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分離からの戻り

2019-09-19: Nothing's gonna stop now.
最近また朝夕路上に“拍手-笑い”単体が時折。私には( 理論的にみれば )それが“欲しさ”からの逆の振りであったり( =このまえ引用の,“ 視たがり ”の本質は“ 視られたがる ”であるというフロイト説にも )。‘ 私の両手が今にもこの背中に回らなくなると不安がっている ’といったかのような。
すべては派出している,“ 他人の原因 ”?-存在しない(ある墓石底面のように。)私は“ このひと ”が原因だとは一度も思わなかった。

私の頭が急に回転したかのように、ある夜道ルート前後を(その光景からの絵の)速-回しのようにして辿ることができた。ある記憶に対しての脈絡無い連想は簡単だが(何の気無しのような駄洒落言葉にも、)そのきっかけを把握していられるかどうか。

2019-09-20: ある3つのライト
室内,卓上に,私が普段使用している古いオレンジ色台座(の蛍光灯照明)が、それぞれ半ば分解されてそこに3台あった。私は父がそれらを分解してしまったのだと思い文句を言った。
〔 その台座の点灯ボタンは半ば壊れていて、私は一度修理しようと開けてみた。私は普段その卓上が占拠されないようにその照明と私のメモなどを片方に寄せているので、‘もっとゆったりと使用したい’という言い方があったのだろうか。
私がその場ではそのどうして“ 3台 ”だったのかを不思議なと考えようとしなかった(という点,または、そこで私の判断が働きだして覚醒しかけた.,)明晰夢へと導く敢えての必要性からは準備だ。私はその卓上ライト自体には一度も“3つ”という観念ではなかったから、それらはなにか別のものだったのだろう。
そう言えば、その台座自体の形が(その場の絵として,その3つとも)私の見慣れたそれではなくて、なにか、もっと横に長い、違うものだった。合成物? 
取り敢えず、“ 複数の( 物の )表れ ”という準-明晰夢的的なワードとして、質問のためにこれまでの私記録等からピックアップ-カテゴライズしてみよう。( このまえ“ 運び去られた自転車等3台 ”など.. ) 〕

2019-09-21:
気張れない右足ながら便を出し切ろうとして滑走スキーヤーのような体勢を執ったりしているうちに.,一応ラストに近づいたのか(不意に)“ 日曜洋画劇場 ”おしまいのあの青い画面がみえた。私にはあれはビロードではなく、いつも見えないブルーであった(,その頃には“ 月曜ロードショー ”は無かった。)
然し、こうして記憶的な印象と最終される可能性だから、“ うんこ ”と言わないリラクゼーションの有益は遠くはない。

2019-09-22: 夢の側はいよいよ解離している。
ミルトンHエリクソンが( ある被験者を )トランス誘導する一連の方法等についてアーネストLロッシに拠る補足説明等と即時的に逐一述べたという体裁での“ 催眠の現実 ”.,その内容に読んでみる度に〔 下段リンクにその一部引用がある.. 〕、私はそのような“ 誘導 ”こそ( ある最中に私の無いかのような普通夢状態に )一方的に依存される側の論理では?と思う。いわば、夢-進行論理がエリクソン側のような,あたかもまるで“ 誘導する ”、それらの始まりに‘ 私の目的 ’不明と、逆転したかのような相だ。

ある‘ 課題 ’
そもそも夢が‘ 性的機能である ’という見方に因っては、それ自体に( 私が )乗っているか乗せられているか,のステートは最初に問われない。その‘ 性的原理 ’の先勢,それが夢の始まりであるという。
私の視点ででは,分離的な要求は自動的なのだけで、私はそれら自体に依存してはいない。私に拠って執り行なうのだから、“ あ,あなた,あなたたち! ”は無い。

‘ 無意識 ’に言わせる? 
ここでは、未だ“ これ夢だ ”と判別されていないような普通夢状況に於いて、その場に意識化されていないどこかが‘ 夢だ ’と把握しているという構図について、考えてみたい。
もし‘ 私 ’という普通の覚醒状態でもこのように一見“ 無意識 ”側が‘ 夢である ’と言っているか言おうとしている( 日常的にそう認識している )としたら、この構図自体に因って( 睡眠-夢状態の最中に )これを反転するは可能だろうか。
私はこのような可能性を“ 人格的な乖離 ”とは扱えないので、‘ 意識的な( 傾注の )試み ’という。

