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夢見の神経を再発見する

2019-06-05:
- 久しぶりに“ 体外離脱 ”が可能かもと思われるときに、外的にではなく、今度“ 体内 ”してみる。
+ ( 私の )注意( 印象 )発生に対する=注-意( 積 ),今動いているこれ。
・ ( 繰り返し‘ 夢 ’想いだすのように )必ず2度3度と念にする( 印象増加する )。
・ 機先を制する。

2019-06-06:
朝、‘ 本の頁 ’に読みかけたが.,一瞬毎( 白い面に日本語,縦書き )読み出せなかった。その直前には“ ファンタゴニスト ”という連想的な造語なのか( 広場幻想者? )、その瞬間一度も日本語に訳そうとはしなかった。

2019-06-08:
右半身の位置が漸く定まってきた。朝方に味噌汁とプロバイオティクスを摂る。昨夕は雨降りだった( 夏まえに雨に濡れて行くとその直後に必ず顔肌が柔らかに可愛くなるので私は好きだった。雨音が就寝に作用する場合があるのと同じく、実体が表面に存在することの根幹性かもしれない )。

右目の位置が定まりつつある。これは従来のオバサン側ではなく、静謐さだ。私は歯磨きしてみると毎回左手にブラシ持つのと右手に持つのとでは通-覚に差がある。やはり左半身の方が確かだ。私は敢えて右手に歯ブラシ左右対称の持ち方とその動かし方とを試してみると、不思議に,その一瞬左-下肢後部に熱と感覚された。なぜ左なのか? “ 神経 ”というワードは私には未だに馴染みが無いのだけれども.,心理的な反応と関わっているのかもしれない。私の右を起こそうと苦心することは( この数年 )難しいように( あの一時期のような“ 彼女 ”を肉体化するというこちらの動機無しに )これと動かせるか。
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盲目老人のように
外部メンタルとしての反映ではなく、私自身に( 身体的に )超越されていた。だから、あの沿道“ 少年ら一斉笑い拍手 ”は( 私の彼女との )霊媒ではない。
〔 私はかれらが路上すれ違い様に言ったような口先全部がかれら自身だけだったと断言した( その子ら自身なぜ放棄しなかった? 私からはわからないが。 )第一に“ 拍手 ”は路上の他人向けにするものではなく,どこかの神という間違いのためでもなく、ひとつのお祈りのようであれば良かった。 〕
無関心の私に対する者たちこそ欲求自身である。しかし、盲目の老人が無言にからかわれたとしても一度も見えないのと同じく、私も知りようが無かった。

2019-06-09: 右半身の‘ 怖れ ’が明らかに。BWV768のヴァリエーション聴きながら。
右側は弱くて卑怯な側かもしれなかった。私はこれの中心が予め存在したのかどうかについて本当に検証してみよう;
なにが‘ 怖れ ’自体なのか、ひ弱さ自体なのか?( 自転車走行にとっての右側は常に自動車道側だったから、それが本能的な‘ 恐れ ’という反転に変わったものとも考えられるが.,そう言えば、昔学校の教室方向が必ず左-窓側か右-通路だったので、私の真ん中というものは無かった。最も目立たない,誰からも呼ばれる必要の無い,秀才向きの隅があれば良かったのだろう。

Gサーチコンソールのアナリティクスに依ると、5月末“ 明晰夢の廃墟 ”という別口からのワードで私の‘ 廃墟 ’夢記録がヒットしたという。

2019-06-10:
“ ミルトンエリクソンの臨床催眠セミナー ”読んでみる.,トランス( 催眠 )というのは“ 自己と他者 ”反転したような状態のことでは-?と思える。なぜなら、本当に他人に従うのは不可能だから。だから、もしトランスが自己の或る状態であるなら、それには“ 他者 ”という境界や反映-対象は無い。
しかし、普段に於いてもそういうひとだと( 自身と他者とを見分けない )外部との見境無い“ 私物扱い ”は、良識的には断られたかもしれない。
私は“ 明晰夢 危険 ”というワードには先日私なりにきちんと述べた。私-己だけという者には、このように‘ 述べる ’ことが第一の原理として働くには難しい。

〔 私は昨日ビフィズス菌ヨーグルト商品等リストに検索した関連で、光岡知足という先生インタヴューそのQ&Aを読んでみた( “ Bio & Anthropos ”というサイトの一記事 )。その論は‘ 先ずそもそも牛などの動物由来-ラクトバチルス菌株がヒト体内に有効だろうか? ’という、商品等質問とも言える内容だった.( 私の読んだ処,撞-目-的には )。
私は( そのQ&A式に )私の99年迄の‘ 夢見の実践 ’コンテンツにおそらくそんな批判的表示だったと、あたかも客観的にそれとみたような心象が遇った。 〕
あの99年には私のファイルから学べるというひとたちが在ったから、私には実質的な活用形が在った。しかし私の外部分裂させるような余分な労力については永久に回収しなければいけない。
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私にとって“ 有名メーカー名 ”とは解釈-自己イメージ化であって、一度も“ 細胞くん ”とは問われなかった(,ある“ 有効成分 ”が本当に有効かどうか、心象の良し悪しとは無関係であろうこと )。
このまえ伊藤要子先生名義の2013年度までの本2冊と読んでみたが、( ヒートショック自身というには,反って )どちらも最期にお坊さんを選ばせたみたいな変な形だった。

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( 私は先ず徹底的に“ 自己反論 ”から提議してみた )。

2019-06-11:
このまえ、私は何気無しに私の頭にお湯を掛けているあいだ、私の両目が閉じないでその揺らめく様子がみえていたので、“ 私の頭-顔面 ”お湯浴びに初めてわたしの両目を閉じていなかったのかと不思議だった。私は子供の頃には既にとても眩しがって始終汗だらけだった。昔、あるテレビ放送に、お風呂場で男児がお湯を掛けられる度に、その児が一々嫌がったように忙しなく手でその顔を拭うので、それが面白いみたいに何度も繰り返されるという一見家庭ビデオのような場面が遇った。ちょうどそんな絵のように想われた。
私は“ 緊張 ”していたのではなく、うまく“ 緊迫 ”できなかった。

今週,私の便通は実質分量1/3に減った( 自転車うんどうの気が無くなっているので食事量自体は軽い ),今朝からのガス臭も軽くなっている。プロバイオティクスとの効果が表れはじめたのか。ヒト腸内由来のビフィズス菌( できるだけ耐-胃液性のもの )と食べ合わせ( タイミングに基づく食事内容 )徹底コントロールしてみたい。

朝方の夢は深いがまったく私の介入余地が無いかのように受け一方である( 毎回短く、ちょっとでも私の判断が上がればそこで夢自体が途切れる )。外部要素か内部要素か、更に明晰調査を私の中心としなければいけない。