UNDO( 夢見への復活 )

2020-03-31:
+‘私なにか忘れている.’を最初のアンカーに;〔この現在の場には無い状況を,まえ以て‘ある夢’単位として設定するのが無理だという場合に。〕-‘またなにかが忘れられている,,’最初の段階に。
〔私いっぺん‘ぼんやりとした状態’に条件点けようとしてみたが,もし“ぼんやり”自体がサリーBのような潜在的思考との問題であるとみなされれば,具体的な‘見る’アンカーの対象をそれ解離自体かそれのなんらかの表れに向けなければならない,,〕

自転車の戻り路,ある交差点に私は止まった。そのとき,私それ以前の若臭い自身ではなく(,その一瞬間にだけ)“問題”の無い(覚えの無い)更けた大人のようだった。普段の“私-”メンタルこそがニセモノ集合で,実像というものは無かったと? 

2020-04-22:
午前中,一昨日のあのルートに再び自転車うんどうしてみた。私は迫-激しなかった(あの呼吸-拍動の原因は“感染するという不安”だと,その場で試してみての実相だった。)
排便の物が黄色っぽく一定量であった直後には,体の持久力がある。少し疲れが感じられたが,一昨日のあの面倒臭かった路上“笑いながらの女の子ら”には私は加味しなかった(-無論,それは“感染者”自身でもあったのだが,)私-自身に潜在的な欲求本位だとは認めなかった。あの日,後輪タイヤ空気抜けの所為で私が歩いて帰ってきたとき,“A”店内-棚に幾つも並んでいたケーキ類のひとつが一瞬目に映った。(私はその店には馴染みが無い。)
私は不図に通り過ぎたので,もう開店しているのかどうかも視なかった。帰り着いてしばらくのあいだ,私は自身との対話も無しに,ある年輩者のような印象だった。このように,体が疲労して余分な余地が無いときには,私はメンタル側としての妄想には依拠しないだろう。

2020-04-23:
右側優勢(両眼下ぐりぐり筋肉運動やってみると,左と右とで違うのが分かる。)むしろ肉付きの悪い左-目尻付近が小皺になりかけていたようだ(-強迫的な運動よりも,機能的には‘自ら血行の促し’という副交感神経系の方が良かったのだろう。どの系統を動かせば良いのか,すぐわかる。)

今日‘中心’のために行く。

2020-04-29:
朝,夢では,私の適当に(それ反転したような“キャラクター”に対して)ひとつずつ言い直せたのだが,そもそも私のあれだという絶対的な認識が無いとしたら(-それは私のあれだというこれは無いわけだから,)私がその場に冷静に分析しなければ,すべて水あみになってしまう。徹底的にメンタル側のウソとのそれ可能性を排除してみよう。

undoルート:
私は自転車で例の墓園方向へと出掛けて(ゆっくりと1時間ちょっとで)“In台団地↑↓”という標識のある交差点に出た。昔その辺の町名でもらった手紙の番地を記憶の絵に想い出してみようとしたが,浮かばなかった〔-その“想起”では町名自体が“In台”だったが,後日憶い直しとなった。私が地図に予定を立てようとしたときの印象が思い込みに変わっていたのだろう。〕あるいはその高台でのUFO目撃談が?(私にはロアーの気は無いが,なぜだかそういうことになっていた。)

