表出,感覚と空間

2019-09-30: 入眠時‘ 無呼吸 ’
“ 入眠と,カタレプシー ”という類推は、直観的だ。性的エネルギーが実際には‘ 分離 ’の為ではなく事後の収拾に用いられている( 夢見には・‘ 未前の,性行為とは行われなかった ’という理で。 )
このときには性的充溢や代替は起こらない。これが意識されはじめると、現象化する( -可能性。 )

2019-10-01:
夢の特徴あらわれない。[ “ ほうれい線は消せる! ”という簡単な本に読んだりしている( 2014,外面と?内側からのアプローチ。 )]むしろ内面には触れないで、‘ 夢だ ’のきっかけとする。

現象的な表れとしては、私が居間にいると時折,ある壁際にだけ( 気配無しに )“ くすくす ”笑い声が聴こえたり、うちの母の咳払いに似た音がそのように別のところに聴こえたり。またもやはもはや無い、性的機能がそれ自体に用いられていないときの常だとは。
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付足/‘ おはなし ’予告?〔 2019-09-28:
夕方“ 残穢ざんえ”というホラー映画が放映されていた( あたかも意地悪い拒否的な人はひとりもいないかのような語り口でありながら、歴史観に対していやがらせになるような例の,寄せ集めとモノマネ画像そのものといった内容 )。
なんのことか私は知らなかったが、その途中“ 炭坑 ”に関するお話があったので,私は今朝か今日どこでだったか( その映画を視るよりもまえに,無論私は一度もその話内容には知らなかった )、偶然“ 三池炭坑から脱したという出自 ”というおはなしが遇ったのを思い出した。
昔社会科かなにかの教科書に“ 足尾鉱毒事件 ”と簡単に書かれてあったのは微かに憶えにあるが、“ 三池炭坑 ”という言い方にはわからない。 〕

朝( 頭皮に痒みがあったので少し指先で掻いてから、不意に )右中指-人差し指先に温感があった。さては神経的に血行が促されたのかと思い、その指先で両目下に触れてみた( 私が頭皮に触れたのでその指先が不潔だという理由が効いているとすれば、敢えて )。だが、神経的な作用( 感覚 )だとしても,それが即‘ 血行促進 ’だというのは私の思い込みで、指先自体は物理的に温まったのではない? 
私が上の記録等を読み直し整理しているあいだにも,一度‘ 温感 ’があった( この指先等にだけ )。

午後、右人差し指が温かくなる度に,思いだせる。

2019-10-02: 私は起きている
“ 夢、夢見ること( こころの臨床セミナーBOOK )”というタイトルが遇ったので、かるく読んでみる。わからないが,索引ページ語彙等がいい。
先ず、情動との同一性という古くからの問題。- 私は感情体としてではなく、すべてをデータとして見れたら。もし情動的な扱いにそれらを切り離して観察するなら、あたかも“ 自分自身 ”アパートメント一室に隔離しては隣室等に見聞きしあれやこれやと言及しようとするような( しかし私は読むまえに‘ デパートメント ’だと言っている。‘ 私の ’行為が必要なら、どのコーナーにも素通りしたり注目したり。 )
抑圧の原理、なぜそれが必要が? 

夢で,男が( 左側から )黒革ベストに眼鏡姿の暗い顔色で,不意の私に非論理的な( 強圧するような )言い間違いをしてきた。
〔 AIロボットというよりは、予め偶像-象意という夢の側からの含みでは遭ったのだろう。私は未だそれだとは注意できなかったが,無論 〕私の論理性に拠って冷静に言い返した。明らかに変な状況に対応させられているという処で,目が覚めた私。
そう言えば、私は寝るまえに( 私が先週述べたような,過去“ 体の秘部 ”であったような-にも解放された,力まない-として )ただ転移をしないという無関係の因であった。“ 他動的な ”転移に依るは私の死に等しい。
そのとき私は( 何年間も寝床で感じられていたような )疲れはてたような感覚は一度も無かった。物理的エネルギー量が高い方が‘ 私 ’を保つには良いのかもしれない( 肉体と脳にとっては? )。そのために,例えば食べる量よりも,なにを食べないか,先ず栄養質に高めるを優先してみた。

[ 私の両目下-疲れにフェイシャルトレーニング系のやり方を少しずつ試している。( 例えば,下目蓋に人差し指をあてがい,口を“ ほ ”の字にするという顔筋本位のやり方と., )よく人差し指あてがう位置が瞳-直下であるかのように図示されている場合があるが、ここではどの表面ではなくて、どの部分を動かしたいかに因る。私には、少し鼻側に近い深層から動かすのが一時修復力になるようだ( 但し、継続的な効果があるかどうか,未だ実証されてはいない。 )]
ちょっと強めにやろうとしたら、右下目蓋ちょうど影に急に虫刺されのようなものが出た。前回のひとつと同じ箇所なので、なにか別のものだと。余りに指先で押さえたりすると。

