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神-生

2018-11-07:
〔 自己研究を貫くには、一生決して“ それ ”自体に堕ちたり昏睡したりすることなく、観察者・視点・目的自体であり続ける以外に無い。 〕

“ Surfer girl ”
昨日歩き途中、不意にサンダル片方-括り着けの底が外れた。久しぶりに裸足が案外気持ち良かったので、私の今夕久しぶりに歩き初めより裸足で出てみる。砂利面の歩道は私の表面に突き刺さる? 私の足が足らないだけだ。私は足らないのはこの右半身ばかりと思い込んでいたが、実際に歩きだしてみると、案外‘ 左足が遠慮するとき、右足は気づかない ’。“ When a man loves a woman ”のような下手な言い回し。あたかも妹が“ 重篤な病気 ”でなければいけなかったと言ったかのように。
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( 私はおはなし側は‘ 私の身体的-注意ポイントが間違っている、両足に効くのは“ 尾閭 ”ではなく、脊柱の第3骨 ’などと言っていた。 命門?( 私は昔“ 小周天 ”といったときの呼称等にはぜんぜん図示的な記憶が無かった )。背中下からの数え方か?と、私の注意-点を背中すじ下方に移してみた。あの在りし日の熱感を.. 両足の起点としてこれとの転結ポイントなら、私が肉体前面に集中しすぎたのを再び若いときの‘ 気の体 ’にいっぺん修整できる可能性がある。熱感覚が復活しつつある。肝心のときに散逸しないように( 分身にやられないように )気をつけていよう。
身体上-特定ポイントへの意とに拠り、以前の記憶や臭覚などを再生できる場合がある )。
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FM通-H小路通に歩いても私は神だった( 私は一切“ 周り ”を持たない。“ おじさんのかさ ”はもう居ない。非科学的なウソ論理やニセ観念の側をやめて、徹底解明しよう。先ず、ある観念どうしが騙しあいをするなどということが容易に自己本意と認められてはいけないのことだ )。
歩き途中に一度久しぶりにN駅前まで行ってみようかという気が起こった。が、わざわざまた余計な偶々面倒に遭うのか?と私は行かなかった〔( 私は翌朝ニュースに偶然読んで, )これの30分程まえにポール-マッカートニー歌手が初-N市-公演のために新幹線で来たという。私はこのときには気-点かなかった。人生の半分と言っても、そんな風に‘ なんか楽しそう── ’と別件とわからないまま足を延ばしては別の誰かのために向かったりしたことも?だったのだろう。 〕

・一歩毎に‘ 夢-見 ’起こす。

2018-11-09:
最近も私の寝入り端に、私の両目蓋視界に時折なにか微かなフラッシュのように、今度は右側下に跳ねたように薄ぼんやりとした四角いもやか例の羊毛のようなものが一瞬みえる。( 私は‘ 夢見 ’に備えて例のように両眼を離れ、その左右を合一する。 )

〔 直前までの夢は屋内で( なにか墨書きされた紙のようなものが何枚も張られてあるという印象だった )、お客が来て誰かが出迎えたという様子。自室のような部分が遇ったが、私は便意を堪えていた。 〕
ある町名等のような幾つかの漢字表示等が順番に辿られる、夜道? その間の“ 恵 ”という所で、突然私の足下がぐらつくのを何なのかと見ると、いつのまにか私は不安定な薄い狭い緑色の古びたプラスティックのような水平部分に両足を進めようとしていた。( 浅い二段の凹みに一定間隔に錆びたネジ留め )樋の一種のようでもあるが、下方に並列方向に何本かのその褪せたような緑色と、左下-歩道のようなものに単独のコート姿など数人が歩いていくのがみえる。
私のしゃがんだ体-右側に( ちょうどハイウェイ沿いに立てられている仕切りのような )枠とプラスティック板との一部分。私の両手でその上端に掴まりながらその先へと落下の危険とともに移動するのはおそらく無理だ。そこで私は少しずつ両足を交互に後退って引き返そうとするが、それさえも難しい。最早動くことはできない。私は一瞬にさとったように‘ この夢から覚めればいい! ’ - そして、〔 以前そうして急に私の意思で目覚めた場合のように 〕私の両目蓋を開いた。私は実際に間断無く即寝床にいた。
〔 直後、どうしてかペニスがフルに勃起したままで私が便所に向かうあいだにも変わらなかった。この状態が‘ 夢 ’と直接連関だったのかどうか、判断付かなかった。‘ 進行方向 ’という意味でのビーム或いはレールという表示に現れる可能性はあるだろう( “ 樋 ”だったのは便意堪えの所為か、雨降りの音などが影響したかもしれないが、夢の場面自体はまったく濡れてはいなかった )。
私は‘ 見よう ’のきっかけで即-夢だ!の訓練と想い返せるように条件点けることに慣れてはいる。しかし、上記の夢の場合、私は明らかに‘ 事故死寸前のような進退窮まった状況 ’からの脱出のために起きた。これは予め条件付けられていないわけで、意識的の私には過去の何かと直接関連しているというよりは、象徴的に表れた身体的状況の絵かもしれない。
私の左下には歩道、更にその左側には郊外の林かその部分、右手には遮断壁。私は高所を怖れたかのように、その仕切りの向こうにも頭上にも何も見なかった。一瞬‘ これが夢なら ’と思ったのだから( 私の体ごと空中を飛べなかったとしても )もっと調べることも可能だった筈だ。
私の昔の夢記録に書いた、‘ わたしは自転車の両ペダルと漕いで森の一本道路を見下ろしながら空中を進む ’の夢場面と似てはいる。怖れとともに私の体は自転車ごと降下-バウンドした。
私がこのような夢場面を記念したので、このような子ども時代からの恐れと象徴する場面で‘ 夢だ ’と喚起し易くなったのだろうか。再び包括的な私自身として。 〕

