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‘ 夢 ’のカード

2019-08-15:
+ 夢見( 意図のために )特定時間にフォーカスする。

私は“ トランス ”いう語には加味しないが、ある‘ 記憶的分子との理解-統括 ’という自己プロセスに通じて‘ 遠ざけられていたもの ’を戻すのは可能である。

2019-08-16:
半ば工場かショッピングセンターの中にいるかのようだった。家族連れの者たちが歩いていて、スロープ型に凹凸パネル等の通路が渡っているのだが、そのらせんに下りる部分の手すりが低すぎるので、掴まっていないと危ない。
一度目が覚めたあと、私はその夢の由来に見ようと、その場面自体に戻ろうとした。私は暗い作業員用のフロアのようなところにその壁伝いに上ったり下りたりしていた。
再び目が覚めて、私はなにもわからなかった。私は私の寝入りと夢自体に‘ これは夢である ’若しくは‘ 課題:’と私自身の記しみたいなものを予め観念的に設定していれば,( 少なくとも最初にこれまたはそれと対象的に発見できる可能性 )、目標化したがるかもしれない。漠然と‘ 夢の最中に気づく ’というだけでは、最早手当ては無い。
夢の場として表れるものの中に( 私の‘ それ ’が見つかれば )私は‘ そういえば ’と,その場に見ようとするだろう。若年の身体性という意識(的-)が、年度に弱まるにつれ(-あたかも異性やキャラクターと連想されるものの為に,“ あれは反射の像だった ”と詰まらない概論よんだように消されてしまう, )
かつて‘ 不思議な光 ’であったものが。

“ 瞑想誘導 ”読むのにたぶん3日もかからないだったのに、数えてみたらなんでか12日間。私のやっていたに近いことを‘ 外からのインストラクション ’という形に改めて受容するような二重の論では難しい。
私はこのまえ“ 夢見の法則 ”という語も付けてはみたが、私は読まれ方には配慮できなかった( -この点、たとえばCカスタネダ自身がお金になったかどうかは別に、体験ひとり語りみたいな本の方が“ トレーナーやセミナーもの ”よりも、絶対に上手だった。 )
“ 瞑想誘導 ”には( 私の一人称での場合にと‘ 完全自己催眠 ’に置き換えて読むには可能である )最初に述べ書きしてあったらと私は思った。

私は( 寝るちょっとまえには )なにもしなかった。あの‘ 白い石膏の玉 ’みたいなものが( それ表面自体のマターであるかのように )想い浮かんだだけだった。

夕方、図書館には間に合わなかったが、身体左右均等化とホルモン値向上のために自転車で取り敢えずM城方向に出た。私の涼しい夕方には似つかわしくなく?道々女子2人歩きがまたなにか言いはじめたようだった。もし私の観念的にかれらがなにか引っ掛かっているのなら、私の‘ 夢見の実践 ’が再び優勢化しているの証拠であって( -私には先だこの形での風評の方がありがたい, )かれらがなんの( だれの )原理に依っていようと、無欲の私にはなにもできない。むしろそれらが一方的に自分らの乱暴な言い草ばかりを自由か何かと間違っている。
1時間過ぎて平和公園に上がるのはテストステロンの有効アップ時間には遅いという見込みだったが、夜道ひとりでいたいという言い方もあった。その公園内ルート途中、私のおはなし側にあの“ 2回拍手 ”の感覚が起こり、その直後、反対側歩道の暗がりからはっきりと物理的なだれかの手による“ 3つの拍手 ”が響いた。
〔 私の記憶的印象では,そこは例の‘ 暗いピット ’だった,車止めスロープ横からの北口への上がり傾斜途中だったが. ,私は帰宅あとに想い起こそうとして、それ以前の南側,ある交差点-傍だったという(それが元の印象か,)錯綜も遇った。珍しくそこで振り向いてみたがなにも見えなかったという光景的な印象からだ。( 錯綜というのは、あとで別の時の印象と実際の状況とが“ そこで ”綴りになるからであろう。例えばWストリーバー著“ コミュニオン ”,その若い頃のヨーロッパ旅行に関する出来事記憶が混乱して変だったという一節が思われる。 )
そう言えば、私は前回その墓地公園-北口から公道を下りてきた際に( 町内へと出る直前あの交差点-公園側に置かれてある名称石碑すぐ傍に )公衆便所があったと憶えていた。だが、信号機前に止まって振り向いてみたら、無かった!ので、私はそのことにびっくりした。真夜中-初回には“ そこ ”にあったのかもしれないが.. 〕
然し、私は安全のために一々に振り返ったり口頭に訊ねたりはしなかったというだけで、そのだれかとわかるわけではない。
おはなしでは例のOT婦人がその通りに来る予定だったが,私が今回これを書いたのでおそらく“ そこ ”には見に行けないという。たぶんN図書館の業務として事務的にできるという条件なら,私は他人名義の一利用客としてなにも言わないつもりだったので、私はやはり女子数人がなにかワーワーいいながら妨害したのではと思う。

