしつつ(以前からの条件-点けの働きもあって,そのマックスヴァリュでの精算時には必ず憶い出される.)憶い出したり憶い出さなかったりだった。そうして帰り着くまで私の‘明晰であれ’憶い出せ度は,忘れていた3に対して,憶い出した2であった。
〔-“ぼんやり”が仮にモートンプリンスのあの話に語られたような分離的な性質に因るのだとしても,私は敢えて“ぼんやり”の瞬間にも私としての注記条件-点けできただろう。これには対外的な焦点が起こらないゆえに(そのような状態には見れなくて原因不明であっても,)“ぼんやり”自体に私の焦点-自覚を条件化しなければ定着できないであろう。〕
そう言えば,私はその帰り途中に再びあのAO高校前の路地に寄ってみた。あの“既視感”がいつのなにに基づいていたとはわからない。確かに今朝その一瞬にも遇った。私はそれら光景のなにに“見覚え”があるのかと視ようとした。それは学校側の建物等には一片も無く,その正面向かい側の,比較的新しそうな住宅等の路上際,緑色の植え込み部分が主のようだった。その緑色が鮮やかにみえたという点以外には,私の目を惹くような要素は無かった。その直後私は左のカーブにではなくこのまえの予定通りに右に下りてMBの社名がみえる所に出た。私は以前確かにその通りをまっすぐ行ったに違いない。もしそうなら,2018年頃? おそらく夜間にかNドーム付近に私の通り慣れない道筋を幾つか行き来してみたのだろう。その先に鉄道線路下の“2.0m”という低い小さな潜り口(そう言えば,昔その辺の線路下通路どれかに“幽霊が出る”といううわさがテレビ番組に放送されたことがあった。)
私はペダル上に私の両足で乗ったままその頭の上に板をみながら通り抜けた。そこで不意に,おはなし側かのように(昔I-Nくんの意地悪か皮肉めかしたようなあの口調そっくりの,)言いかけが遇った。昔彼がその辺で誰かに不良みたいになにか言ったという謂れか,わたしが当時彼の口伝えからそのように思った場合が遭ったのかもしれない(いつだったか,わたしと学校の同級生何人かでOS町近辺に出かけたときに,ある線路下の近くで,わたしがあの“幽霊”伝説のそこじゃないかと言ったことが遇ったと思う。) 私はその“幽霊”スポットかもしれない所に自ら入ったのではなく,“出てきた”というわけだった。
〔私としては,私が未来の私自身に関しての情報をどうしてか受け取れる可能性があるとは経験的あれらについて言えるから,必ずしも過去の記憶との問題だったとは限らないという見方もあるのだが..〕

提案:
呼吸をしてみるときのように(吸うと吐くとの境い目を‘みる’かのように,)‘注記している(憶えている)’一瞬と,‘注記していない(忘れている)’瞬間との境いに注-意,設定してみる。

2020-06-23:
- 顔面の対抗させない(循環する。)
かつてより“彼女”という執心のために私-自身シフトするということは(-この肌質と変えるといったように,)内的な変容であった。
+ 従来の“人型”メンタル(-言い合い)持ち方それをやめたときに,真に夢見の身体と,本意の機会は訪れる。
・“感情的”本位な同一感に倣わない,
‘明晰’視点のために私のそれをやめると。