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2018-11-10:
・夢での不明な物を見分ける方法( 私の‘ 夢 ’中に不明-元素を発見する方法について,試案 )。
- 取り敢えず‘ 私の手 ’に取って‘ 触れて ’みる( 簡単な視認 )。
- “ それ ”に関して自動連想を呼び出してみる( 記憶的-関係-想起 )。
- 素材を‘ 裏返して ’みる( 意と的-原因-精査 )。
- “ それ ”に一体化してみる( 観察 )。

2018-11-13:
‘ 夢 ’自覚には至らなかったが、私には不思議な夢だった。あたかも半分-屋外テーブルパーティーの片付けという場面のようだった。あかるい様子の若い女性たち6人程。
〔 3人ずつテーブルにむかっている女性たち,私からみての右端に、白っぽく化粧して目立たなく若めにみえるが両目まわりに痩せたような顔面、昔の知り合いYMを想わせる。 〕
ふと、左側に白っぽい壁際か柱のような部分に見上げてみると、手書きというよりは半ば人工的に張り付けられたもののように,どうしてか“ 桶田一等書記官 ”という赤い漢字文字等が右上がりに付いていた( その“ 一 ”だけが捩れたような形だった )。私は皮肉っぽい言い回しと思い、笑いまじりに声に出すようにして読んだ。
使い古しのプラスティック-バケツ大小( それ自体が薄黄色っぽく、わずかに付着土が残っている )幾つか、私がそれらをまとめて持ち運ぶ手伝いをする。私は私の旅行用バックパックを背負っていたが、なんでか私の両肩からずり落ちそうなので( 私は想い出して )私の腹部前にその両側からの留め具を留めた。女性たちの傍にいた小柄な男性ひとりが私に話しかけた。
室内左側にシンク用のスペースがあり、年輩婦人ひとりが片付けを始めた様子。その室内にもうひとつ標札というには簡単な細文字の漢字2つで“ 南 - ”という名称がみえた。
〔 あとで私は2文字目に想い出せなかった。私の後付け連想では“ -比 ”か“ -有 ”だが違ったとも思う。
私が昔付き合いの遇った、ある婦人キャラクターについて、私はこのまえ“メンタリストOT”という呼称で書いた( 実際体験として,私の自転車うんどう夜道に私の信号待ち最中-,(不意に、)彼女ひとりが普通いるはずの無いYg霊園-傍から歩き出てきて笑いがちに携帯電話に誰かと話しながら横断歩道に歩いていた。このような場合にも私は滅多に話しかけないのがふつうである。)
しかし、その“メンタリスト”というたとえは私自身のもので、彼女の特別能力あるかないかという問題は別だ。私の純粋記憶としては、上記の夢での“Y”(そのパーティーにひとつだけ私の見覚え遇ったような顔;)これには他人としての彼女に関することは無-関与で、おそらく私自身からの何らかの連想-合成が夢の場面となったのだろう。
それらは私との反映であり、単に表面的には一見そうみえる。だが、‘ それらが別のベクトルや目的に発している ’という探索的な見方があれば、私はあらゆる感情や目的や予想をそこにひとかけらも反映をしない-という精査の条件を課すだろう。しかし、通常の連想に拠る‘ 辿り ’は難しい。〕

2018-11-14:
私は“ 誘導 ”を断るためにしばらく隠居したい。自己コンピューターに徹したい。

午前中、私は再び‘ 自己( 同一 )投影 ’式を試みる。従来の対立的な見方では私は路上のあの“ 誘導-感化 ”グループたちを一切無視しようと決めたときのように( 単発グループたちはどれも私のリアルタイムでの‘ おはなし ’情報自身ではなかったので、)私自身にそんな逆ボイコットを強いられた。が、私は“ あちらの誰か ”“ こちらの私 ”という形をやめた。
一時期の少年たちが、ある種の“ 誘導-感化 ”に因って外在的に私に対して間違った( または時期的にずれた )振る舞いをしたという見方。しかし、それだとしても、まったくの別人からのものなのか、私の年代で言えば4才以前からかもしれない。

