導体と観察者

2018-10-05:
!これは夢だ,途切れ無くこう言い続けることが、どうしなくて難しい-? 私自身に焦点となっていたものが、“ 彼女 ”という性的な対象を動機とした時に、反転し、投影し、再び収拾されなければならなくなった。
私はあたかも10代後半のときのようにそれを単に‘ 痛み ’と涙するような振りもできたかもしれなかったが、科学的な研究家ならばただ“ 感情 ”にやられたというような型通りの受けにはしない。

フロイト性理論と私の両足についてのメモ:
栄養が両足にいきわたること。栄養分が適当に到する。物理的イメージから感覚的イメージ-コントロールされて集中する( リラックスに拠り血流量を復活し成長-伸長を再生すること )。
食物摂取に於いては性目標は対象の体内化である( のちに同一化 )。
〔 性的行動に於いては性対象は体外の目標化される 〕。
“おしゃぶり”の対象性? -性的活動が食行動から分離したのち自分以外の対象を放棄し自身の一部を対象とする。
( 両足自体に転化できるか? )口唇的である必要性は? 
- 自体性愛的な活動に対して制圧欲動と性源的性質とは能動的-受動的であり、対象一致していない? 

私は‘ これは夢である ’観察実験を再開した。
・ 常に両足を延ばしていること。

2018-10-06: .. 快の最高の状態はこの性的過程の最終目的と結びつく。性欲動はここではじめて、生殖機能に役立つものとなる。いわば利他的なものとなる。というフロイトの意見,この“ 利他的 ”という見方は私のように単に性欲を利用してきただけの側には衝撃的な表現である。

私は夕の夜道に私自身の観念的に‘ 脇腹を使わない( 意図を向けない,そこに性対象を持たない )’ように歩いていれば、以前のようには無闇に対向者たちの人目を惹かないとわかった。それよりも、先ず私は私の右足‘ これ ’に対抗していたのだろう。私自身の身体に和合していなかったから、対立が意図されないとしても私以外の他人にもそれを‘ 対抗的に ’感じさせていたかも知れなかった。
- この試みに‘ これは夢だ ’という恒常的の意図を含める。

2018-10-07:
私にとって自身が‘ inductor ( 導体 )’であることは、詰まりの無い快楽を意味する。

私は私の‘ おはなし ’が表面的なので本当に内心の方で一致させて言うための方法が必要である。もし性的な欲求などに関して嘘ごまかしを当然化してごまかすようなパターンがあったりすると( 又は‘ 性対象 ’と偶像化されたものがそれ自体のように保持されている場合 )これはコントロール不可の難しい問題となる( 私には自身の性癖というよりも生理的感覚の問題であり、観察眼の有無に拠る )。

ところで、私は今になって漸く判るのだが、私が幾つかの仕事場に訴えたのとはおそらく無関係に、実際に現場を外されたのは例の‘ 口写し ’の側ではなく、むしろ私のような断り型に対して勝手に“ おともだち ”だとか“ 恋人 ”だとか“ 弟 ”などと言ったりするコンプレックスやファンタジー本意のものたちだった。

私は昔‘ 金縛り ’のときに右脇腹が痛んだのを想いだせる。だが、これが右半身の‘ 抵抗 ’または‘ 対抗 ’と直接のなにかであるかどうかには思い至らなかった。容易にならず原因が判らないので、解消の手当てが無い。今これには当に‘ ヒステリー ’に理解するような対処が必要だ〔 これこそ“ 症状( 訴え,或いは正当化の )”ではないか? 〕。

2018-10-08:
- 能動的バストアップのときに‘ この女 ’を受け容れよ( 両足動かすには上半身の鍛えが必要 )。

2018-10-09:
○ 私の体を半分起こしてこの右側で‘ 視よう ’としての一瞬,以前見掛けたような洋菓子屋のガラス戸越しにみえる光景が遇った。私が実際に見掛けたときにはそこに店員がいたが、このイメージにはガラス製の商品棚も空っぽのようであった。私は即にこれが能動的に‘ 視よう ’とした一瞬の記憶との自動連想だったとみなした。しかしこのイメージ上では既にその‘ 欲の対象 ’だけが消されていたのである。

