読書ノート: 能力研究-(10)

2019-08-07:
“ 瞑想誘導 ”( 前掲書 )には,“ 梃子( テコ )型誘導法( 手や腕の強硬現象 )”のヴァリエーションとして、ドリーミングアームと称される無意識への誘導が書かれて遇った〔 簡略; 〕
「 ドリーミングアームって知ってるかい 」。
子供は私のことをちょっと変なおじさんとでも考えています。そこで私は笑いながら、こう言います。
「 ドリーミングアームのこと、知らないのかい。私は知っているんだよ。話してもいいけれど、きみはほかの人にきっと話しちゃうからなあ 」
「 誰にも言わない。約束するよ。だから教えて 」。
「 おや、きみはほんとうは知りたくないんだね 」。
これが、ミルトン・エリックソンが“ リスポンス・ポテンシャル( 反応力 )の育成 ”と呼んだやり方です。
「 きみの好きなテレビ番組、好きな映画は何だい 」。
今で言えば“ バイオニック・マン ”か“ スターウォーズ ”というところでしょう。
「 その最初の場面をきみは覚えているかい 」
子供が思い出そうとしている時、どちらの方向を見ているか、目を見ます。

私は昔“ バイオニック( ウーマン )ジェミー ”というテレビシリーズを( 夕方の時間帯だったか )しばらくみていた。何年かまえに“ バーンノーティス ”という連続ドラマ,その主人公の母親役としてそのかつてのジェミー役リンゼイ・ワグナーを想わせる顔が遇ったが、私にはその俳優たちのバイオグラフィーは無かった。私は“ メンタリスト ”にもいっぺんも調べなかったが( 先ずPジェーン自身かその乖離した部分が犯人レッド-ジョンだったという言い方が当然ラスト迄に明かされたには違いない、というのが心理劇的の読みだった( -仕様に,なんらかのハンドルが必要という意味では )。だが、同時に、‘ 犯人は既にそのドラマ最初の頃に一度姿を現していた ’という見方も遇った( 私は第1シーズン未見で、第3シーズン終わりにジェーンがアーケードの半オープンカフェでポケット越しに撃った新聞紙の男が,既に最初の回にその顔で出ていたのだろうかと ) )。

[ そう言えば、“ スターウォーズ ”のテーマ曲はこの頭の中に再現できるのに、私は同時に‘ 夢ですよ! ’と言うのを忘れている。 ]

この本には( また )“ インタラプション ”についても若干述べられてある。例えば、相手に手を差しのべながらやめるひと、中断された‘ 握手 ’は相手の中に惹起される。[ 私には‘ N君が教室の端に来て私の“ 小説原稿 ”を返しかけたが、私が受け取る前にその足下に落とす ’といった場合のように.,あたかも予め私の側からではなく( 以前,街路で私から顔見知りに一礼しようとすると,大抵無視された )既に反対にそれら“ テクニック ”が表れていたかのようだ。私は本来なにも評者-選者を必要とはしないイメージライターだったので( ここでは“ インストラクション ”迄の機会は無く )それっきりになると気が撞いたのだろう。 ]

2019-08-09: ト-タル-リ-コル
帰り夜道、私は自転車上から客観的に“ コウシロウさん ”と言ったが途端、左上目蓋に急に細い縦‐針のような唐突な痛みが起こった。案外この左側は( 私の身体的に一旦強化された筈が )弱いままだったのかもしれない。私は時折右目に“ 虫 ”が入ったと思い込んで洗ったりしていたが、おそらく原因は外部からの異物ではない( 私の左目には痛痒いような感じは滅多に起こらない )。
〔 そのまえ夕方,私はインターネットに“ 耳石を動かす 心因性? 血行不良 ”というような幾通りかのワード等で検索していたが、“ 怒りや緊張などの状態は、交感神経が過敏となり、顔などの毛細血管を収縮させる( 青‐冷める )”という感覚的な言い方.,そんな言葉だけではそれらの関連なんだかわからない。かわたペインクリニック通信というページには、“ 不安や怒りなど無意識の心理状態( と向き合うことを避けるが為 )”という心理的因子だと。“ 虚血 ”? 
再び音楽ライブラリーにJゴールドスミスの“ トータルリコール ”聴いたりしても( 私は当時も今も好きな映画ではないが、89年頃の比較的こわれにくい印象がずっとあるのだろう )、私の‘ 心因 ’説に具体的成果は無かった。そして私には“ 神経障害 ”というワードが無い。なによりも,まだ“ 夢だ ”の条件-点けを忘れている。 〕
併し..その痛み自体は、記憶かもしれない? 私は数年まえに数回針と糸とで私の両目蓋を上側に縫いつけてみた( 私は筋肉に刺さないように薄く通したので、それら自体はすぐに瘡蓋になって剥がれてしまった )。その記憶は( 感覚というよりも私その当時の意図的に )案外効いていたのでは、とも考えられる。だが、私の呼び方と左側のそれとはどう繋がる? 今の私には未だトランス側への的確な通じが無いが、私はこの記憶自体にアクセスしなければいけない。
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私はこれを書いたあと、室内( 壊れたDVDプレーヤーが置かれてあるところに,数回私の目が向く度に )白いデジタル表示が点灯しているかのようにみえた。それは以前その位置にあったビデオテープ用の物だろう。そのまえに( 私は“ トータルリコール ”にはディスクを持ってはいなかったので,昔どうやって視ていたのだろうか?と想い出そうとして )‘ たぶんビデオテープに録画されていた ’と想ったからだろう。