“ 催眠誘導ガイドブック ”には、ラポールの2として“ 周辺視野を使って、相手と会話する ”という間隔スペースの導入( 無意識にマッチングさせる-? )が紹介されていたが、私はなんのこととはわからなかった。“ ラポール ”と言えば、自己ラポール以外はナンセンスなわけで、そうでなければ超自然か霊的交流のことに違いない。ある対象と面して自己投影するというやり方だろう( ひとりの場合,“ 能動的想像 ”の領域で行われるのと違いがあるだろうか? )。会話式は請求促しであって( 本来“ 他 ”との始めや用語を必要とはしない )、一自己に於いてはただスムーズな発現だけでいい。
私が‘ 死角( 焦点の域 )みる ’と言ったのは分離をやめて本来一体としての‘ 私の体 ’に戻るがためだ( 2019-08-05; 感覚的-応用に‘ みる ’という点に依拠がある。視力低下( 左右感覚の違い )が先ず心理的な原因となっていたかもしれない。それとも肉体的の欲求-逃避か別のキャラクターであるかのように委譲されていたもの,身体的に永久自己回収する。 )

2019-08-17: マインドフルネス
+ ‘ わたしは明晰夢を見ることはできない ’という逆説 - べつの( どうでもいいような )用事をアンカーにする〔 例: 今日“ 刑事コロンボ ”視ない,それの私を依存しない。 〕
・ ‘ 私はいつでも注意できる ’なら、他への依拠は無いだろう〔 むしろ無用な“ ぶれ ”に対してこれは‘ 夢見 ’のためであるとセットしてみる,常に身体的意識に‘ 私 ’保つ( または動く部分みつける,戻す )。もういっぺんぜんぶよむ。 〕

2019-08-18:
+ 自身の‘ 匂い ’にみる。
+ ‘ 見よう ’のベクトル化。

午後( 顔の調整には執着しないで )すべて体の一点に反転-収束しようという試み。

夜中、私はビタミンA( エース )について読もうとしているあいだに‘ 夢見の実践 ’無かった。私の目をメモから離しての一瞬。そのあと私は風呂場の電灯を消して真っ暗な中に飲料グラスを私の手に取ったとき、( 不意に )淡い空色に白い雲などのイラスト付き画面がみえた。なんと2016年以前の私のファイルに“ ふなっしーのエッフェル塔 ”として貼ってあったあの画像だ。おそらく電灯オフと私がそのグラスを暗がりに掴んだという状況が、印象的にそのファイルの在った時点での私の条件付けとして再起されたのだろう。
元々その画像自体が‘ ドリーミング ’のための試みを前提としていた( “ ふなっしー ”の姿そのものではなく、うっすらと青っぽく風船型のシルエット化されたもの。具体的な色形よりも心理的に喚起可能であるという案だった )。

〔 この夕方あと、ある別の用事で,もう何年も放ってあった棚の物を袋ごと取り出してみたら、私の何年かまえのページファイルなどについてメモや原稿に書き留めた類いだった。なんでかその間にレシチンに関するメモが遇ったがレチノールには言及が無かった( 私はビタミンAへの簡単メモに読み直してあと、三石巌さん“ 関節の老化 ”という章節にその意味を読んだ )。

ちょうど私の(-2016年頃迄の)“ 明晰夢は危険? ”Q&A式や,例の画像への応用となった“ トロクスラー消失 ”というワードなど。また偶然というか、私のイメージ自体にそれが先に“ 予言 ”された? 〕

