“ 明晰夢 日記 ”への期待

2018-11-21:
私が体自体で在れるように、‘ 夢 ’自体で在るは可能だろう。

2018-11-22:
能動的イメージング
私は半ば能動的にイメージを持とうとして;( 私の予期しなかった )あるアパートメントのコンクリート製入り口みたいな部分がみえる。その下半分が表面壁との濃緑色に塗られたような古いデザインを想わせるもので、その入り口の中から小さな人影のようなものひとつがこちらに手招きしている。〔 これらは殆んど映像的には映らなかったので、次第に残像のような弱いものだった。 〕近づいてみると、その入り口は真っ直ぐ奥へと続いているので( 私は海外の中庭スタイルみたいなものなのかと期待したが )、暗いだけでなにも見えなかった。
再度‘ 続き ’を見ようとすると、その真っ直ぐ通路の右側面-途中に別の穴みたいなものがあり、また手招きがある。私は近づいて覗き込む。すぐ右側にテーブルのような形、その上に薄明るい、わずかな光のようなものがすり鉢状に薄赤く拡がって、シャンパングラスのような形状にみえる。
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私はまた‘ 見ること ’を忘れていた!
〔 今敢えてその“ 薄明るい光 ”を見ようと試みた処、よくある分解能といったかのようにそれが白っぽい四角いピクセル等に分裂しながら拡がっていった。なにかの広告イメージにみたような動きだ。それは真性の心像というよりは二次的-擬似的なものかもしれない。
更にそのピクセルのひとつを覗いてみると、ある建物の窓越しにみたように、その中にグレーの作業服姿で“ 今日は、プラスティックスについて ── ”と指し棒か何か持って講義するような者がいるという形だった。
私は自己確認のためには従来‘ おはなし ’という言語-型に依っていたのだが、このようにすべてを‘ 視る ’ことは可能であろう。
このまえ10日付の‘ 夢での不明なものを見分ける方法 ’を前提に、ひとつひとつと印象-展開してみよう。 〕

2018-11-23:
昨日“ 最初から明晰夢を見る方法 ”という見出しをみて簡単に読んでみた。無論私は私なりに‘ 睡眠無しに直接に明晰夢に移る ’を試みてはいるが、私は未だに私の注意状態から断続無しに正真の‘ 夢 ’に入れるという例が一度も無い。
“ 両目を閉じて( 見えるものを )見る ”という観察中の段階は私の場合とほぼ同じだが、そのページ記者の“ それに溶け込んでみる ”という点が違った。
“ 体外離脱-体験 ”に於いては、例えば室内が空間対象として‘ 私の身体 ’が起き上がるという前提であり( いわゆる“ やさしさに包まれたなら ”の原理 )、ごく内的に見えるものに“ 入り込む ”というようなやり方は外的なアンカーを必要としない( 擬似的の室内を体外-想定しない )というインヴァージョンの向きだ。そう言えば“ 夢の操縦法 ”エルヴェ-ド-サン=ドニは彼の記憶の室を想い描いてそれを‘ 夢 ’の始まりにしたという。
( 映画“ インセプション ”にはパリの街が平板な折り返しにそれら建物等が逆さに合わさるというシーンが遇ったが、あたかも身体的なクラインの動きとたとえられたかのようだ。あのような表現が即物的な撃ち合い場面などではなくもっと独特な画面上のムーヴィングとして多用されていたとしたら? )
私の“ 体外離脱 ”直前にも私の意識から一度断続したような状態になるのが通例だった。本当のアクメかそのような状況直後には一旦鎮静があるが、そのときに意識が完全に失われるのではない( しかし私としては通常の思考から“ 途絶 ”したように思われる。 )

2018-11-24:
昨日 ( 私は行き付けの図書館の中でインターネット端末に向かっているあいだに、再び私自身に集中しようとして、ある“ シスター ”のような姿がそれ自体であるかのように右側そこに一瞬に存在化した。なぜだか白っぽいブーツに水平ライン一本ずつ、古い病院勤めの看護婦のようでもあった。 )
私は私に言い掛かるかのような対立の側に苦慮していて、年輩の“ シスター ”に直-説得を頼んだのだった。あたかもそれが人のように作用し、解消させる。
感情的ものには一切排して、観察の視点に徹する。

