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夢見の次元 ( )

2019-09-01:
+ ‘ 夢だ ’と気づかせるための専用サイン( 私の場合、青い発光 )そこにイメージしてみる。常に現場と、ある場面などの想起に際して。
+ 一瞬先に注意する。

( 夢に )白い老人顔のようなものが表れて私に“ あなたはこれができないんで ”という例の下らない言い類いをした。私は日頃‘ 揺るがないこのひと ’証明を私自身に試みて、漸くか、私は冷静に,‘ 自分のできなさを私に転嫁しているんですか? ’と問いかけた。老人の口は動いてなにか言っていたが( 私が訊ねるあいだに )その音は小さく聞こえなくなり、夢の場面はもう見えなかった。
しかし、私がコンピューター側だという意味で‘ 再起動しろ( 一旦電源オフ-消去-リセットする )’と言った処( 夢でのそれがその直後おはなし側に移行しかけたものであるかのように )それ自体が珍しく“ 動揺 ”したのか怯んだようなイントネーションに変わった。
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夜、上記の++インテンションと持続するために自転車ランニング,ちょうど2時。‘ 夜道 ’といっても気配も無く( そう言えば、一瞬‘ 墓地 ’に走り過ぎたとき一度だけなにか低い吐息がかった意味不明な唸り声が左側から聴こえたような気もしたが,私の第一意識下には“ トータルリコール ”あのゴールドスミスのテーマ曲がほぼ正確に途切れないで続いていた )、不思議と私は‘ 夢見のための試み ’できなかった。
〔 “ 私の背中に分離する! ”と言う代わりに、‘ 貴重な夢見の機会である ’と言えたら。あるいは、同時に‘ 意図する程に私の両目下-頬っぺたはフクフクになります ’と暗示できたら。 〕
もし私がトランス誘導法に準じていたら、私が私の右側を強く‘ 見よう ’とする程に“ もの ”は左側に向いただろう( -ある異性の姿に刺激されて“ いや、気に掛けてはいない! ”と自身に繰り返し言い聞かせるうちに強迫的になる時のように )。
私はそんな信心よりも探求心を採った。が、私は私に居たのであって“ だれか,どこか ”ではない。世界は死んだ既に、私はどう“ 移動 ”しようとも“ そこ ”には無かった。

2019-09-02:
= 表出する際( 更に )‘ 意と ’の次元( =決して‘ 読もう ’とはしない,浪費しない )。
昔“ 気-力 ”だといって、両手の擦り合わせとその間隔に“ 気を感じる ”というテストがあった。催眠誘導関係の本には“ マグネットハンズ ”と書かれてあった。私は“ 読む ”ことばかりになったからか、もうこれが何年もできなかった( 私は何も誘導できなかった )。
それらに書かれてある“ 誘導 ”とは?( 私からみれば )他人に動物催眠を及ぼすやり方。ひとりリラックスできるという瞑想のひとには、敢えて言葉の要求は無い。
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私の右半身‘ できなさ( 感じられなさ )’,消極性では?という問いが起こる。これは以前‘ 左 ’のときにもあった。だが、なぜなのか。右側の“ 受け ”が擬似的か、消極性ゆえの心理的な問題か、肉体-虚弱に依るものか。
( 私は前日記したように性別や肉欲そのものを軸にはしないと言った。そして、自身にそう言い張ったがために、反って余計な“ 沿道障害 ”の種類を見立てたのではなかったか?., 対立項的な因子自体の問題であった。 )然し単独の私が余計な外部的危険-緊迫に曝されて常に警察的な態度で臨まなければいけないとしたのは当然だとしても.、当時“ 彼女 ”という要素は純粋に私の領域であり( -同時に,あの子どもたちがまったく‘ 匂い ’にならなかったというのは、注目点である )、私とその状況になんらかの不可分であったのかどうか? 
私は一旦これ自身の反応要素を無意味化するだけでいいのだと気が着いた。もし教室や作業場での‘ ひとり ’に対する集団的なイジメが激化したら、先ず“ ひとり ”自身と言い返すことは無意味であろう。むしろ‘ そこを忘れたかった ’というような観念否定と無意味化が優先だろう。誰も本当に勉強や仕事だけの目立たないひとを一々反駁にするような原因は無かった。

2019-09-03:
夜、出がけに既に妙な気配は遇った。投影されていたものは私自身だった。墓地公園には通らないで西側に自由ヶ丘を行った( 私がN池付近のイメージを持ったときに‘ もうひとつの池だったところに、白い影みたいなものが動いてみえる.. ’というおはなし遇った。もし公園内の出入口と池との間でのことなら?
だが、重要なのは“ それ ”ではなく、私が夜道ででも雑踏ででも( すべてに関心無く )このようなあらゆる機会に‘ 夢だ ’と言えるかどうかなのだ。他人や擬人的なキャラクターの重要性が依存的に大きいというひとには( この目的のためにすべてを無為とすることは )難しい )。