2020-05-01:
“Ks”交差点まっすぐ東へと,“Os駅”付近まで行ってみようとした。殆んど予定通りだったのだが,“S市街(57)”という標示に沿って上がりかけた処で“文化センター”という看板がみえた(-おや? 目標地点よりも北側に通り過ぎてしまったのか?)私は引き返した。その辺りの地形が凹凸ばかりで見通し不可なので,もしその先に“Hg町”という町名表示がみえていたら,おそらくそこがSy高校すぐ南側だと判明したかもしれなかった.,皮肉なオチだ(私は帰り着いてマップファーに見直して漸く繋がりがわかった。私は地図も聴き込みも持たない,記憶と勘が無ければ失敗というだけだ。)これもまた私の拡張可能なルートとなった。
“Hg町”と言えば,昔私がFCSにアルバイトしていた頃,あたかも偶々のように,あのM-Yがその町名に住んでいたと私に言ったことが遇ったが.,私は不図それは逆に今日の私のこの話題からだったのでは?と思った。私は私の記録自体が原理なので,他人とは“共有”問題は一切無い。仮に同一視が起こるとしたら,例えば私が一度も通ったことの無い“Ks橋(Ks新町)”の光景に今夕どうして見覚えが遇ったのかと考えるに,‘記憶との錯覚’以外の原因と想定されたかもしれない。

2020-05-10: 細部に捉われない
私の目的,これに対する“言いがかり”要素なら,それ自体の自己解消を促す。欲のものには私の言い返しからではなく徹底的に自己解釈させる。

雨降りのあいだに3時間程度の余裕があったので,最短路上でIn台-Fy台へと上がってみた。上がり傾斜の度合いとしては,一見あの東山動植物園に近い町内よりも緩やかだが,星ヶ丘-南側には一辺1km以上の坂道は無い。もう一気に駆けるだけの気勢は起こらない(S薬局の光景には見覚えが遇ったよう.)無理に私の両脚とは漕げなかったので,下り少し手前で私は一度止まった(-ちょうどここ何日かのあいだに,dニュースなどに“マスク装着でのジョギングには心臓や肺への負担があり,”と注意喚起がされていた。)今日私は喉の痰と咳が遇ったのを‘うんどう’の理由としてもいたのだが,汗が染みる程の体熱が起こればじきに免疫側が効いてくるだろう。単純な健康体力維持メタドだった。
その町内一周ルート以前に,ひとつ“見覚え”の路上光景が遇ったのだが,あとではどの地点だったか私は憶い出せなかった。ただ,今回私の地図上予定ルート(往復約32km)だけを完璧に通したので(-例のコピー少年たちに“遊び”を譲らないという徹し,内面に作らないという必然的帰結だった.)‘自主解消させる’私の第一義としての通用である。

2020-05-22: ‘知らせたがり,知りたがり.’
私は今度の‘夢見’については“誰にも言わないこと”とした。
〔-私の‘おはなし’は夢見の実践-発表というタームに基づいている。わたしが取り敢えないで‘発表’の要請化をやめれば,そのメンタル-ピープル側との“焦り”は無効となる。もし実際に多くに要請されるひとが‘別のルート’を行くとしたら,ある有名人のように,一旦“しんだ”と言っただろう。〕

- “自己警察”から‘利己警察’へ(-反転した‘’を問う。)

undo
夜10時過ぎ,地図上での最短ルート設定で“MCパーク”方向(16.42km.)例のガーデン埠頭との距離と,そんなに違わない。“消防署北”交差点,久しぶりに大量の蛙ゲコゲコいう鳴き声が遇った。私の予定ではリニモ線“記念公園”駅-向かい側まで行って引き返すだった。
“公園西”という駅名がみえた辺りで,なんでか既に私の見当識がその“東”と間違っていた(,うちの地図は2014年までの都市情報地図で,家具店Iの建物は載っていなかった。暗がり右手にみえた観覧車の位置がその公園西端に近いという認識が私には無かった。)私はその先に傾斜を上がりかけたが,また例の如く歩道上がダークピットのように真っ暗く見通し効かなかった,そこで引き返しとなった。あとで再び地図にみた処,予定地点まではおそらく700mくらい。そこの北に(このまえの)S市,更にK寺町との繋ぎルートがあるわけだが,その中間13km余を休憩無しで行けるかどうか。
-2020-05-23( 予知-? )
帰り道にはまっすぐHヶ丘方向に,途中北側への斜め道に入るつもりだったのが,私が入り口を見失ったので.,かつての繁華街にまた何度か男子グループの馬鹿笑い(コピーのコピーであるかのように,どれもまったく同じ笑い声,)私としては“街”管轄業務はもう無い.(もし私がもう一度“かれら自身”という動機を投影しそれらを更正または排除しようとたたかえば,私自身徹底的にころしただろう,)むしろ完全な夢としての“ひとり街”といった方が,私の夢みには得策だった。
;(仮に,誰かからの問題が,私自身であるかのように,その“笑いに引っ掛かる”というベクトルとしてこちらに投影されていたのだとしたら..?)

