夢を止める-再

2019-10-22:
朝方の夢自体は詰まらなかった。寝床で,直前からの空想に、無駄。不意に,冷蔵庫に開いてその中に覗いたという一瞬( 正面-下棚その少し右側に )なにかがものすごく白青く発光していた。やや縦長の光だったが,なんの形か,見えなかった。
‘ 現象は自己外界からやってくる ’というのが今週私のテーマなのだが,あの冷蔵庫という印象が,なにか私の象徴性から表れたものだとは思われない。私の身体性や肉体感覚とは関係の無い、‘ 栄養源 ’という意味合いにはなるが..。
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読みかけ“ 医師の心霊研究30年 ”に,ある“ 霊 ”の語りとして,“ 彼は自分の意思で行動しているのではないのです。悪がしこい霊が彼の磁気オーラの中に侵入して、彼をあやつるのです。 ”という( その本の内容に殆んど繰り返しあらわれる語の,ある一種として )。私は‘ あたかも身体周りに知覚される,あの振動のような感覚に関して言っているのか? ’と。それから連想的にか,私の右側付近になにか青っぽい縦横-直角線等の一見不規則な模様( ちょうどブロック等の縁に直線を互いに交わらないように繋いでいったらそんなパターンにみえる )。私は‘ -ははあ,さては先程“ 第三種の接近遭遇 ”Jウィリアムズ音楽のクライマックス部分が連想的にか案じられていたから,あのマザーシップ底面とのイメージに変わったのだな。’,併し、あのデザインは宮崎駿の“ お釜の底 ”にも遇った( 光が走り,あの底がブロック状に抜け落ちる )。

路上“ お笑い ”は再び小学生男子と街路女子に移りつつある? いや、私は“ 国の祝日 ”に本当に知らなかった。西図書館,午後5時直前に着いてから( 最初カウンターできちんと説明されなかったので,)私は図書館カレンダーに視たあと‘ 図書館の祝日ですか? ’と真面目に訊ねた。もしそこで“ 天長さんの- ”と聞いたら,私は余分に言ってしまっただろう。( 今朝“ 未知との遭遇 ”ラストシーン音楽が掛かっていたと私は述べたが、そう言えば、私は以前おふざけ半分のようにあの通信用5音に“ み-そ-み-も-め ”とよんでいた。むしろ“ 竹取物語 ”みたいな。スピルバーグ版“ 宇宙戦争( その世界等の戦争 )”に鯨の音響が使われていたのも偶然ではないだろう。 )

仕方は無いのでやや小回りの自転車うんどうに転じた。W大通まっすぐ東へとYY通に上がり、例の公園口から北。
その帰り路までの既に暗い歩道上,なぜだかまた,単独歩きの若い女子が‘ 人身距離 ’を考えないかのようなぎりぎり接近してきて通りすぎるようにみえるのが少なくとも数回遇った。‘ 終生お断り ’の私としてはただ単にいやだ。私の霊体が通じればその子らは事ある毎に他から断られる可能性がある。〔 原注: “ お断り ”という対立的な要素が実際にはその逆接的なものを招いてしまったという見方も- 〕
( 取り敢えず“ 迷惑行為!ハラスメント! ”と完璧自己中心に言えばいい。-対称化してはいけない。 )
昨夜今朝以降の急な‘ 右脚後退 ’との関係か?( これは冗談無し, )いや、‘ ものおもい ’の対称型こそ(“ かれら ”扱いには )不利だ。すべてはただ純粋に‘ わたしにくる( 再び流入する )’だけでいい。肉体の呼吸だけでなく、霊的な呼吸法についても意識化が必然だ。
睡眠と夢は、ある意味,でたらめな発語のために私のエネルギーを費やされるのと同じことだ。それだから,私は夢をやめなければならない。

2019-10-23:
朝方までに私のメモ内容点検したり読書したり,顔体操の方法など( 足下に鏡と下向き顔を写してみると、年齢がわかる。その状態でリフトアップできるか? 殆んどの場合、自身のそんな衰え顔をみるのは私本人ではなく傍からの他者だけだというわけだ )。
私の寝床に読みかけを置いて,両目の閉じたその直後、昨夕私の上がったあの墓地公園内から北への部分が夜道光景のように遇った( その左手-道路際に墓場とあの車停め )。上がって行こうとするときの視角,その暗い道路の向こうから,あたかも自動車フロントライトのような円い光,2つ。それがなぜだかまっすぐにこちらに( その対向車線に急に来たかのように )向かってくると,そのライトの光色自体が紫青がかってみえる。先程風呂場でのあいだに,私の左手甲が視界に紫青色に映ったかのようにみえた。私はそれがなんの意味なのかわからなくて、昨夜おそらく5年振りに白ワインの半-杯( 電子レンジでアルコールを蒸発させようとしながら,耐熱ガラスでなかったからか,容器は割れてしまった., その香りだけで充分なのだが、氷で冷やして )飲んでみたの所為か.,などと見ようとしたが、わからない。心理的か、成分自体が脳に影響しているのか? 