2019-09-24:
今朝も‘ 出し切ろう ’としていると,あの“ ホームランド ”タイトル画面の第1音に似たピアノのような音が遇ったが、私は余り長時間そこに踏ん張ってはいられないという状況が遇ったので.,そのドラマ放映開始に間に合うかどうかと残り分数をみていた時のだろう。
その‘ 音 ’はその題字出だし一瞬を想わせたけれども、それよりはあかるい感じの音色のようだった。前回“ 日曜洋画劇場 ”画面も、単に青い背景にその白い文字が浮かんでいたというだけで、記憶上の整合性として言うなら正しい絵だったとは限らない〔 記憶的印象としては,そのカレイドスコープのように分割されたなにかがその中心から流れるように写る反射絵のようなあれ 〕.,むしろ、あるイメージかその合成だったという見方が適当であろう。

私は顔面両端に力むのが反って‘ 老け顔 ’原因になるのでは?と思い、先ず鼻上部-中心に引き上げてみる( 自然に横隔膜と呼吸が起こる )。
“ 眼輪筋 ”体操に関しては,両眼周りへの衰え防止策のように書かれてあったが、私はそのパーツ毎に分離されるような気がして,逆に効果が判らない( 心的なマッサージ効果のように、今後10年単位で違いが表れる可能性はあるだろうが.. )。なるべく内的に中心と,元から動かすような方法がいい。
今朝、右眼自体から( 私の )注意的に動かそうとした所為でか、不意に右眉辺りが腫れたかのように痛む。蚊に刺された? 

寝床に両目蓋下ろしてみると,ちらちらとなにかが閃いたようにみえた。私はなんでか一度も見入ろうとはしなかった。
‘ 私は( なにも )見ない ’と宣言したことが‘ 私の夢 ’という行為を無くしたのと思う。

2019-09-25:探査
明晰夢試行のためのトレーニング・( 私の逐次-メモ )
常に眼前にではなく、別ルート記憶や対称的サイドなどの‘ アンカー ’を使う。( 但し、安全確保が必要な環境ででは余所見-見落としのような不意の危険があるので,リスクの無い範囲で。 )

記憶想起に対する‘ 夢だ ’条件点けを。
私がこうして‘ 憶えている( 自覚している )’ためには,常に‘( 私の )書いている ’のと同じ状態であればいいのだ,と私は気が着いた。

明晰夢試行のためのトレーニング・1( リアルタイム-メモ )

2019-09-26:
私はこの鼻-上部中心の付近に‘ なにも感じられない ’一点を見つけようとしていた。ただその一点にあれば、分離状態にはならないのだろうと。

記憶に過ぎた進入路? 
自動車助手席,前方歩道のように狭い舗装面がみえた。その路面右側には,その端から一々台形に低い張り出し等が,それら一見やや不規則な大きさの花壇かなにかのように幾つか連なっていた。運転手“ I会長さん ”は少し進みかけたが( どうみてもその先へは入れないようで ),“ 先に降りて,行ってもらえるかな ”とわたしに言った。
その夢、それ以前にその“ 狭い路面 ”だけが一度遇った( その他にはなにも無い,そのあとに自動車車内からの光景となったのと同じものとして )という印象だった。もし( そのリアルタイム時点での順序として )そのまえ-あとに表れたものか、単にそう時系列的に錯覚されたのかどうか? 
その場面が褪めたあと、その“ 自動車車内 ”からの観想としてか,“ すべては記憶に過ぎない ”という印象が遇った。その時点前方にみえる道路は、既にそのまえにそのまま遇った面.,想えば、わたしと車内にいるか降りて歩くか,どちらにしてもそれ自体は“ 過去 ”なんだと。
( どの様相もすべては )“ 過去 ”なのなら、私が以前に述べたような‘ 予知 ’の類いは、既に起こった時点でのそれを未明と言っているのと同じでは? 

2019-09-27:
・ 内部から表出するもの( だけ )。

・ 身体( -面 )動作による応用力( -的 )のフォース&バック( 流入 )。

私はいよいよ身体同一に戻ろうとしている。“ 秘結 ”を超えて。