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明晰夢実験日記を!

2018-11-28:
起き出して夜中、鏡にみると両足が伸びたようにみえる。昨夕私は両足かかとを着けない走りをやってみた( 前回私の両足に地球を踏みしめるようにして歩いた所為か、次の日久しぶりに両下肢-後部に筋肉痛が残った )。両足自体をスポーツ義足等のバネみたいに動かすとスムーズに進む( 私は路上ではシューズ無しで両足底-前部に冬用ソックス数枚分巻きだけだが、前半分スリッパ商品みたいに、後部や踵が引っ張られないのでこのやり方には楽だ。ただし、枯葉多い路や濡れ舗道には滑り落ち易いので‘ ステップ!これが夢の最中なら ’と注意する )。そのまえに、その部分をお腹の中まできちんと洗う、冬の気温に冷やさない。
右眼側が右手親指と連携して動きだしている。
関連カテゴリー:身体 / 視覚的印象( 感覚 )変化

2018-11-29:
イメージ;( カレーライスの皿。そのソース縁に肉かなにかの一片が寄せられ、ナイフで細かく分けられる )。
すると、なにかの床に転がった物その瞬間のような、同一太さのガラス管4本みたいなもの、その片方の端に,厚みのある四角い板にそれらが等間隔に通って固定された、試験管等を想わせるような形。そのガラス管みたいなものどれもが流線形に先細り( ロケット先端のような )互いに不揃いの長さ。そのひとつに‘ 見よう ’とした処、なにとはわからないが、わずかに暖色のあかるいエネルギーがあるようだった。
そう言えば、このまえ22日付の半-能動的想像による観察に‘ シャンパングラスのような形の薄赤い灯り ’が遇った。‘ ガラス管 ’の形状がそれと同種の表現かもしれない。

朝方、またあの“ ポチャン ”という水玉落下の音のようなものが遇った( あたかも本当に床下になにかあるかのよう )。
私の体に近い外側に一瞬注意が向くと、その板にパチッと音が鳴る。それは物理的音響だ。それとも、その音に対する予知だったか? 
そのあと私の気と様子をみるようにしながら、もうひとつ音が遇った。“ 水滴音 ”とそのアタック-減衰の長さはそっくりだったが、くぐもったような( 押しボタン付の効果音を想わせる )人工的な短音だった。

2018-11-30:
私の両足は自体ようやく震えなくなった。偶像に依らない,体( 偶像に費やされていたエネルギー )。

2018-12-10:
私の両足は( これまでに無く )すっきりしている。

2018-12-15:
暖房-熱が私の両足に感じられ、それが堪え難くなるとき、私は両足を対抗させる。それが私の両足に促進作用する。おそらく‘ 夢 ’にもこれと同じ原理が働いていたのだろう、私が‘ 対抗 ’をやめなかったなら。私は私に関して理由の無いことは存在しないから私内部に対立を催すよりもその理由を精査するのが先決だと思った。そしたら私に対抗するような夢は表れない。

2018-12-15:
私は便所に立ち上がりかけて私の両足を見下ろした。私は印象にもその左足優位に比して右足が足りない。私は右足に移行しようと試みた。すると、むしろ左足に、ある種の“ 対立感 ”が起こり、私がそれを右足に意図した処、印象には変わったようにもみえる。
私は“ 彼女 ”として前年までの自転車うんどう中にこの左側を優勢化したのだが、これが気体としてずっと左側に偏重しているという状況をこれ以上右側に移すことにはできていなかった( しかし、それがメンタル化の領域と、肉体自体への強化とは無関係だという見方も必要だった )。あたかも“ 彼女 ”はこれと不可分であり、私が敢えてよそよそしくするのは初の試みであるかのように( マスターと言いつつ昏-濁するのとは逆に )。
右手側が通常作業等にコントロールに基づいており、この右側はむしろ固くてキャラクター化を付与されていないから気体的なものには手付かずだったというのが私の見方だ( きれいだから触れにくい、と )。私の心理的操作が可能であるかどうか? 
私がこの右側に注意をしてみると不意に‘ 寝込み ’のようだ。気体自体と感覚されているものをこのまま右側に移せるか。背中の熱感覚でもあり、右側に郵便ポストがみえる。

肉体的-右脚-動かし :2017-08-03

2018-12-18:
‘ 夢見 ’のために私の両足を分ける。この両足を分けて‘ 夢見 ’意とする。

2018-12-21:明晰夢日記を
両足が滴るくらいのエネルギーがほしい。

私は床に着くまえに‘ 一杯の水 ’を呑んだのが良かったのか、久しぶりに“ 影だけが映る- ”夢が遇った。
私が‘ 夢だ ’と視たのはどの時点からだろう?( 想い出そうとすると、コンクリート製の建物-室内に女ひとりいた。黒い短めカールヘアーに、両目周りの黒いメイク,正面向き,私が‘ 夢 ’と思い始めたのはおそらくその顔をみた処だった。しかし、これも表層の見方であって、私の従来‘ 気が付く ’という言い方が私にとっての実相とその夢の本質とを見分けた上での判断というわけではないから、その点には自覚が無い )。
屋内-階下に降り歩きだすように通路を移動しかけて一瞬( 左横に少し背の高い男性2人が逆方向から歩いてくるのがみえた )、私はなぜだか咄嗟に隠れなければいけないといったかのように細い柱の陰に移った。〔 まるで下手な映画場面のように 〕丸見えの筈なのに私の姿がみえていないかのように、2人は歩いた。その後に不意に( 薄白っぽい壁のような処に )何かが素早く通り過ぎたのだが,その姿だけがそこに見えなかったかのように,半分透過したかのようなその“ 人影 ”だけが動いた。
その“ 影 ”自体の出現には私が身を隠したつもりで避けたその一瞬との何らかの関係では?と思われたのだが、私には連関がわからないというのも本当だ。ここでは前回迄の“ 影だけの夢 ”記録等とのパターン的に比較できる部分があるかもしれない。( そう言えば、最近も私の歩き道端では交通標識の半分-影に‘ 印象的にみえる ’場合があり、そこに‘ みるもの ’がこのような夢-発生と関係しているという可能性.. )
その“ 影 ”の形やその素早い“ 動き ”にもやはり若いという印象ではあるが、このまえのややボーイッシュなストレートヘアー( その頭部の影だけ,やはり右から左へと動いた )と比べると、先の“ 女 ”の髪型か、私自身のアーミージャケット風-時代シルエット(2009年頃まで)との合成かもしれない。
-前回の“ 影 ”だけ映る :2018-11-27
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“ 明晰夢 ”という語( lucid dreams,清澄夢せいちょうむの語源的に言えば、“ 夢が光を現わす ”という意味になるだろうから、“ 影 ”という表示は反ったようで面白い。

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