右目の穴を通る + 貼りつく視界

2020-07-05:
午前に掛かり,私は漸く読書に着いた。あの“ 私の中の不思議な他人( イヴのその最終的な顔, )”イヴの流産と夫に対する解離された叩きつけのディナーという場面..。私は少しまえから腹痛を覚えてその原因をかんがえようとしていた。その痛みは右側のようだ。私はちょっと休もうと私の右手にページを留めたまま,仰向けに,私の両目蓋を閉じた。まるでその右側半分にだけ表れたかのように,人面魚のようなものがその片面だけみえた( それが“ 魚 ”の形だとはっきりとわかるまえに,一瞬その頬がいかにも保水されてつるんとした若返り顔のあれみたいに映った。)すぐに腹痛は感じられなくなった。が,これのメモに付けようとした処,再びわずかに痛みだした。

2020-07-04:
欲-原因自体に( ‘ 夢見の実践 ’へと )遡及させる。

2020-07-03:
ある室内に歩き回り見るような一瞬,白い冷蔵庫が置かれてあり( うちの一台にそっくり, )‘ 夢だ ’と( なんでか )わかった。
昨夕,私のこれ以前の記録等を再度参照する作業があったのと( 本編との概要-目次付けのために, )“ 粒子状 ”観察の注-意が働いたとも推測される。
私の記録等について概要-目次にまとめていたあいだに,‘ 欲のもの自体に自己解消させる。 ’という一文メモがあったのは,私自身ありがたかった( -未だ生殖( 性別 )本能的な欲-面が消えないという問題でもある。川のように泉は溢れていた。)
欲-面との問題が無いときに,私の視界よりもこの両目にダイレクトに‘ 貼りついた ’ような( “ そこ ”に無い. )光景であり,すべてが個々に物化されていない( 対象化されていない, )赤ちゃんの視野に近づいているのだろう。最初の視野に於いては,なにも触れられたり隔たれたりしてはいないのである。モネのような印象画家は( 個々の物自体という観念にではなく, )ある印象だけを純粋に写し取ろうとしたと言われている。

2020-07-02:
帰宅あと,私の不図なにかした拍子に,視野左側に“ 跳ねる ”ような動きが遇った。それと,粒子状がそれとの動きであるかのように物周辺にみえた。

2020-07-01: 貼りつく視界
昨夕,久しぶりに図書館にてデータ確認などしてみているあいだに,案外わたしの両目にはきつくて凹んだ。私は夜のあいだにそのやつれさせるような異常な疲労の原因を考えようとした。私の作業自体は2月末までのあれと変わらないのだが,もう画面にも視ていられないかのようだ。
うんどう,酸素不足? あの端末のヘッドフォンで“ ゴルトベルク変奏曲 ”や“ チェロ組曲第1番 ”チェンバロ演奏版が聴かれたりするのが,私の体テストステロン目的には合わなかった?
今夕また私は図書館にて端末画面の前にいた。昨日程の疲れは無かったが,私の両眼というよりは,“ じっと目を凝らした ”受動的な感じ。むしろ,私の両眼が自由に動かされなかった,要しなくての,これは“ エコノミークラス症候群 ”のあれと同じでは?
私は帰り着いたあとこう考えつつ( 不図に,台所用品等光景が, )私の両目に‘ 貼りついているような ’みえた。詰まらなくても,なにかが“ そこにある ”のではなく,もう‘ そこ ’には無い;
体外的な夢見( 関心 )不可であろう。

2020-06-08: イルストレーション
( 昨日分のメモ直後,私の視野に, )室内の隅,なんでもない部分が一瞬,金属製車椅子の形にみえた。-足の痛み?

2020-05-24:
今夕,St市方向から南へと(-“記念公園北口北”)当初予定からは反対回り。今度夕闇の時間帯ぎりぎりに間に合ったらと思ってみたが,St市に掛かる以前に既に両足走りにくくなっていたので,20時前後だった。“南山口町”交差点(道路向かい側にガソリンスタンドがみえる,)地図上では上-下にSt市とNk市との,その一本道路209に拠って“モリコロパーク”が蔓にぶら下がった果実のような形に表示されている。その公園との行き止まりまでちょうど2km,私の行くまえに,‘そっち側にも(-あの昨夜“公園西”駅前との間に遇ったのと同じような)真っ暗い道あるよ,,’と,おはなし言ってはいたが,自動車往復路だからいやいやな通れない所も無いだろうと行ってみた。(私はその“暗い道”長さはどれ程?とは尋ねなかった。)
実際にはその間の数ヵ所に施設等入り口点灯がみえる以外ほとんど暗がりだったし(その歩道上には白線一本,やはりきれいな路面,が)上がりの面だった。昨夜あっちでのような二の線を踏むわけにはいかないと,私は止まれないというよりは止まれなく上がった(この自転車のチェーンが度々外れかかるのは,おそらくも部品自体の損傷や掛かりの弱さというのではなく,タイヤ等の替えが無いので路面に対する抵抗が最小限となり,負荷が急に増すと車輪自体すべるからだろう。)ダイナモ回転に依る標準前照ライトは私の手で予めその前輪とのラブを弱めてあったのであれだが,もっと照らしのライトが必要だ。
そう言えば,どの道筋でだったか,暗い中に私がペダリングしていたその最中に,視界左側の急に薄白っぽいあの“跳ね”なにかが一瞬遇ったが,それ自体ぼんやりとした(不明瞭な)女の人形みたいだった。

2020-03-25: 右目の穴を通る?
一瞬毎のイメージ等が(その度に,別の)どこか見慣れない異界のそれのようだった。

早朝まえに自転車ひと走り夜道しようと,ところがお腹の不調なのか,私の通りには両足動かなかった,重い。昨晩かそのまえ,少し早い夜半にはN駅前付近に未だ若い者たちみたいな数人ずつがマスクも着けずに歩いていたが(この何日間かのあいだに,あたかも歩道上も次第に口数少なくなっている,あのけたたましい笑いも.
2月に私は“パンデミック”あるいは“ボロまといの草刈正男さんが浜辺で魚を叩きつけている..”というあの映画の絵が遇ったりした.)
私が人影や数を避けて一々に距離みているからか,今朝には大通り等にも見掛けられなかった。不図,私の視界に‘右目みる’意の働きにくさ.,未だこの真相と捉えられてはいない。
“右目の穴を通れ”は云わばあのカスタネダの呪術師匠との課題と同じ類いで,見れない原因そのものとしての遡及が無い(という意味での“夢見”実践者ではある。)私は先ず左-視野との違いに気づいていたが(私の眼鏡など掛けていると,左側のその縁は明るく映るのに対して,右側のそれは比較的暗い,)これについて真剣に‘見よう’という注意が無かった(-避けていた?)おそらく視野焦点-遠近が違っていて,右目では手前のものをはっきりと見れないでいる。
こう注意してみると,この問題の面として,先ず右目視野の(右端)下に“見れない”がある。これのなんなのかを問わなければならない。

2020-03-24:
再びあらゆる状況に(依拠しないで)‘夢だ’を適用する。

・私の右目の穴を通す。

2020-03-20:
+ 右目自身に‘みる。’

通常夢には面白くなかった。(両目蓋-閉じての視ようとしているあいだに,)一度,なにか一瞬に(空気の)旋回して去るような動きだけがみえた。

2020-03-19:
+ 常に‘直後’に向かって意とする(一瞬あと。)

2020-03-15:
夜中に肌がしとしとしてきた。