閉じられた身体

2019-02-17: 外側に視る必然は無し.
昨夕“ つるま( 無い図書館 )”行ってみてもよかったのだが、時間が足らなかった。私は天候の変わり目がわかったと思うときもあるが、‘ 読もう ’とすれば呼べない。結局それらは私の環境だ。
私は栄町付近の路上に回ってみた。なにか型通りに笑い声を発したかのような女子が広小路通には数組、例の笑い拍手はそのあと6人程のひと組( やや小さく )。私は引き返して今度は私の側との反応とそうでないものとを見分けるように観察してみた。私は自身のものには( うちの小鳥にみるときのように )即見当が撞くが、殆んどわからなかった。鬱陶しくなるようなら、いぬの引っ掛かりがある。
土台、私は私の霊能力開発を余儀無くするだろう〔 世田谷一家事件を見抜こうとしたベクトルは依然どこにあるのか? やはり全国の霊能者をインスティメイトするべきでは? 今この一見英単語のような語はそれ自動的に私の中に表れたので( 私の記憶には無い、)辞書に調べてみた。その意味合いの合成語であろう。未解決事件に世界中の霊能者たちに拠る情報等をいっぺんに照会できるようなシステムがあれば。 〕
とてもかても私の両足に今アピールは無い。それらは人助けの方向ではなかった。 - もし霊能力がそのひと自身の大きさなのだとしたら? 
夜のうちに、私はそう言えば一度も小鳥に‘ たずねよう ’としなかったのと覚った( 私は私の耳を傾けて初めて無心に聴いてみようとしたが、なにも言わなかった )。
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私は私の左半身がよりアクティヴなのだと思い込んでいた。が、実は私は私の身体自身に‘ きいて ’いただけで、一方右側にはこれ( こちらの彼女 )をできなかった。私の左は単に開いていたのではなく、自己受けしていた。〔 しかし、左半身への私の半ば強制的なうんどうに因って一種のトランスか自己催眠と作用していたのか? 〕
今更右側にこの身体的‘ 彼女 ’を自身化する必要があろうか? 弦に、偶像としての導引が無くなっても已然左半身の感覚は変わらない。これは身体的に適応に‘ 開かれた( 閉じられた )’側なのである。

2019-02-20:
私は夢見と私の両足( 自転車 )をただ一致させる。中心。

2018-02-21: 無言-点
昨夕‘( 私の )右は眠っていた ’。私は‘ 動かない部分 ’( またはそれゆえに‘ ニセモノと振る舞うに関与した ’と見なされるその空隙に )真の無言-点を発見した。数年まえに死んだ小鳥の( 私の口から憶えた唯一のワードであったかのような )“ 魚雷 ”を意味する英語その声そのものが私の中に一度だけ聴こえた。その小鳥は普段しょっちゅうせわしなくうるさかったので私は度々その籠を殴りつけたりしていた( 私はいっぺんも動物を飼わなかった )。しかし、私が恐れていたのはなにか別の、赤ちゃん時代に既に根を持ったようなものかもしれなかった( フロイト博士の論稿は参考に値するが、基本的には自己記憶-分析がすべてで、その記述者自身のものだ )。私の本質は私のベッド相手が言ったような“ ひょうきん ”という言い草には関心無かったし( この世にエッチ行為は存在しない,今や私は外部の婦女子たちを完璧に否定できる )、あたかも私が笑いを取りたがっているという( 他の誰かを言ったかのような )者たちにも、特定できてはいない。

私はショートパンツ-ルックというには私自身関心ではなかった。むしろ半袖Tシャツの両腕に比重が置かれている? ‘ 両足伸ばし ’には奇妙なことである。あきらかに着用時の両足にはそれ感覚と意図され易い(‘ 放り出す ’よりも一定の感覚に機能し易い )。
無論、‘ 全部 ’というのをやめて、れこの目的であれば、‘ 表面 ’を感じることの重要性ではない。表面的サポートは補助であり( それでも自己受けというメタ構造ではあるが )、ひとつ発達に代わることは無い。

○ 私がこの体だけに一致して熱を感じようとすると、両足が動き、頭の額かその上に小さく巻かれた結い黒髪みたいな形、巫女のよう。

2019-02-22: “ ゴム ”
午後まで私は‘ 視よう ’としなかった。
私は私の中心が今やこの右脇腹なのだと( 昔、金縛りの度に引きつったような痛みが起こった箇所 )。
夕方、私は図書の用事で街路に出たが、やたらと“ Courshilow! ”となにか彼ら自身の会話途中に鳥の鳴き声のような音を出した者たちがいた。( うちの小鳥ではない,“ オケダさん ”と呟いたことは遇った。しかし口伝いに“ 先生 ”と教えるのにはメソッドが要る。 )
私が帰り途中に聞いたおはなしには、別のどこかから“ ゴム ”という語が入ったのでその子たちは困惑したらしい。私からのソースだと思い込まれたのだろうか? 
私は口写し型や“ 自動的な匂い ”には一切関心をしない( 私のように能動的な“ 霊体能力開発 ”という面からみれば、“ 空気-感冒 ”は不衛生すぎる )、私は感化-乗っ取り一切不要と言うだけだ。私が“ 先生 ”を自称できればいい。
私の右の点は鎮としてなにもしばらなかった。

2019-02-23:
昨夜は少し生暖かかった。私はいつもの半袖T2枚-頸タオルと短スパンツ,ロールに巻いたセーターは腰よりも低い位置に若干押さえ感にする。靴は無いのでソックス重ねで自転車-立ち漕ぎ時のペダル食い込みに備える。普通自転車での坂上がりは重い。体重? 帰り道には久しぶりに少し汗ばむような感じがあったが、私の夢見意図には高まらなかった。

夢から醒めた直後“ 下沢教授悪化精楼 ”という文字が横並びにみえた。おはなしによれば“ 眼科 ”だというが? 
“ 目玉 ”に関する話題としては、私が今週LLワシリエフ著に読んだ中に“ あるひとが不意にその視覚が異常に鋭くなって遠方の小さな事物がはっきり見えるようになった。その状態が一昼夜のあと卒中が起こり、亡くなった。解剖されるとその右眼の視神経節に最近できた凝血物が発見された ”というお話であった。その章題は“ 催眠,心霊 ”というよりは“ 遠隔認知 ”であり、その一節だったが、私はその一文からはその“ 異常知覚 ”がどの程度を言ったものかはわからなかった。