“ 163円ビール ”

2018-11-03:
寝床で性欲が高まる度に、私は“ シスター ”を呼び出してただ鎮静化した。私の‘ 夢見 ’に向かう。

( わたしは )マラソン競技大会会場への道をひとりで辿っていた〔 私が運動系競技会に参加するとは有り得ないことなので、この時点では私の起きていない状態 〕。
人の無い( 街センターからかなり離れた )道路と岩場だけの所。左側に作業員かバイカーの男2人がいて、“ 違う、そっちそっち!”と道を指示する。道路右側沿い、作業用に設けられたような凹型( コンクリートか、わずかにピンクがかったようなやや暗い面、その底面が煤けたようにみえる )通路。
( 私の頭の中に“ 港までの通りの方向 ”を図示してみようとするが、白っぽく地形輪郭線だけの )どちら側に行ったらいいのか。
“ それは諏訪崎すわさきかな? ”と、うちの父のような口調で言う、別の声。
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おそらく競技会会場に近い( その直前の )小さな商店通りか、特徴無くただ向こう側に開けたようなあかるい印象のその両側に,お店前それぞれ路方向に並んでいる( 老婦人を含む )者たち。
ある軽食食堂みたいな店内。向かいの壁際に仕切られたテーブル席に( 見覚えのある )婦人ひとりが食事中の処。その右手側小さなカウンターバーのような形,その上にひとつだけ値段表示みたいに,同一字体の合わせ数字3桁がその白い小プレート等のずれに依って少しずつ上下に不揃いにみえる。そのカウンター越しに、やや特徴に東方ロシア系のような顔立ち,マスターらしい姿。 - 私は即座に“ 情報を得る ”という事前の課題と想い起こした。が、同時に、いっぺんに考えようとして興奮状態になれば‘ 夢 ’を中断してしまう。 -
私は“ 163円ビール ”というその表示について次いでに“ 吉田-るいじゃないんだ ”という冗談まで言いかけてみたが、主人は普通に見ているだけで答えない。私はテーブル席の方へと振り向いて“ あなた、これ飲んでみないか? 163円ビールだって。”,彼女は立ち去りかけたのかその顔が既に右側近くに遇って“ やめました。”
その短いカウンター台-左側に婦人か少し若いがその主人に顔そっくりなもうひとつの店員姿が現れた。“ おたく、よく似ているね、ご主人と娘さん? ”私は2人を見比べながら言った。
〔 これも午後に渡っての何度かの数時間ずつ睡眠にて最後にみられた夢。またもや私の調査活動には不十分な途切れだ。‘ 夢 ’観察機会を増やすためには、普段の生活にも意識的であることだ。
今回の場合にも‘ 夢 ’と覚えたの理由がどのポイントだったのか判らない。ただ、連想として( 私が旧‘ 夢見の実践 ’ファイルに話題にした )一例; あるアパートメントの通路奥-面に幾つかの白地プレート各数字ひとつずつ等が不規則な縦横間隔という“ 光景 ”。;そのように各数字プレートが互いに並列しないでずれてみえる。このような一見奇異な印象への問題として、それが光景と私の心象とのきっかけなのか、メタファー化されるよりも以前のなにかなのか?という質問は当然繰り返される。私は次回これを課題する。 〕

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2018-10-31:
私は今日極めて清潔で在りたい。

2018-11-01:
私は“ 彼女 ”が私の逃避に因るつくりごとだとしった。

2018-11-02:
午後5時、久しぶりに私の意識が留められている状態でイメージがみえた。○ 一瞬、黄色っぽい板張りが前面-正面に長方形にみえる、ある壁際に張られてあるのをみたような印象。

[ 夕方、時刻が合わなくて先日よりのマイブログ更新に至らない。
歩道上の小学生のひとりが通り掛かりに周りの子たちに関係無く例の口先言葉を発する。例の突然笑いだしたりの婦女たちのように、私が今すべてのエッチをことわる覚悟であり,反対側の“ 先生 ”を自任しているということが、彼らには未だ判定不可なのだ( 少しでも人様の礼儀なら、私の傍でわざわざ私の背中に向けて拍手の振りなどするわけは無いから )。
道々おはなし側で‘ ひとりのコウシロウ-オケダ先生 ’のために言い返す( 私が本当にひとりでいたいのに、彼らがアピールするかのように粗相をするのは、私には不思議だ )。と思えば、夜空に公営団地のどこかから“ 先生!”と快活そうな少年のひと声が上がる。 ]

[ 夕方、例のFM通付近で背後に不審なグループの笑いを聞いたら、即座に‘ お断り ’と言うこと。( 私が“ 彼女 ”を放棄した途端に、)婦人たちの非常識な酔っ払いみたいなマナーの無い態度が増えた。
H小路通にて明日に向けてグループへの尾行訓練などしているあいだに、不思議と私の右半身は楽になっていった( 私は時折ライフル持って狩猟をするという漠然とした先のアイディアを持ったりしたのだが、その目的は“ 恋愛 ”よりも明快だ。科学系に好き嫌いや感情は関係無い。 )しかし、私はもう“ どこかに出掛ける ”という言い回しを持たなかった。場所が重要なのではなく、私がここに在るだけ。
そう言えば、私はその直前に図書館で検索メモしながらラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いていた。私は私の身体左側だけが広いのに右側には肉体範囲だけなのをバランスが悪いと思い、こちらにも開放してみよう( 意図してみよう )と試みていた。懐かしい変調、ガーシュウィンのあの有名曲の元はこれか? 
なんのきっかけか、一瞬どうしてか昔のファッションモデル“ Aさん ”姿みたように想い起こされた。 ]

帰り路、○ 四角い仕切り等の向こう奥に閃いたような、小さな白い光というイメージ。

2018-11-04:
‘ 私自身に拠って私の両足を的確に伸ばすには? ’と心理的に質問してみた処、‘ お寿司のものをみるときのように( 私の両足にこれを望むこと ) ’という面白い答えだった。私は物理的方法を試すについてはそのように歓び望ましさよりも何年も痛んでいた。