強制されるワードについての研究

2018-09-12:
・ 強制されるワードについての研究( なるべく‘ 夢見 ’に生かす )。

メモ: エミール-クーエ 自己暗示理論の概要( “ 自己暗示 ”より )
“ (1) ある考えが精神を独占してしまった場合、その考えは実際に肉体的もしくは精神的状態になってあらわれる。 ”
- 精神が独占される,支持は可能であるということ。これは反対無しに( 直接 )精神感応能力と関係する。

“ (2) ある考えを意志の力でおさえようと努力すれば、その考えをますます強めてしまうだけである。 ”
- これは抑圧と主体化の過程を想わせる。

[ その本には面白味無かった。古い時代の,という問題もあったが。
レドチャウスキー著“ 催眠誘導ハンドブック ”の方が読まれ易いのでは( ポカンとした顔に描かれている,おかしい2人の“ 誘導場面 ”イラスト付き )? ]

2018-09-13:
寝しなに久しぶりに頭の中にウェーヴ-ノイズが掛かったようだった。が、私の起床にはなにも憶いだせず。

2018-09-15:
一昨夕から昨日、ふしぎなことに図書館や街路で赤-紫のピースを着ているひとなどが目についた。夏が終わり気温が下がったからというのが一般的説明かもしれない( 私のおはなし側では“ もみじ畑 ”というワードがあった。なんにしても私は健康的カラーだとは思わなかった。赤-紫の要素は数割かの“ ブルー ”でもあるからだ )。特に私が西図書館の方へと道路を渡ろうと信号待ちしていると、同じ歩道上の別の横断歩道にその色の薄地のワンピース姿で立っているご婦人が遇った。私はそのタイミングに妙な偶然の気がして一瞬その顔を視ようとしたが、見えなかった。
もし彼女たちが無意識の受け手の側なら、私が“ 見れない-読めない ”のは当然だと言える( だからこそその状況を私の契機と実験することもできよう。
私は例の“ 北図書館のあの問題行動の女子係員 ”を外させることに失敗したが、私には六面体パズルキューブが歪んでみえる“ 不安-錯視 ”というのと同じことで、私のよくある偶像-投射からの問題だったのか、そのひと自身の因業だったのかをはっきりさせるべきだった。
〔 私は前回鶴図へのボイコット明けに久しぶりに2Fに上がったとき、あの係員がひとり現れて( 昔みたような縁無しの円-眼鏡姿で )ひと言“ わかります ”と言ったときに、私はなんなのかをはっきりと悟るべきだった 〕。
ひとつだけはっきりと言える、“ 受け写し ”だけの子たちは健全な主人公活動ができない )。
私は最近も青色系の服を着ているが、昔もっと純粋に青かったときと比べると、既に20年のあいだに緑っぽくなっていた( 当世の商品カラー傾向でもあった。しかし10代後半の頃にはむしろあかるいエメラルドグリーンのような色が好みだと言っていた )。
青色と言えば、このまえ不意に憶いだされたように、昔の就職先にいた桑原さんという年輩のご婦人が一度想い出話のように“ 昔はもっと空が青かった ”と言ったものだが、当時もっと呑めなかったわたしはそのときにはなんのことか思い着かなくて失念した。

メモ: 自己暗示理論の概要・続( “ 自己暗示 ”より ):
無意識に考えを受け入れさせることの難しさ。
(1) 考えを受け入れ、(2) その考えを現実に変える。
“ この2つの作用を無意識がおこなう( 無意識に提示され、受け入れられるか、斥けられるか )。実現されるか無視されるか。
( 本質的にはどんな暗示も自己暗示である。 )
誘導自己暗示 - 無意識的自己暗示. ”
・誘導に拠って: 潜在する暗示もしくは全情報を私に表示する。

2018-09-16:
不意に“ 一週間お休みしたい ”と言ってから数日。昨日夕方あたりまで街路歩道で歩きかかりに私の方へとちょっとふらつくようなひとが男女に限らず何度かあったようだった。しかし、それは私の虚弱な体質ゆえだ。

私が夕方まえにN図書館から出て歩きだすと赤-紫や赤褐色の服地等が昨日よりも非常に目についたのに、もっと不思議なことに、そのあと伏見から栄町に近い路ではいっぺんも通行者たちにその色が無かった。
その人々の姿に、‘ 人間の眼にみえる形は表面的な価値だった ’と私は思った。