- 再び私自身に‘ 霊力 ’を向けなければならない。

2018-10-10:
両目を忘れて( 肉眼の有るのを忘れて )視る。
〔 私が寝しなにこれをやってみたからか、久しぶりに“ 幽体離脱 ”のような夢が遇った。私はゆっくりと私の体を起こしながら私の前に壁面に黒い木製の枠みたいな形と正方形に開いている所を半ば浮かぶようにしてくぐった( 私はこのとき私自身に普段‘ うちの母 ’として分離している‘ それ ’が同時にあるのをはっきりと覚えた )。押入れのような隙間になにか物品等がしまい込まれたように遇った。そこから別の部屋とのその隙間のような少し暗い所,なにかの紙箱に幾つかの単眼鏡みたいな筒とレンズ等が、ちょうど私がその箱外側に触れたかのように転がった。私がその少し明るいもう一方へと視ようとすると、近い壁面の私の視線先に横倒しに立て掛けられてあったかのように襖一枚が遇ったが,途端にそれ自体に拠って揺れ浮いたかのように奇妙に向こう側へと動き出した。 〕
+ 私の‘ 視よう ’のきっかけは既に夏休み以前から再び“ 彼女 ”に転移していた。私は今一度これを‘ 夢だと観察する ’と連繋する( 私自身の視ようとする度に )。

- この体だけに集中すると、熱が復活する。

next >

“ 転移 ”の実態,つるま随想
私は時折T図書館の女子係員に“ 固着 ”が起こると、その度に‘ 私自身の希望-分身本位の投影だろう ’と表面的に思い、それ以下の考えには至らなかった。しかし、ここには双方向のベクトル情報は無い、また、私自身が直接そこに同一化しているかのような様相がみられても、私がそれらに単なる物真似なのか私からの直接影響かその逆なのかどうかを見分けられないという場合もあった。
-おそらく1994年から2005年前後の私がアルバイト先の婦人方から“ 面倒臭がられた ”ように( 実際には“ 性的なおっかなさ ”に関して私が主任から“ 上役 ”注意を受けたのは一度きりだった( “ 営業部長 ”といわれたのがそのひとのことだったのかどうか、私は例のTMさんには訊ねなかった )。それもおそらく当時の私が変形の無いやさしい印象とみられていたからに違いないのだが、〔 その20代前半の期間に、既に街なかでの不意の見えないからかい罵声のようなものが別のところで始まっていた。後々私からは別の意味での“ バッシング ”の種が遭った。そのような“ 冒涜 ”は先ず夢の場面にだれかの悪さとして表れることもあるが、私はぜんぜん‘ かれら ’に特異現象という扱いではなかったし、私自身の死ぬような慌て方にもならなかった )、私には図書館サイドにそのような問題は常駐できないという矛盾があった。〕私は最後のクレーム票には“ 私は一見きれいな彼女が夏の間に30代みたいに冒されるような印象にはできなかった ”という、私信というべき言い訳だった。
ところで、私はそれに書いたように、その郵送まえの前日夕方に“ ジョギング姿 ”でその図書館2Fに例の単独-時間差で見に行ったのだが、その直前の偶然として、私が偶々歩きのルートに北側からCH小学校前を通ってT公園方向へと抜けかけた時、そこに汗ばんだような暗い顔色の黒い事務的スーツにショルダーバッグ姿の男が建物傍に電話連絡しているのがみえた。その顔は昔の同級生EHを想わせた。彼は2011年頃になって突然わたしにブログのことでなにかSGI関連を中傷されたとでも思ったのか削除しないなら東京のある交番に出頭しろというような非難メールを送ってきたという事が遇った( 同時にうちの妹も何か彼の側から言われていたが、わけはわからない )。彼は昔その向こう側に最近工事現場になっている所の団地に部屋を借りていた。私がバリサンを掛けていなかったとしても昔の知り合いが判別できるかわからなかったが、私には彼は私に注意を払ってはいないようにみえた。
どうしてか私は彼がこれらになんらかの関わりがあってそこにそうしているのは図書館への調整のためなので今回彼は非難ではなく正しい問題として言うだろうと直観的に思った。
( それが本物の彼だったかどうかには関係無く、それが私にとって表象であり、心理的サインとみなされ得る場合,若い日の、カール-ユングの教えは決して死んではいない。ただし、この意味、私の方が“ 受付係 ”だという見方も無くは無く、これには二重またはトリプレックス或いはそれ以上の偶然だったかもしれない )。
私が2Fへの階段を上がるとカウンター右端の新聞縮刷版など受付席に赤紫色シャツにエプロン姿のひとがちょうど私の顔も見ないうちに立ち上がって背を向けたままその奥の部屋へと入るのがみえた。昔,あたかも婦人たちが私の目線か気配に気づいたように背中越しに振り向いたり“ やりたがりですか ”と言ったりするという最悪なケースがあったように、私の気配を避けたかのようでもあった。それは、以前に私が半年間かのボイコットの後に久しぶりにそこを訪れた際、まったく偶然のようにそのカウンター左端の奥からひとりがあの見覚えのあるような縁無しラウンド眼鏡姿で現れて( 挨拶の代わりに )ひと言あの中域ヴォイスとも言われるような声で“ わかりました。”と言ったときとは、一見対称的のようだ。
私は先のクレームには“ 他人写し ”の側ゆえにそうして不慣れな来館者たちを戸惑わせるだろうと常識的に述べた。無論、問題は、そこが一般の図書館だったからであり( 何度か女子係員や他の女子来館者からの“ 色目 ”が遇ったとしても ;前回‘ 孤独者の衝立 ’ 2018-09-18 )、人以外のなにかの理由や“ 写し ”によって勝手に試したりはできないし、私自身に汚し事もできないだろう。
-
私は開架から適当に“ フロイト全集 ”を選んで開こうとしたが、まだその順序ではなかった。私は最後にあの席に彼女が戻ってきて青っぽい色紙での貼り絵工作みたいなものを開いている、その後ろ姿だけをみた。

