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身体化と表象

2019-03-13:
舌-右端は回復しつつある。もし舌自体が歯などに常時擦れる部分があると、潰瘍から放置されて悪化するケースもあると昔テレビ番組にあった。
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例えば“ 精神による治療 ”にメアリーベイカーエディ女史などに関して読んでみると、“ 症状 ”というが案外作為的なんじゃないか?とも思われる。“ 麻痺していないといけない部分 ”または訴えの本質について。

‘ 私の右と再び身体化する(- 萎縮させない )’とした処、このまえ右手指先にネイルの照り返しみたいにみえたのと似た‘ 青 ’が、一瞬なにかの残像でもあるかのようにちらついた。それはやや長方形という特徴だった。これは‘ 偶像( 彼女 )’否定の瞬間に起こるのではなく、その形にならない本来の‘ 元 ’か、それと関連したのだろう。
そもそも‘ おはなし ’という形自体がおかしいので、私が身体的‘ 反転 ’化の要因に辿ってこれを戻す。

青いネイル( 初回 ) :2019-02-18

内的抵抗が遇ったとき、私は教科書と向かえなかった( 集中できない,昏睡化されたというような苦情と )難あった。私はこれらは“ 時代 ”と称される問題ではないと思い、なぜ私の頭が急に難しく拒否したかのように焦点を視えなくするのかと、考えの糸口を探す。
“ 催眠心理学 ”の古語文体(?)翻訳に難があるので,ちょっと書き直してみた。
一定事物Aと一定情欲Bとがしばしば反復して接近的に発動する時、このA観念とB性情との間に連合関係を生じ、そのあとA観念-現われる毎にB性情-喚起しようとするの傾向..( 原物的感情aとその代表的観念Aとの連合 )”?
“ 無意識の複合体(コンプレックス)表象 ”に関して(;2021-01-27より以後,再度ユング著に読みかけての私見など,)
私がすべてを‘ 霊現象 ’的とみて言うことは、私自身どう評されているかという問題でもある。‘ 道路上もなにも全部自動運転化すればいいじゃないか,わざわざ汗する必要なんか,これからは記憶注入も人格更新も遺伝子貼り替えも自動販売機みたいに楽々- ’どうやって8週間も懸けてこの大層な本と誤解できようか? 
“ 明晰夢 ”心理的条件を理論的に設定し( いつでも )再構成できるように考えてみよう。

私これを書いて便所のあいだに,(“ スターウォーズ ”小学4年生の夏休みに母が観に行こうと言った。母は“ 未知との遭遇( 第三種の接近遭遇 )”直後には私と鉛筆書きであのマザーシップの絵を簡単な線に描いた。だが、なぜだか母のそれは“ 船体上下中間の都市みたいな部分 ”が無くて閉じたような形だった。 )
“ デススター( 側溝 )壕への上空からの急角度進入 ”という、印象的な1カットだった.映画の絵ではビームとフラッシュだったのが、その再現一瞬( 私には不意に )あの‘ 青い照り返しのような ’重なりだった。 - 私は先日からその‘ 青 ’の印象に述べようとしている。物理的に似たものと言えば、“ ラメ( ラミー?ラピー? )”というか、工作用の反射付きブルーシート( 明るいのだが紫っぽさはみえなくて、女性向け商品というイメージにあったような )とでも言おうか。
ある( 自己-偶像からの解消的な )表れという意味ででは、それが上記の象徴そのものかもしれない。私は昔パニック映画の“ 崩壊 ”場面が好きだったで、“ ヒンデンブルグ号爆発 ”や“ 豪華客船の沈没 ”および“ 大型ダム決壊 ”にも執着したかのようだったが.,CG以前の特撮というカテゴリーに遷移していた( ミニアチュア? )。こう見ると、私のCG制作は既に個人労働の範疇だった。しかし、そもそもその“ SFX映画好き ”というよりは、なんの表れだったか? 〔 なんのメタだった? 〕

私は一度はメンタル側に徹底的に‘ 明晰夢 ’化する( しつける )というやり方も考えてはみた。謂わば、自身と頭を百万遍うちつけてでも、胸につきつけながらでも、身体ごととびおりると喝してでも、自己教育は可能だというわけだ。( アドルフHなどは自ら云った“ ジョーズ ”を逆にやったのでは? 彼は修道士にはなれなかった )。私は私のためにこれを‘ 目的 ’化できる。

2019-03-23:
私の主体として,今後一切,他の名に偏見的に言い替えるような形にはしない・ということ。
私が‘ 清潔 ’と言った途端、右手首-内側に熱感点が遇った。
- 私自身このような心理的問題全部に‘ 夢見 ’と解決するのこと。

2019-03-24:
- ‘ 夢 ’の直通する辿り手で在ろう。
私のなにかが‘ 夢の中で夢だと気づく方法 ’を避けている( これは障害である )。夢は夢自体である。その発生動因は‘ 生殖本位 ’かもしれない。転位された“ 力 ”や抑圧が明るみになれば、ある障害の表現を‘ 夢見 ’のために取り込むのは可能であろう。
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昨日の普通夢は、私の顔見知りが私の傍にいて横顔蒼ざめながら私にいやな言葉を発するという場面であったが、私は一度言い返しかけたあと( それは,私-自身のものであるから、と )考え直して、普段の私のように私の口を閉じた。そこでその夢は終わった。
〔 私が昨日日記に‘ 今後一切,他の名に偏見的に言い替えるような形にはしない・ ’と書いたあとで、逆にその反対自体と表れたかのようだ。 〕
そこで夢が終わったのは私がそれをいやだったからなのか、それ自体に依る対立性が無意味だったからか。以前私が‘ 丼鉢のラーメン ’量がいつのまにか変わったのを私の眼前にみて‘ 夢だ ’と気づいたのは、私の主観視点にそれが不思議だから( 判断を要した )だったのだろう。しかし、ある‘ 人称 ’と向かって言いながらその振る舞いを私-自身とみなすという直接的な訓練が、未だ‘ 夢 ’への認知には直結していない。
詰まり、卒然ひとりになったその場という条件ででは、予め‘ 夢 ’との自覚が働くの可能性は点いていたが、( ‘ 誰か ’が表れるという条件ででは )先ず私の注意が伴わなかった。私か‘ 誰か ’という二者択一の偶像性は、当に死に等しい。

2019-03-28:
私が能力ノート(4)に記した部分に読み直してみて( ;2019-02-10 )、‘ もし私の霊体が自体の目的を持っていたらどうなったのか? ’という質問。これはいい。メンタル-サブなど今更要らないのだから。
私は‘ 霊体 ’いうときにそれ自体の記憶のような光景を起こせる場合もあるのだが、これは先ず‘ 夢見 ’という文脈に於いて収拾されなければいけない( CC先生の著書では記憶アルバム-コレクションみたいな作業が書かれてあったが、当人にとっての、ある印象的な記憶を語るというやり方は、その最後の著書ではややメランコリックな哀切風ではあった。私は去年これを越えたと思った )。私にはもっと独自の領域自体可能性がある。