2019-10-24: 自己カリブレーションと,自覚
昨夕までの私の一現状としては,このまえエリクソン氏かグリンダー氏のトランス実践関連ワードに借りて言えば、カリブレーション( ある対象に向かい視野の周縁で感覚するようにしてみる ).,但し、“ 相手 ”ではなく,これの自己向けをやってみる。そういう意味での,たとえばNLP関係とCカスタネダ-ドンファン対話とのリンクがあったようだという指摘は尤もかもしれなかったが、私は“ 自己分析 ”的なやり方は分離的な構想であり( あたかも“ 明晰夢 危険 ”といった方々が遭ったように ),やはり能動的な手法を優先するのが私の第一解決方法だ。
だれかとの“ 催眠 ”や分析には,おそらく“ される ”という要素ゆえの問題がある( -固着のおそれ? )。そもそもNLPのP( プログラミング )がなにを意味するのか,“ トランス ”よろこべない側としては利用-理解しにくいのが当然だ。
普段注意の向かないところに,注意が向かう。霊的なニュアンスでは,現象的な趣向がある( そこに‘ 秘密 ’がある )。もしそれがだれそれや人物型にいるようなら、お節介がある。

私の普通自転車でC坂からJ丘に上がろうとしていた。不意に( 珍しく )白い女性みたいな顔-正面,その両眼周りと横つながりに黒く縁取りメイクされたかのような。その頭-両側に放射状の透明ひれみたいなものが開いていた。その一瞬自体はきれいだったのだが(“ 妖精 ”というよりは“ 精霊 ”か )不明。

私は立ち体勢でのペダリングが基本なので( -走りのあいだには私は一度も腰掛けない,)ある傾斜以上の坂道では( 若いマウンテンバイクのひとなどは一気に駆け上がろうとするが,)ゆったりめの上りには更にリラックスが肝心である。交感神経系を迫-激しない( 視床下部に訴えない )適度な自由うんどうの方が心身にはやさしい。

2019-10-25:

“ 子ども ”がやめる日( ゴールデンボール )
私は‘ 発情 ’には乗らないと決した( 赤ちゃんには撞着しない )。決して,どんな感情にも乗ってはいけない。
今週,道端には、若い男の“ ああー~ ”という、一見その連れのだれかに喋っている最中かのようなが,繰り返しのように遇った。私が最後にそういう口調を使ったのは、20年まえだった。
〔 それから、口写し側が“ はい ”に移行したのを,更に‘ それは不誠実の極みだ ’と先制した。私は被-催眠の側にはなにも要求していないと言った( 私はあの下校中学生たちの“ にやにや笑い ”にはなにも言わない筈だった。本人たちが理解していたら,問題は無かった。私は“ 自分ら ”とは言わなかったが、仮に“ 合体 ”などというグループが遭ったら,それはひとの神権をおかす非客観的な変体に過ぎない、と。) 〕
-人のレヴェルではそうかもしれないが。少しずつの“ 笑い ”なら、私には大きい金ボールだ。
〔 このまえ偶々テレビ販売広告画面に,金色の三角多面が凹凸等のような表面という18金の球体が大写しにされていた。そのとき私はつい若い日のようにそれを指輪のように着けてみたいとおもった。それは例えばオールインワン美肌CMにみる“ 商品効果 ”モデル顔とはまた違った意味合いであった。 〕

