明晰夢-神経を鍛える

2019-10-31: わたしはおそろしい
夜,暗い室内に立ってみると( その暗がりにはなにも恐ろしいものは無いので )私は恐ろしくなった! 
台所に灯りを点けてみると、急に胸中の泣き出したような感覚が遇った。あたかも右側-風呂場( 消灯あとだが,一見あかるい映像に )長い髪-若い女のひとり裸で腰掛けたまま嗚咽おえつを漏らしているかのような横姿( その姿としては私の通常イメージにみたようで,投影的に一瞬そこにあるのかとみえたが )。おはなしには‘ ミヤタさんという家に行く筈だったのに ’と言っていた。私が以前から聞いていた意味不明なワード等のひとつ,“ 美少女 ”の関連だというのだが、わからない。〔 -このようなワード等には,象徴性や,綴り替わりとの問題が常にある。〕

2019-11-01:
今夕,偶然か、私の目にご婦人などくたびれたような姿を見かけた。あっというまも無く‘ 冷え ’込んだよう。( 路上に,自転車転倒の方を起こそうと声を掛けたり。不慣れな暗い視界には無理な路面凹凸に落ちるか当たりパンクの危険が必ずある。私は飲料の鉄缶が転がっているのをみたら必ず安全のために転がらない形にしてから路面-縁に除く,あとで私のような誰かが偶然‘ 空き缶 ’に故障したり事故ったりしても後悔できないだろうから )。
- 今,寝てはいけない。

2019-11-03: “ この子 ”現象
あいだの子 ”は反転される。私は法則的に理解するだろう( 私は周りのおかしい行動全部に計算できた筈だった。 )
‘ 自責の念 ’という危地? ‘ 現象 ’そのものは不平と関わり無い。

2019-11-05:
ある‘ それ自体とのラポール( 関係性 )’焦点は,私の条件的には‘ 夢見 ’そのものと機能していなければならない(,予め外部から呼び起こされると感覚されるときには,これは現象的なとみなされる )。
私にとっては,年々麻痺したかのような身体感覚自体を今一度“ 強化 ”するのが,ひとつ方法だろう思われた。肉体感覚それら記憶等に対して自身との拒否的であれば,寝入りには身体自身を持ち得ないわけだから、‘ 夢見( の身体 )’可能性は無くなる。身体性が発達しつつある年頃のひと自身には,いかにも“ 金縛り ”という利己-喚起や体外離脱体験的な機の多い。

再び自転車うんどう最中に‘ 夢見-条件 ’点けようと試みる。私には路上での感覚自体が麻痺しているのか、一体の滑りだしには体勢的な瞬間が必要だ。
出だしには,私の視界右側-投影のみに‘ 夢だという注意 ’が働いたようだ。これは左側優勢の前回とは逆で,こちらの左側にはなにも反応無い。私は敢えて私の体-動き自体との条件点けしてみる( 以前‘ 視界からの動き ’に基点を於いてみたが,私は最早“ 投影されるもの自体との写し ”にはしない )。すると,一定の持続する効果がある。 - 私は最近‘ 偶像 ’が起こる度に,私の体に( 若しくは性-原理の発生箇所に )収拾するよう心がけていた。
-
本山交差点付近の路上には口写し言葉を発するような男子数人連れ歩きがいた。私はそれがうちの家族に関するプライベート口調だったとしても( -北図書館のあの受付女子係員が,そのカウンター前を歩いただけの別の男児に向かっていきなり“ コウシロウくん! ”呼ばわりしたときのように ),今や私の考慮には値しない。むしろ,私からは,あのOTを偵察役としてその辺に通わせてみようという意図が遇ったのと思う(?)
言うけれども,あの若い子たちがいかにも単に口写しをそうやって言いたがるだけのオバサン側みたいに,もっと古いものに逆行し囚われているかのようなのは、無駄に過ぎる( 若さが犠牲に? 私の独尊と自由を侵そうというものには、私は逆に霊感を用いてでも秘密裡に内偵しなければいけない.. )
私が怖れていたのは,それではない( -私は比較対象しない,私の残り時間が無い.,)私と自身が望ましくない一家の誤信という偏見それらの為に自身と奴隷化-酷使されるという,本当の不安だった。路傍かれらの口写しは,私には,死に間際の声であり,なんの価値も無く,今この瞬間も‘ 夢見の実践 ’には単に障害である。