午後、○ 懐かしい単一切り絵のシルエット画風,鉤爪-両手足の出ている黒い生き物か、その胴体真ん中少し上にひとつ眼が開いたような形に黒い円い瞳みたいなもの( 単純にその円の両側が切り取られたかのようだが、その上に湾曲形がそれ自体の一重目蓋を表したように重なっているかにみえた )。この“ 黒いひとつ眼 ”は昨日か一昨日に一度みえたものとまったく同じようで、昔わたしが20代頃に一度“ 灰色っぽい映像的に菱形真ん中にひとつ眼 ”印象が遇ったのと想わせる( 私は後に偶然ある雑誌に有名芸術家の作品としてそれにそっくりの銀色っぽい半立体絵のようなものが小さく写真掲載されてあったのを視た )。
夢での‘ ひとつ眼 ’オブジェ :2016-11-11

2018-11-16:
ある空間性であるかのように、私の体の一部と意図されるとき、そこに“ 物音 ”が発生する。私はこれを‘ 収-息 ’しよう。しかし、私の霊力としてこれを私の両足に利用する。
( 体の可動部分には電気的に動かせるが、筋力に依っても体の不動パーツ-大腿骨等を‘ 直に ’動かすのは無理だ。私の歩こうときにも跳ぼうときにも“ 連結 ”してはいない )。

〔 前回関連の話題;2018-10-24 “ 右手の出し入れ ” /
2018-07-13 “ C ” /
‘ イメージノート ’ 2010-04-02 - 〕

2018-11-17:
‘ 夢見 ’に於いて、その場に遇ってなにかと視ることはできるが、その場に‘ なにが無いのか ’を思い出すのは難しい。

夜の通りにもっと若い女子たちがあたかもそれら自身に因って一々私の通りかかりの傍にだけ自分らを破-笑するような素振りだった。私にはその子らも東OZのあのいきなり怒鳴り掛かってきたような子らと同じだった。
私は無関心だった(
現に私の体は路傍にも反応しなかった。無論、私の中の感情的問題は自ら解消され、私は二度と私の中に持ちたくない。
むしろ、T中央図書館に“ 彼女( 面影と私の古いメンタル )”と私自身の偶像化されたことは、空しい後悔だった。私は二度と“ 対等 ”という言にはならなかった。
○ 桜並木の用水路沿いに、まるでしぬように手を繋いで落下したと想う時に、落ち入った水面が逆さの表面に、あたかも跳び上がった。
)青と赤の柄、ぼろ着まとった、女のような後ろ姿? 
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あの休憩室、掃除係のNオバサンがむっとしたような顔で“ あんたも親の脛っかじりか ”と言った時に、私は少しも考えなかった。私が“ そこに来た ”その世界を殺さなかったから。Nさんはその通路では“ 遅刻したのか ”とも言った。私がもっと自由で楽天的だったなら? 3度目にオバサンはトイレ掃除のあいだに“ 火-点けたろか ”。
私はもう“ ハンバーガー ”を楽しいとは思わなかった。

次の記録等 - 能動的想像ふたたび?

2018-12-13:
私は夕方までに西へと歩くあいだに、あの夢に表れた‘ ひとつ眼 ’という表象に“ the all seeing eye ”とフリーメイスンのあれ見たように言った( 今この想起に伴ってか私がそのときにいたのとは別の通り路が記憶的光景のようにみえた。私はN城公園北側に向かってその東側からMK町2への最短距離ルートを歩くようにしていたが、その光景はその路よりも北に通っていて眼鏡販売看板とK×C店舗前へと続く歩道上そのままだった。私は以前その道を通っていた )。
私はフリーメイスンのあれには“ 人民の ”という時代の意味だと思った、それがアメリカのひとつの理想と象徴的にドル札に示されたのだろう、と。


身体的変換? ’というカテゴリー表示名について( 2018-12-14 ):
( ある映画場面“ イライアスが笑み、撃たれる? ”,このメモに伴ったと思われるイメージ. )
私が私自身に守っていること、決して“ 酔っ払いごまかし ”をしないということ。私はこの記録等を自身編集していて私の話題関係に‘ カテゴリー ’を振るについては殆んど間違いが無いと気が付いた( 表示上にどの項目を優先するかと言う問題はあるが )。
これらは私の自己洞察に基づいてはいるが、本質的重要さのために次第に淘汰されてきており、更に主要な連絡( 話題の連関 )が明確に整理される。
例えば私は‘ 身体的変換? ’というカテゴリー名を付与したが、これは元々‘ 私の妹 ’という表れを言う場合に伴った“ 振戦( クリーゲル )”というワードであった。,私が私自身にこれを説明できないが、さりとて右半身の不活発-不随意に無関係だとも言い切れない、何らかの解消-解決に向かえる可能性があるなら、参考のためにこれをカテゴリー表示しておこう、と。
“ 振戦 ”という語自体はおそらく私が昔“ ヒステリー研究( Jブロイアー,Sフロイト )”を読んだときの関係だろうから何らかの連関を示してはいる、けれども何が適当なのかはわからない、結局‘ 投影 ’されたイメージ等に関して回収( 昇華 )できるのは当人だけだと私は思う -
( これも私の‘ ヒステリー ’読書不足と言うべきか、-との? )。
それで私の現状としては少しソフトな問いの語に置き換えたという訳がある。
( 次回“ 横道を歩く ” )