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寒さはしんだ

2019-02-24:
私自身に毎日自己発見がある。
昨夕、S交差点ではもうなにも言わなかった( 対向に素直そうに頭を下げるようにして通るひとも何人か遇った。 )一方背後に、あの猿笑いみたいな子が若干。
私は私のメンタルを一切対応させない(対応しない。)この報告は同様のことに困らされているひとたちへの参考記録とする。
- 読みかけチベット魔法の書に、ラマの密教修行,第2段階として“ ゴム──本人が発見し、学んだものについて考え、瞑想すること。観想の実践。”と書かれてあった。私が一昨夕おはなしに聞いた“ ゴム ”がそのこととの関連なのかは、わからない。

+ 左-身体( 感覚-優先に )左-右対称化を自体右側に促進する。〔 ここでは右側の優勢に‘ 左 ’と言っている。 〕

夕方、(長南年恵に関する資料を得るつもりが、普通自転車途中に閉館時間 )少しやつれた。昔のわたしのように‘ 陽気 ’をもらい久しぶりに名古屋駅前-舗道行った[ 追記: 私は当時まったく私-自身に“ アピール性 ”とは考慮していなかった。では,なぜ表通りを行くのか?という自己質問が無かったのである。“ 外部現象 ”への試し事や抵抗だったというのは当時の問題で,あとでは見当も付かない。 ]
背後に笑い声[ 左腕の‘ 痛み ’再現にではなく ],私は私の両足に“ エネルギー ”転化しようと試みた。欲得無しに、自身の反対-偏見をやめる,世界的な個人-能力の条件。昨夕{ 明晩 }一礼の人様の,爽やかな前向きな効験ではあった。
私は一度も誘わなかったが、動物は動物、シーザーのものはシーザー、歩きの中にはまだなにか反対そうに言いたがる( かれらの具体性は見えなかった、私に対するかの別のすり替えを見破れない別の領域,若いなら自身の不理解をわざわざ通行人に宛て振ってもどうにもならない.一々にメンタル-キャラの言い合いを転嫁したり他人にタダ乗りしているようでは私のひとつをできなくなる{ 私が完璧に‘ ベクトル無為 ’を承-理させるだけで、予めこの点に表れている。 })
私は聴く者ではなく、ひっそりと私の‘ 気 ’をあつめるためだった( そして欲をやめたとき[ 不安心理は“ 母-親 ”からだった, ]私の両足は本当に地を離れて浮揚している。 )
数日まえから私の体は少し熱っぽくてだるいこともあるのだが、私自身リラックスしてゆっくり歩きの中をいくうちに、不思議に寒さはまったくしんだ。

2019-02-26:
午前2時過ぎ、私は読み進めないまま“ チベット魔法の書 ”修行者に関する頁に私の指を挟んで私の両目蓋を下ろした。なにかあかるい線形の垂れ下がりみたいなものが数本みえた。それから( 両目閉じているのに )不意にそのノイズ面にピント自体があったかのように一瞬その面に接近した。眼球自体が動いたとしてもそんな印象は起こらないのでは。
〔 このあと数日中、私が目蓋視界に‘ 中心 ’を持とうとすると( なにか、その視ようの意と動作しかけたかのように,)その面の前後に素早く焦点が働いては戻るということが遇った。 〕

+ “ 未熟な修行者 ”という理想的的テーマ性( 小さい部分に“ 目的 ”を合成する。 )

2019-02-28: 先端-点に立つ

私は実際には能動的な第一点から遠ざかっていた。昨晩の名古屋駅前では私は依然グループへの集中的な“ 笑い ”に負けていた〔 - ‘ 夢だ ’を忘れている。 〕これはグルジェフの言った“ プチッとはじけるか ”という状況かもしれない。? 私は誰とも一緒にとは言わないし、彼らの‘ 笑い気 ’だけを私の両足にもらおうとしたのだから。! これはNHK的だ( 象徴的な、“ 空港ピアノ ”演奏はどれも既存-著作曲だし、演奏者たちが生しているようにみえるので、秘教や公益の環境とは見えない.. )。しかし、私自身だ。私は情動や観念体を一切否定する、反映しない。“ むくろの顔 ”というような一見外からの検索ワードとして反応したものを?( それとも私自身の予知か? - )
7(セブン)マネキン傍の横断歩道にて“ サル ”と声に出して言う男子が久しぶりに遇った。私は“ 眼鏡に類人猿 ”いう別の看板に言う古語かと勘違いした。〔 スパイラルタワー前,あの南-角を東から回ってくるグループにはなにか年代違いの扮装みたいな感想だった。“ HAL(2001:)”よりも“ SAL(2010)”という、AI世代交代という言い方とは、私は思い着かなかった( - 昨年、あるイメージにSALの青い光パネルみたいなものがまるで暗い空中に分裂モノリスのように連なり華ひらいている光景が遇ったのを私は書いた )〕。
知らないが、おそらく女子たちが“ 笑い ”と通じてそのベクトルを辿らなければいけないのと同様に、( - 私のおはなしでは‘ ファティマに行ったことのあるひとで、私に贈り物をしたと言っている ’。また、‘ 九州の6カ所 ’とも )。そう言えば、ここ数日、私の路上正面に“ さむい! ”と反射的にあたかも連れに言ったような者も同一コピーみたいに何度か遇った( どれも男子グループではなく男子数人と歩く婦人だった )。それとも? -
私のこれは単独のファクターであった。先ず他者におそいかかるばかりか、そうしてたがいに自己価値を貶める、自身の支持されたりリスペクトされたりすることもぜんぜん有り得ない,この限界。

2019-03-01:
不思議な夢:
ある通路か機内の部分に〔 こちらは椅子に掛けてその横に向いているかのような視点,〕太った白人女子のキャビンアテンダントみたいな者が来て、その両耳に着けていた差し込みイヤホンを外してこちらに聴かせようとする〔 補聴器のように少し大きめ 〕。ジョンレノンの“ イマジン ”だが、その音声だけは元レコードのまま、ピアノではなく半分ラテン系ポップスのロボット入力されたかのようなアレンジメントが掛かっていた。サビのあと、その人工的なアレンジも完全に途切れて( 声トラックのわずかなノイズも切れたので、ちょっと不自然 )、その空白が、あたかも“ 想像してごらん ”の意と示したかのようだ。
〔 私は“ イマジン ”別演奏には心当たり無い。その音質が正確でリアルだった。 〕

2019-03-02:
+ ‘ 夢だ ’( 内的現実 )に依拠する。観念物の発生には‘ 夢見 ’目的としてみる。
+ 第一中点( 自己対象との )目的。