公園口に上がってから墓園方向への道路沿いにみると,枯葉の散った凸凹舗道に更にその樹木等が暗い連続的な影絵と溶け込んだかのように映り、私の直前から離れていくように,私は失っていった。
- 私は光景を行きながら,逆に‘ 今寝ている( これは寝ている最中の夢 )’といってみる。
| 寝端では,‘ 私は目覚めつつある..( 起きながら視る現実 )’という。

2019-11-06:
20時過ぎ,敢えてN駅前など通り路に行ってみたが,私なにも触れなかった。私の目的は( たとえ背後に笑いの子たちがいても )途切れ無く‘ 夢だ ’忘れないのこと。これは純粋に私ひとつきりの(“ その場 ”や“ かれら ”ではない方の,光景的な縁故でもない. )
このまえ‘ 自己カリブレーション ’として述べてみたが,私の‘ 周縁 ’自体をこの条件化に使うという,手っ取り早いアイディアである。然し,本当に“ 投影 ”が無くなれば、これの機械的なブザーは役立たない。私はどこにもなにも知覚しないだろう。“ これ,あれ,こちら,あちら ”が無くなれば、“ ひと ”としての私は存在しないし,自ら対象化するのは易しくない。
+
以上は‘ 夢見 ’への方法論である。之かし、例えば,夢-最中に‘ 夢だ ’と気づかせる-起こす要素( 動因が )“ 無意識 ”どのレヴェルでどのように働くのか,という質問( と,実験のための試考 )。

2019-11-07:
・ 全部‘ 夢 ’因子に。
( 私の動因化する )
・ 前向きに予言する。

2019-11-09:
私の両足は力無くリラックスしている,が、私はただこれを動かそうとしてみる。この抽出自体に拠って‘ 夢 ’みる,可能か。

2019-11-10:
私自身‘ 今この瞬間,なにが足りないのか ’と憶いだすには可能だ。-だが,夢ではそうならない。夢自体であろうとするような( ただその状況自身としているだけの-? )欲求が先行しているのか、ある夢自体の論理なのか。

+ 終局と,能動的・

2019-11-11: 中心起点( 基点 )
寝床で( 寝入りまえに ),ひとつだけイメージが遇った。あたかもグラス製の円筒形6段程( それら積み重なったかのような,その上段ひとつ毎に幅だけが小さく,そのトップではその段-高さと直径とがほぼ同じ。 )
私は先月28日付に“ まぼろし,記憶とイメージ(:2017-10-26 )”を関連引用として追記した。偶々2年まえのその記録にその当時イメージについて述べられてあった。‘ 同心円状の石製床-小型ホール( 暗い ),その周縁上段に人影のようなシルエットが ’という一瞬である。私が今回みたのは,その凹型に対する凸型であろう( それの材質観にもあかるくなっていた。),あきらかに,私がその自記録に再び読んだのが,今度その‘ 対称形 ’として表れたきっかけであろう。
私が以前の記録等に参照リンクを振ったのは別の理由からだ( -私が路上自転車のあいだに度々繁華街へと途中ルート変更したのは,予め‘ 笑い少年ら ’の誘導ではなかったか? という逆の見方。;2019-10-28
睡眠中-夢の論理も,不意な-街路上の彼らも,私に対して先勢しているかのような,という点での共通項であった。 )
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但し、私の‘ おはなし( の発生 )’に関しては,それの最初時期が-98年( 私がインターネットで発表し始めた直後 )と見れば、私の発信自体とは“ 受信 ”という待機の性向でもあり.,もしその分離的な業務が進展しなければ,私の閉じるは以外の無い,という状況であったのだろう。いわば“ 街 ”が“ 待ち ”であるとは,最悪な偽ものデッドのようではなかったか? 

(‘ 路上 ’終わらせたように,)‘ 視ざる,言わざる,聞かざる ’効果は出ている = ‘ しない( 4さる )。’
すべて流入する。
初めときのように,背筋中央に焦点しようとしてみる。

動き起点を‘ 夢見の実践 ’とする( 先ず )。
動くとき( 両足 )食べるとき( 咀嚼 )呼吸するとき,‘ 真ん中 ’で行なう。

・ ぜんぶ内向きに。

‘ 夢 ’自体への集中的効果 :2019-11-16