偶然タイム( 逆-順?の一例 ); 2018-09-02

2019-08-20:
“ 催眠 ”手順について読んでみると、その被験者の手足に強硬状態と仕向けさせる( ある方向性 )という誘導方法は、私が昔“ 金縛り ”状態になるときの身体的注意と同じだったのでは? 
私は他者との誘導という体験は無いが、例えば“ あなたの両手は密着して離れません ”という暗示に依ることは、あたかも、ある睡眠と夢最中に( それ自体が無自覚に維持されるか、その場でなにか‘ 課題実行 ’するという予定の為に )敢えてそれを解いたり止めたりはしないという状況を、想わせる。

身体うつ伏せ,左右均等に右側( 親指側アップと小指側の端-感覚 )筋肉等調整してみる。私は‘ 左右視覚の違いが原因? ’と質問したが、これは身体との問題でもあるのだろう。不意に表れたイメージのように、蚊取り線香の欠けた先端がみえた。次に、それは別物であるかのように、その先端が着火されてあった。突然その画面は切り替わり,白い長方形( 四隅がRの )あたかも白い紙ラベルに,黒ペンの曲線いたずら書きされた物みたいな。それには私の一瞬に読める部分は無かった。
私は普段私物に私のサイン書き紙ラベルを貼ったりもしていたが、私は英字綴り風に記していたので、その不思議なイメージのようにまったく無意味な言い方があるとは思えなかった。むしろ、私の脳みそ部分どこかが私の文字印象を普段に理解できないのでは?( その線自体が縁に跳び出したりしないで白い範囲に収まっていた,殴り書きではなくそれ自体がなんらかの意識か認識に基づいていたかのよう )。

2019-08-21: ‘ ブラックホール ’なる
私は“ さあ食べよう ”という時に‘ あっ、無理してる! ’と気がつくような場合がある。‘ 食べる ’こと自体のイヴェントと、生物的な要素とは、違う。私が‘ ブラックホール ’となるとき、それははたに見えるか見えないかを問題にはしない。本来的なものとは見分けられるべきだ。

“( わたしたちが )今やらなければいけないこと ”が予めそこにあって私の?という状態は、にと外的疲労させる〔 両手中指と両目下に触れてみると、赤いものが( 不可視に )みえる- 〕。名城向こうの図書館に着くまえに明滅が近づいていた。このまえのように堤防上に立ってみれば( 2017-08-22 ;視覚的印象とイメージ )、たぶん北から東に移動するその雷雲がみえただろう。
“ エクスペリフェラル! ”,-私の顔はインターネット端末前でやつれたり復元されかけたりした( 片腫れ目蓋ではなく、できれば頬っぺたプクプクに,いや、ピンクに? そう言えば、昨年私が西図書館でインターネット端末に向かっていた時、一度、ある子どもが入ってくるなりあのKトンプソンの“ ピンク!ピンク! ”節回しそのまま発しかけた )。
体は可も不可も無く( 昨夕,なんでか弱ったように息切れがして、私は帰り道に“ Reia's theme ”,もの悲しげな弦や異国的な笛部分いっぺんに吹けなかった ).,今夕私は久しぶりに敢えて右大腿前部に緊張させることができた。そう、私の左、いや、右側は‘ やる気 ’居て無かった。この‘ やる気の無いもの ’を動かそうと( 今回“ 彼女 ”という要請-動機にはできない )擬似的なひと気もひと目も無-関心に,完全にひとつに戻るという、生誕以来本当の自由のためだ。

2019-08-22:
私は朝方まで休めなくて甘いものを飲んでいたからか、寝床に着こうとしても私の両足がリーガン-マクニールのあれみたいに跳ねて落ち着かなかった。そのまえに一旦,何度か草むらの間に舗装された小道みたいなものが,( あるいは薄暗がりに行き止まりというような,その先,草むらからなにか小さな白っぽいものが斜めに飛んでいったり。辺りが草むらだけなのに路上に緑色ビニール張りのバス停みたいなものがひとつ,恣意的というべきだ。どれも私の見憶え無い光景だったが..
私は去年開園前日のレゴランド傍まで朝方自転車で行ったことがあった( 私はエイプリルフール?かと間違っていた )その直前、K埠頭の歩道雑草に錆びたガードレールという光景は、ある時間-たった )。
私は睡眠時ではなかったが、敢えて気配の無い所という印象でも遇った。

薄暗がりの路地: 2018-06-25