午後、夕方まえに帰って早々に寝床に着いた。起床の度に右眼側が頭痛のように痛む。
ある水の小さな一部分だけが急にそれ自体によって盛り上がり摘ままれたような形に動くといったイメージが数回遇った。それから( イメージ無しに )如何にも水玉の落ちて鳴ったような音響ひとつ。“ 音 ”だけの感覚は久しぶりだ。

朝、私が今日の行動予定を勘合しようとみていると、からの寝床に‘ 大柄なむくろの男 ’が寝ているようなので( 眼鏡姿,“ ムームー ”無し )、私が先にこれらの更新作業を進める。
骸の男

私はまたこの両足に地球を踏みしめるようにしてしばらく歩いてみる。

2018-11-25:
ある町の通りから逆に辿って引き返す処。自動車道には何台か車が遇ったが、一歩入ろうと町内にみると、急な下り勾配がある。( 一方通行の自動車道みたいに )その舗装面-両端に歩行者用スペースも無い程のぎりぎり幅に白線がみえる。視るにつれてその道路幅自体が狭められたように細くなる。かなりの雨水が流れ込んでいるかのようにその先へと下っている、歩きで下りるのには難しい。更に町内に入ると、古びた( 生木のような )木製家屋等の並び。町名か、“ 根本 ”という表示がみえる( 私は‘ ねもと ’と読んだ )。そこから回り込めるような道も見当たらなく、ある塀の部分にみて私は‘ 向こうへと跳び越えよう ’と思いつく。体ごと側転の円心力を試みた処で( ロストして,途中 )、コマ写しとフェードアウトしたように褪めた。
〔 あきらかにその最後の時点で既に‘ 夢 ’だという判断が起きかけていた。私は未だ“ パルクール ”には出来ないのだが、やはり命賭けだろう。恐らくもそのような一瞬にその状況( 夢だ、という )条件付けがある。
そのまえに雨降りでもないのに路面下りに水が流れるというのは? 私は尿意を我慢していたのだと思う。私の眺めるあいだに‘ 道路 ’が狭くなっていくという印象。この点にも根本(ねもと)そのものの掛かりであれば、初めからそこが無人であったのは無論、私が‘ そこには下りられない ’と診たのは当然だ。そう言えば、私は去年‘ 坂を下る ’について,自転車うんどうのこととして述べた。 :自転車と性的充足について

2018-11-26:
・寝ているあいだにも感覚の在り易いポイントに‘ 視る ’( ポイントの置き易いところ )。

2018-11-27: 視点をみる。
‘ 私の視点 ’を途絶えないように‘ 視て ’いようとした。疲労感は増すばかり。相転移に傾いているのか、ぜんぜん落ち着きに戻らない。
- 相転移の問題から離れるには( 両目の違いから素朴に離れるがように )“ 男と女 ”に依存したような癖を一旦解消する。
‘ 性 ’移行と偶然 :2016-06-18
一時期“ ポルターガイスト ”研究への移行、いわば外的な望みとの遡行したような霊的的問題であり、!というよりも?から“ 訴え ”型になるのかを自身の潜行したような理由として思い着くのは難しい。 :‘ 外在 ’現象? 2016-12-272017-04-02
( 昔ユング心理学のたとえだったか、“ 釣りをする少年 ”というメタファーが遇った。探究的かもしれないが、それは同時にサーフェイスには見当たらないという言い訳でもある )。
( 午後3の“ 刑事コロンボ ”など視なかったときに私が自覚-夢を視れたことがあったように、転移などは容易に一気に解消できるという自己了解は常に必携だ。

そう言えば、ひとつだけ単発のイメージとして; なにかの室内壁部分に薄い影として偶然に映ったような( ショートヘアー先端が跳ねたような形の,ボーイッシュにもみえる頭部 )その一瞬の動き。前例の‘ 影だけ映る ’シリーズに似ているが、その影自体の軽かったのと、若い人物的な印象という点で、移行されているものの問題が表れていた。 )
:先例- ‘ 影だけ映る夢( 羊毛とネジ )’
後例- “ 影 ”だけが動く;