寝際に,昼間の歩道上光景として、その前方横に施設-門( 視角-陰 )自動車が出てくる一瞬。

夕方,体は動かず、いつもの半分も走れない。だが、言い訳だとも思う( 脳のくたびれかどうか )。

2019-10-27: フライング( 夢記録: )
眼下に‘ 海 ’のような映像。初めにそれは遠近の感じられない,平面的な絵のようだった。私は敢えて‘ 高い所から見下ろしている ’と視ようとした。高い崖の( まっすぐな縁 ),かなり高く,より高く,すぐに地表が離れてみえる..。
私は‘ 落ちるだろうか ’と従来からの不安を覚えてはいたが、( 意図が働いたので私の効かすのは可能だと )体ごとその縁から空中に出るようにしてみた。視点はその崖から移動した。すると,すぐに‘ -“ 落ちる ”というのは,不安そのものではなく,ただ“ そこに落ち着いていたい ”の為であって,その空中高さ自体には不安は無いのだ。’と私は理解した。眼下には,なにかその濃い青色ひとつ毎に長い雲のような( 青い粘液状が飛散しかけて一つに固定したかのような形 )ゆっくりと漂っていた。
〔 私そこでは‘ より高く上がってみよう ’とはしなかった。怖れてはいなかったとはいっても,“ 眼下 ”という対象が無ければいけなかったというわけだろう。あたかもグライダーで滑空し次第に降下しながら,それ以上高く飛んでは行けないといったかのような,“ 限界 ”ではあった。
以前“ 太陽 ”に向かって飛んでみようとしたときには,私は浮上できなくて“ トタン屋根の家屋 ”を間近に見下ろしただけだった。-‘ 浮上できなさ ’は,“ 地上 ”故であった。 〕

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起床直後,上記更新のためには,食事をあきらめて30分の間隔を20分で駆けなければならない。夕刻街路を疾走するのは事故リスクが高い。アログへのアップは明後日になるだろうが、そのときには更に良い記録を出せるだろう。
それで,私は食べながら例のCAウィックランド氏-著書に読んでいて( 第9章,終り近くに )次のような台詞が懸かった。( ある,G夫人に憑いた霊が,I氏( その婦人の夫 )に気に入ったからとわがままを言っている。医師ウィックランドの介在により,その霊は霊媒ウィックランド夫人に移った。G夫妻も同席しており,“ 霊 ”はまだそのI氏に言い続けている- ):
霊「わたしは、あなたの奥さんに眠って欲しくないんですよ。だって、彼女が眠ってしまうと、わたしはそこにいられないんですよ。わたしは、あの気持ちよいベッドに寝て、あなたに世話してほしいんですよ」
医「あなたは、あの婦人を一晩中、眠らせなかったんです」
霊「何故って、彼女が眠ってしまうと、わたし出て行かなくちゃならないんですよ」

:これが意味すること,本当にその“ 霊 ”の言う通りなら、人類-動物は粗方“ 霊たち ”の問題( その影響などを見分けられないので,一自身だと信じている )、あるいは“ 私は起きている ”と言いながら、本質的の眠り以外では,悉く相互影響されている。このような概念の転換は( 外界的な日常こそ全部ニセモノであり死んでいるという最近の私自身みたいで )面白い。

2019-10-28:

‘ 夢 ’と先制する
夕方過ぎ,茶屋坂通_平和公園北から南口まっすぐ抜けて,本山交差点には通らない( 誘われるような以前の通り方には,決して避ける。
;デッドゾーン:2019-08-24
;まぼろし,記憶とイメージ:2017-10-26
)。暗い町内通り上り下りで練習。四谷通3では,“ 私,そこにいる ”という観念を匂わさない( 例に“ ここは錦通-伏見 ”などと場所や通行人たちが擬態化されると,途端それに反応するようなひとが毎回 )。-私の“ 焦点 ”と“ そこ ”?

私は実際には“ 雑踏 ”と言っていたのではなく,なにか別のもの別の時をみていた。私自身の,あるいは( 私のおはなしでは,“ あるおじいさんの,クリスマスケーキを持たなかった日の話 ”というが.. )。私は私の‘ 心理的主観 ’という視点からだとおもっていたから、あれは私の拒否した内面だという見方は尤もだった。が、もし,ある残留思念媒介的な“ 地縛霊 ”というものがあるとしたら..。
私自身-周りを消して( ここはどこ,ではなく )完全な単体でなければいけない。待ち受け側が残存していれば,反応利用される。
私の走り出すまえには顔面-体調不良-頭痛が気に掛かったが( 風邪? ),雑念の無い,なかなか良い走りができた。私は走るときには憶い出さなくなっていたのだが,途中、一度だけ‘ 今,夢だということ ’憶いだした。

◆ 言動-現行ぜんぶに監視し,‘ 夢だ ’という。

2019-10-30:
夜,時に,屋外や玄関側から呼び掛けられるような気がする。それ気温が下がったからだろうか。

◆ 身体的な‘ 危地 ’を利用する( の可能性が導かれた )
・ 身体性( 夢 )は,“ 物体( 外在 )”よりも,直接的である。この意味での‘ うんどう( 半-強制的な,半-応用の,自己外在性 )’は,‘ 夢 ’との消化である。