2020-05-29:
私の自転車標準練習ルート(夜):Hd町_M通2より,T医療センター前,あの高架橋を越えてHヶ池通1,先ずJヶ丘3へと上がる。少し下りて再び上がり,墓地公園北。
私はあの墓地公園北からの下り夜道のそれとして光景的に想い起こした(-今晩また行くとしたらどうだろうか?)すると,‘黄色信号の上に見張りがある。’私はなんのことかと聞いてみたが〔,そのとき私は‘その下り道の先に交通信号機が黄色に替わった処’という印象でみていたので,ちょうど私自身の自転車用LEDに黄色フィルムを使っていたのがそれ象徴かどうか,私は思い付かなかった。
直後おはなしは‘男3人が女ひとりを使って騙そうとしている。’-待ち伏せの案件だろうか? むしろ警察がなんらかの問題にそこに来ているというようなことなら?〕
昨朝のうちにダイナモ式ライトの角度や後輪の位置など微調整してみたのだが,私の両足にはやや重かった。私が町内から出かけた,すぐの処で,ちょうど向こうからパトカーが来て止まった。通例的な防犯確認だけで,細かな質問も無かった。これのタイミングは不自然がもしれない? 私はマイペースにゆっくり行った。街なかは普段よりも無人のようで,かなり静かだった。まっすぐ19号線へと抜けるまえに私の背後にパトカーが徐行してきて上がっていった(私はしょっちゅう路肩際にペットボトルなどを見てはそれらが往来の障害にならないようにと一々空気を抜いたりするので,彼らには追い付かなかった。不慣れな通行者が路上物品の為に事故や負傷のリスクに遭う危険性はいつでもある。)
私は自転車のチェーンを交換しないで後輪だけを後ろ側に少し引いて締め直しておいたのだった(これがあのガチャンガチャンに直接有効かどうか,ある程度の坂道上がりと試してみなければ判らない,)Hヶ池通1への“線高架橋,”上り400m程だが,自動車車線際との上がりには難がある(以前よく上がりカーブの外側線沿いに破片や錆びた缶などが放置されていて危険だった。自転車ランナーはそれらを避けなければならないからで,背後の自動車に際して気をつけないといけない。) 上がり始めてすぐに私の右背後にふと誰かが来ているかのような気がした(,今にもその路上に“影”がちらついて,)近づいてくるのではないかといったよう。私は先程あのパトカー2人のひとりがちょうど私の右背後に立っていたのと連想された。私がそこに“なにか”というなら,それは私-自身の“影”なのである。
交差点に下りてまっすぐ,左手に墓地,Jヶ丘3へと上がる,地図上では900m程。今度は右手に墓地がみえる辺りで,私の背後に他の自転車が来ていた。私は余り速度を出せないので,彼が先に行かないでずっと私の後ろにいるのは不審の元だ。私はペースを上げて次の交差点に近い所まで上がり切り,偶然なにかのボトル型容器がその車道際にみえたのを拾い避けるついでに,対向車道側へとUターンしてみた。もしそれが墓地公園内であったとしたら,私は全速で振り切るか側道どれかに消えただろう。
私はいつもどおりにJヶ丘駅方向に下りてすぐにまた墓地公園北への方向にターンしたが,あの交番のみえる交差点に出てから(空気はほとんど動かなかった,)末盛通4へと下りた。