2019-09-04:
20時過ぎ、私は自転車うんどう帰りがけに空中明滅し続ける雷をみようと河川敷堤防に向かった( そのルートからの最短では例の墓地公園北が高い位置だが、私は数日その付近を避けていた )。
〔 外的なものとの重要度が下がる( 無意味に落ちる )と、途端に内的な表出が明らかになる。外的な“ 擬装 ”との意図的対立や恣意的( しいてき )問題であるうちには、内的なものが見えない。 〕
私は通常の遠視をやめ、外縁には視ないで私の視野に焦点し,光景よりも直近に粒子状の動きをみた。このような試みをいつでも可能とすること( 敢えてなにかに‘ 視よう ’とするときのマインドセット自体は必ず次回との条件点けになるのだが.,このように視界に写さないで‘ 手前にみる ’・‘ 気の実践 ’についていうときのように、表示と注意との関係が‘ 夢見 ’に近い。すなわち、両目の焦点が自動的に手前に合わされると、‘ 夢見 ’という条件付けが再起される。いわば、ある手足の運動が直接的に‘ 想起 ’に連繋されているのと同じく条件となる。だが、その条件が働くためにはその動きが再現されていなければならない。寝際にできる両目蓋閉じての‘ 焦点 ’トレーニング )。

2019-09-05: ( 夢:)綴り替えイメージ
茶灰色のジーンズパンツ,その後ろポケットに渡りのステッチラインが青い糸でトレースされている。その両端がほどけたか差しかけであるかのように、糸が外側に外れている。私は放り投げた。
そのときには私は考え無かったが( 私はあとでそのイメージ自体に由来と意味を辿ろうとして、不図 )去年ランニング用に何度か野球帽型のキャップを使ったのと想い出した。それは元々作業用の灰色がかったもの、私は被り易くサイズ調整するためにその後部に当時‘ お気に入り ’青い糸少し縫ったので、それは如何にもちょっと( “ 彼女 ”時代からの )不自然な色合いであった。
私はジーンズパンツに“ エッチ ”象徴という印象を持っていた。然し、目に写るそれは( 私が一時期述べたように )フェッチであった。

2019-09-06: “ あ ”の時間
新聞屋さんの開く時間になってしまった。てっきりあの夜風の印象なのかと想像したが、実際でてみると既に爽やかな朝方。昨夜私が頭の中に繋がりと憶い出せなかった自由ヶ丘3から鋭角に上がって先,交番前と墓地公園北へはいつも通り。公園内はしんとしてなにも騒がなかった。私は一切“ 受け ”ないでできるだけ走る( 顔マッサージのときのように,パーツ毎に分けない )。
例の信号機前から、小さな上りカーブのすぐ向こうに住宅地がみえる手前に、私がちょっと油断したからか、‘ そう、そこ.. ’と、あの溜め池の位置を言うかのようなおはなし言った。‘ その木の根元に( 女の姿が )みえるの。’,私は左側( 街路樹等の間 )生木の杭みたいなものが立っているのを一瞬みたが、わからなかった。ちょうど反対側にタクシーが来た。私は左背後に振り返りみながら何気無しに‘ あれのことかなあ。 ’
もしいっぺん探しに下りてみたら、例の如く‘ うつむいてそこに見ている女のひとのような ’と言ったかもしれない。

2019-09-08:
両掌向かい合わせの“ マグネットハンズ ”久しぶりに試してみる( 朝方、真っ暗な中に“ 粒子状 ”みながら )。私の場合、両掌真っ直ぐにではなく楽にお椀の形に向かい合わせるとやりやすい。光る程にはみえなかったが、私の左掌の窪みにした部分に‘ 感じやすい ’一点がある。対象右掌にはこれが無い。この‘ 感覚点 ’は左足底( あたかも半身のひとつラインであるかのように )共通している。
私は右掌側をリラックスさせて左側と均等に‘ 移して ’みようとした。すると、私の顔右端から右耳辺りが急に動いた。このように、意識されていなかった神経?心理(を)今いっぺんやる気にする方法はあるのだ。

ひとつの熱感覚( Sフロイト“ ヒステリー性の片側感覚脱失は、発熱しているときはその症状が軽くなる ”?-引用 ):2019-05-19

誰にも書かない,自立する足 〔 象徴解読 〕
〔 午後、私は“ 両目下のクマ ”原因に直接見ようとしていて、漸く、あの先週ジーンズパンツの夢と“ 私の両目蓋への縫い方 ”とに想い至った。そう言えば、私は私の両目蓋にもあの灰茶色キャップにも同じ青糸を差していた。夢の論理には‘ 私の顔 ’という言い方が無いのだろう。
縦針状の痛み - 能力研究-(10) :2019-08-09
一昨日私は“ 目の下のクマ 足のむくみ ”とグーグル検索をした。この“ ワード ”にさえ、“ 池のほとりに佇んだり動いたりする女 ”というあのタームが象徴されていた? ( そのあと、おはなし自体は‘ あの生木 ’と言わないで“ 樽 ”と言っていた。むしろ“ 杭 ”という称しこそ逆接-的だった。 )この場合、最小公約的に抽出されるのは“ 目 ”と“ 足 ”であり、まさに“ 木の根元 ”という含意だ。
ある“ 夢 ”自体が( 私に縒って )このように正確に標識されているかどうかが,次のなぞなぞに繋がるのだという思いはあった。 〕

2019-09-09:
私の右-手足に‘ 放縦 ’と‘ コントロール ’とのバランスをみつけること。

+ 表れるイメージや音声すべてに‘ 夢だ ’と( 取り遭わないで,それぞれの意義や解釈ではなく,ただ表れる )現象的に処する。焦点-無し,一瞬よりも先に。

‘ 自己生成するダイヤモンド ’硬さ( 人間の弱さ )。

続き: ‘ 反発,圧力 ’ 2019-09-11