2019-08-10:
前回‘ 読書 ’について既に私自身書いたことだが、身体的な‘ 凹み ’一切を無くすのは私の健全さにとって先決だ。だから、目前のことに不安が遭ったら難しい( もし競技試合のプレイヤーが一々観客たちを苦にしたら、自身の意図も対戦者の反応も無いであろう )。“ 精の ”分裂? ‘ 生殖 ’とみなされた側の“ ネットワーク ”を利用できる可能性? 
[ 私が受け取った“ スターウォーズ ”最初の映画パンフレットは( 私はあとで表紙が真っ黒く題字のみというヴァージョンが遇ったのを偶然知ったのだが )その表紙に銀色っぽい点の星々と青っぽい点の星々とが簡単に前後にみえるように印刷されていた。私は一日中でもその“ 宇宙 ”を眺めていられるくらいだった(通常意識のレヴェルでは,わたしはなにも考えてはいなかった。)今の私はそれに対する要素ぜんぶを書き出してみようとする。
私は投-映する対象としてそれ自体を必要としたのだ。この論理に従えば、‘ 夢 ’は先行するだけで、それらには‘ 私 ’は存在し得ない. ]
“ トランス ”は,やりたがりの者にこそ効くのかもしれない。人間に無関心-無頓着,本当のひとり以外を好まないひとには、観念的に通じないだろう。

“ 未知との遭遇 ”ファイナル版がテレビ放映されていた。私はその初めとラストだけ視た。[ 私は今回初めてあの“ 地上班 ”の中にランス-ヘンリクセンではない別の顔ぶれをみた。私もかつて拉致されたかのようだったが、ここでは“ 納得 ”しなかった。 ]
直後に私のみたイメージ; あの青っぽい光の差す方向-手前に黒く蠢く触手のような動きそれ自体のビデオ-影みたいなものが浮かんでおり、それが映像的に吸い込まれるというよりは向こうへとワープしかけたように急に遠ざかる。
〔 今朝の夢には別の奇妙なイメージがひとつ遇った。なにも無い空中にベージュ色の円板だけが正面向きにこちらにくる。その表面はなにか上塗りされたかのようだが( あたかも交通標識のそれのように )その同心円状に一定幅の縁がわずかな段差にみえる。
( 上記の時点では私は“ 正面向き ”と書いてしまったが、これはあとで私の想起に拠ったので、元イメージではそれはやや斜め左に直線的に近づくように移動していた。そして、あるところでその円形一部がパーセント表の一部分みたいに切り欠きになり、その円形上部になにか小さな立方体複数が小さな建物上部であるかのように,その各側面に四角い黒い窓のようなものとともに付いているのがみえた。 )〕