“ 夢、夢見ること ”読みかけてみると( 先ず語の理解は必要だが )示唆に富んでいる。私はエリア51やプレアデス星人セミヤーゼのお話なんか憶いだされた( 却って“ さっきの夢の像をいっぺん冷徹に撃ちころしてみる ”,それから、長いまっすぐ階段途中にやや細身紳士スーツ姿のこちら向きに立っているというイメージ,その厚縁眼鏡も顔も白っぽい面だけのイラストみたい。“ 帰っていくあのひと ”という言い訳? )。

2019-10-03:
私は革ベストを着てはいないが( 久しぶりに生鮭食べる機会があったので )その‘ 皮 ’との捕食性という意味合いが遇ったのかもしれない。自身その‘ 身 ’であると? ( そう言えば、先週‘ 熊の鮭獲り ’という連想があった )。
[ アルバイト代があった頃にはうなぎなどもよく食べていたが、ラ-フランスというデザートも捨て置けないものであった。]

今朝,夢には“ 後ろから接近する女 ”が遭った。屋内,見覚え無い造りに一見図書館-受付カウンターみたいなスタンドひとつ。その左手に無人室かと思いきや、小柄な女の子ひとりと婦人( どちらもワンピース後ろ姿のようで左右に少し離れて立っている,その半ば室内日陰にみたような。 )私は離れようとしたのだろう、少女の姿はみえなかったが,“ 女 ”はわたしの背後に回り込んだのか非常に素早く接近し,こちらの背中に触れようとした。
〔 先月16日付“アフターバーナー”の例以来( 路上,“女”が背後から私の背中に触れようとする. )いずれにも“女”は無言であり顔も見えない。私は既に“女”とは呼んでいないのだが、ある心理的なホラー性ではある。以前,深夜早朝“ 墓地公園 ”に自転車ルートしようとした時の私には、その夜中墓地等の間をスルーしているという孤独-恐怖心に因って‘ 背中に剥がれる ’感覚とおぼえたものだ( 既述あり )。当時私は“ 海苔が剥がれる( 出る )”などと言っていた。昔わたしは偶々お握りかなにかをあとで嘔吐したので‘ 海苔のものが吐き出された ’という記憶と関連したかもしれない。“ 張りつく女 ”はこれの逆みたいで、依存性( 幼児からの )かとも思われる。昔うちの妹が自転車で2人乗り時に,私の無視するの振りを背後から‘ 怒って ’いきなり背中に噛みついたが遭った。これも昔,私のアルバイト先で“ K ”というオバサンが冗談半分の話し合間に私の背中に両手から掛かり着く振りをした。( 私にはそれらは婦人に因るホラー性だった。)
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そう言えば、私は“ 夢、夢見ること ”の本を偶然みかけて借りるまえに“ 憑霊とシャーマン ”という別タイトルに参照しようとしていた( これは書架ではなくカウンター傍に偶然テーブル上に配置されてあった一冊その引用部分から.,日本古典物語などに於ける“ 憑依,憑着,憑入 ”だったか、それら語それぞれが概念的にどう異なるのかが説明されてあるそう )。私の霊媒研究が至らないので、“ 婦人後ろに目がある ”という例にも私の理解は進んでいない。 〕

例の人差し指-‘ 温感 ’は昨日今日とも数回ずつ遇った。私の意識そのものと関係性があるのかどうか、未だ発生( 喚起 )要因わからない。
( 今ちょうど,最新更新日付へのリンク付け直しをしようとして,その以前“ Nothing's gonna stop me now.( 仮 )”と書かれてあるソース部分に視た瞬間,不意に右-人差し指先が温かく感じられた )。

2019-10-04:
‘ ひとり ’と言い倣わされるとき、結局,私自身のマスターB投影となるような性向はあり。しかし、今回そのような‘ 可能性 ’は予め私の視野にあり、投影=通常のキャラクター表情( と思われるような,夢- )要素は経過的にそれだと示唆されている。
あるいは肉体的に強い( 発達中の )子女が“ ポルターガイスト対象 ”とみなされうるようなケースは,一時期の無意識的なタイドであった。私としては( 例えば“ 介入 ”だの“ 囁き ”による- )“ 浮いている ”状態自体が自動的な乗りなのか,作為なのかをはっきりと見るに注く。
2007年頃までのわたしは,自己投影の自身的な内容である( “ 夢、夢見ること ”前文によれば、ウィニフレッド,いや、ウィニコットの“ 母親スペース ”というのがそれに相当すると思われるが )退行しているかのよう。ある30代後半女性がクライエントという自由連想と夢-表れへの分析例が紹介されてあり; そのひとが“( 分析室での )ここが現実であると感じられる ”と言ったことに関して,“ この女性が‘ 夢見る ’ことができるようになったことなのだろう、と理解しました。”と松木さんは述べてあった。
私にとっては即‘ ジョンレノンは目覚めなければならなかった ’という言い方であった。