2018-10-11:
- 本当に両足自体で立って( 伸ばすときのように )歩く。

2018-10-13:
そう言えば、このまえ、ある週末の夕方過ぎだった、私がいつものようにFM駅側からまっすぐH小路通を抜けて大通り交差点際-噴水スペースに近づくと、姿は殆んど見えない( 私は眼鏡が無い上にバリサン掛けだったので、暗い場所では見分けられない )久しぶりに聴いたようなバンドの演奏が遇った。当時“ ドックス ”というようなバンド名だった。私は一々には見れなかったが、私が歩いて暗がり側面の方へと過ぎるそのあいだにだけ、彼らは私の聴き覚えある昔のフレーズを奏でた。
人類の何割くらいが私の“ 匂い ”に気がつくのか、私からは分からない。私は未だに“ Interview with the vampire ”を譬えに云うように、あのルイの退屈紛れを感傷的に200年余り語るというやり口を、飄々と超然との、もう一方の生き方であるかのように想い違いしていた( 原作でのルイがアーマンに面して自分らの“ 超越性,能力 ”について問うというくだりがある )。
最近も、まるで10年まえのコピーのように私の路上や夜の読み書き場所で、さも遠目みたいに自分らを呼び捨てにするかのように無駄口と傍を通りすぎるだけの若いグループがあったりする。( ある別のグループは何年も私のことを“ 先生 ”と呼んでいる )もし彼らが詰まらない彼ら自身の類いをあきらめて少しでも“ 研究 ”の余地がもてるのなら、少年期の自己対立など時間の無駄にはできないだろう。
彼らは私の言うような‘ 能力司 ’の側ではなく、小鳥のように自動的に物真似させられているのを自分らの言葉だというだけの不良に過ぎない。
-
自身にぼんやりしたくなければ、話しかけようとするのをやめるだけでいい。

今晩“ オケダ-コウシロウさん ”と敬称つきで言う側がある( 私が街の休憩椅子に掛けていよいよ自己催眠誘導への手順化についてメモしていると、私自身の自己対立が消えた一瞬か、偶々右側近くの女の子たちの話し声に、私自身のその優しい呼び方と聴こえる )。

+ 帰り路,私が一度も忘れないで‘ 夢だ ’観察訓練とする。

2018-10-14:
○ 夜道の印象,だれもいないまっすぐの小さな通り( 両縁にわずかに高く少しあかるく分かれた部分 )左側に、そこだけ灯りが点いているかのように理髪店の回転サインがみえる。その道路右側には、ちょうどその灯りの正面に向かってT字路の形であるかのように側道。

自己催眠についてのメモ;
体の能動的意図を保ったまま( 現在形に )意識化できるか。
能動体と意識体:
自己催眠を手順化する。( “ 手袋麻痺 ”を逆に右側-左側通電に利用する。更に感覚化する。 )
- 深呼吸 - トランス状態?:
“ 体が動かなくなる ”,“ 両目を開けてはいられなくなる ”などの誘導段階と自身への制圧欲動-性源的性質とを一致させる。
{ リラックス,ここでは( 今回 )身体感覚の日常的な“ 鈍さ ”はその部分への運動不足や脆弱さに因るもので、神経麻痺させるような心因的の理由は特に私自身には無い( うんどう不足・説 )。
また、常に‘ 私は私の身体部分をコントロールできる ’と監督すること。これを暗示する }。
- この誘導段階に於いて“ 数を数える ”のは誘導トレーニングの為で、実用的には一瞬に可能である。
私の場合、これは夢見の実践である( 常に‘ 夢見だ ’と促すこと )。

2018-10-15:
想像癖は私の両足には‘ 委縮 ’だった。
- 十全に感覚化してみる。

2018-10-16:
私と、ある‘ 女のひと ’を介していうときにだけ“ わかる ”可能性,“ 交感 ”について。( 私は口先の写し言葉や物真似には価値を置かない。 )