私は近所の或る車道際に自動車用に金属板が置かれてあるところに遊んでいた時( どうしてか偶然その陰に蛇が潜んでいたのを見つけて )子供どうしワーワーいいながらその両横から砂を蹴り込んだ。私はそのことを快くなかった、私は傷つけたように思ったからだ。どうしてか再びこれが憶い出されて、“ 祟り( 呪い )だ! ”という言葉。と、一瞬、私の右目( 突然,今度は目蓋ではなくその下側少し奥に )あの垂直状の痛みが起こった。
私はこの痛みはわたしの“ 動物 ”との問題かもしれないと一度思った。私の本質は動物を殺そうとするだろうか? そうかもしれない。だが、良い人の領域ではそれを当然とは言わない。だから“ コウシロウさん- ”と言わせようとする側があった( “ -ちゃん ”も“ -くん ”もそれら中間子のニセモノ-マボロシであったかのように。 )欲求が人間の等価物であるかのように擬装-同一化されていた。

( ある夢と )線のような痛み: 2018-02-13

2019-08-12:
私は‘ 無意識 ’側に‘ 夢-見 ’条件付けするための方法を更に検討してみる。
あのJグリンダーたちの本では“ リフレーミング( 再構成 )”と称し,ある‘ 無意識 ’と表れるような症候を移し変えるための直接的‘ 質問 ’の例などが紹介されてあった。私は“ 再構成 ”という彼らの語の意味はわからないが、( これ以前,私の身体的質問や右-左転換というやり方に拠ってなんらかの応答が得られたように )たとえ読者は既成語や誰かのラベルに依らなくても独自に発見することができる。私自身べつに“ イエスと言わせる暗示 ”を用いなくても私がここに記してきたように私にとっての障害が解消することはできる。
‘ 夢見 ’自体は個人的領域であるから( 私-記録等の集積やその再構成の可能性ではあるが )むしろ私が啓蒙書的な役割としてアップすることは難しく、それこそ自己化への“ 複合暗示 ”に他ならない。新しい‘ 試み ’こそ王道である。

2019-08-13: + 両目自体を視ない。
告訴の匂い
夕方、私は健康向上と‘ 夢見-忘れない ’のための自転車こころみ。肉体がリタイアしたかのように、1km越えの坂道では途中一度休まなければいけなかった。不思議なことに、もういなくなったと思われていた“ 拍子 ”の振りをする女子歩きが通りにひと組だけ遇った。( 私はただ面倒臭いので一時期あの集団発生には警察に一切お任せしよう、そういう取り締まりが実際行われるという風評にもっていければ、と。それらへの“ オカルト現象 ”説については私自身の問題だった。 )

むしろ私が歩道上の安全を考えて一々スローダウンしたりするのを他のメンタル的な問題と間違われたくはないと。
最近、陽射し最中に宅配便自転車のひとも顔を被ったりしていた。見掛けの問題かなんなのか、男子数人グループが急になにか私に笑い声など上げたりする場合があるのだが、そういうことに不慣れなひとが驚いたり無理に車道側に回避しようと慌てたりすれば突然事故の危険もあり( 証言-裁判に問えれば、なんらかの妨害行為に指定できるかもわからないが。)
心理学的にみれば、かれら自身の“ 相転移,逆転移 ”が働いているという見方もある。‘ 私 ’が面倒臭いからという言い方は、難しいのである。

2019-08-14:
“ 瞑想誘導 ”よりのメモ;
リファレンシャル-インデックス-シフト( 参照的な索引移し替え )”?
:‘ 私 ’が働き掛ける当人的特性を消し,誰であるかの記憶を喪失する.( トランス状態の同体化 )- リス?リズ? 

その本では、誘導側が他人相手に( そのひとの理想的だれかと同化させる )という前提だが、私の例では“ 彼女 ”は女性的の合成イメージ自体であった。私が記録したようにこれは表面的な像としてのレヴェルよりも身体的に関連付けられる( -呼応 )。このような自己現象の創出について、併し“ トランス ”という用語が“ 深さの程度相応 ”と称されるのは誤解の元だ。
上メモの引用に私が簡単に意訳してみれば.,ある多人数の場所にいるあいだの“ 自分 ”としての印象と、全くひとりで居るときのこれとは、共通性が無い( どちらかに切り替わるか、もう一方での状況は忘れられる )。私の日本人なら“ 或る( あの時の )モード ”というように言ったかもしれない。最近“ やばい ”とテレビ同士のいう口語的な俗習にも( あるいは、肉体の望まない、間食のような習慣にも )軽いトランスだという見方が説かれたかもしれない。たとえば衆人本位の“ 街 ”というファンタジーが本来他者には有り得なかったように、どれも自己(インターナル)であって、愛,撞着などといってしまうおそれも遇った。