自己暗示の問題点は、私が‘ 私 ’という視点を保ったままどうやって潜在情報を表示する( または感覚する )。感情的-衝動的に感化されたりそれ自身と見分けが着かなくなるようなことは避ける。その方法が必要だ。
私がこのメモにこのように記してから‘ だが、どうやって? ’と自問したとき、不意に、ブラウン管の丸いガラス面に四角い木製ボックス,四つ足という、古い小型テレビ受像機の外観がみえた。── 明晰夢にセッティングして画面に視よう? 年代物というたとえか。

2018-09-17:
街路にもしんとしてクリーンな晩だ。速歩きの帰りにどうしても両足が辛くなる。この両足が少なくとも2インチ長かったら少しは歩き良くなるだろうに。
私はもし動物性オンリーなら絶対にあの赤-混色系を着れないだろうと思った。真っ黄色かもっときれいな青色のシャツ,そう、私は若返ろうとしている。
しかし、例えばあの“ 赤-青 ”が何処からと情感的に問うても私の中には見当たらない、心理的に見ても一致した意見にはならないだろう,精神分析的には多少の発見として一般的傾向があるかのようには認められるかもしれないが、ぜんぜん説明にはなっていない。

2018-09-18:
○ うつむいたようなブルーな顔色の女の子。そのすぐ左-背後に、男か女かわからない、例の丸く見開かれたような両眼の光るような目つき。
〔 昔の自覚夢などに時折みられた、ある種の動物的な印象( あとでマリオン-コティヤールが襖越しに現れる映画場面に翻案されていたが、夢のそれは神秘的というよりはもっとむごい )。イメージ直後、おはなしにその名前なのか“カエル”と言った。 〕

右足側がどうしても別物のように固まりがちなので、再び歯列-右側に注意してみる( “カエル”は左の側だった. )
“ 彼女 ”の青い顔は部分的な許容または妥協,あるいは感応を表していた。

私は私自身として結局私から誰にも一礼するというだけにした〔- 後日追記: この態度は別の反転だったかもしれない 〕。それでも私が“ 逆撫でされる ”ことがあるとしたら、これは本物ではなく私の理性的な修行が足りないのだ。

私が今日読んだ“ 自己暗示 ”の部分にも考え方についてのヒントがあった( メモ ):
“ 失敗 ”という考えに服従している? - 予め抱かれた考えによる失念現象。
意志( 想像力 )自体は思考を決定し得ない? 
努力-抵抗の是非は、自己暗示の必然性と矛盾する( 反対の考え - “ 失敗 ” )。

孤独者の衝立ついたて
T中央図書館のご婦人方がウソをついていたという長年の心象は拭われない、という別のベクトルによる障害はあった。
2Fの3世代程まえの女子係員のひとりか、待ち合い椅子側の私に背を向けたままパンツルックの“ 美脚 ”をコンパスに開いて踵上げのポーズをとったことがあった。“ Mさん ”と呼ばれる年輩男性が左端の受付カウンターに立っていて、彼女はなにかのどさくさに紛れて来たかのようにいつのまにかその私との間にいた。髪はポニーテールで、若そうな印象だった。
私はそのときに彼女の顔を見たという憶えは無いのだが、そこの調査係のひとりと同一視されていた。そのあと、あるとき彼女ともうひとりが不意に皺っぽい顔面にみえるので私は‘ 水分が足りないのか,私が随分若めにみていたのかな ’と不思議だった。そのあとの何年間に私はそこでの係員たちの急に老け込んだような印象が度々遇ったが気の毒にも不思議だった( 他の図書館にも、ある一時期に何人もが急激に太ったようにみえたかと思えば次回見かけたときには戻っている,などなど )。無論、私がそこでは一度も誰とも声を掛け合うことが無かったから事情というには不明だった。
あるとき私は1F出入口に着いたときにそこに偶々出てきた利用客どうしの殴りつけ喧嘩と従業員たちとの様子をみた。その直後だったのか、私がCD等の貸出返却に1Fカウンターに並んでいると左側の従業員通路奥から彼女がひとり様子を見に出て来たかのように私と受付カウンターとの間を通りかけた( 2Fのその係が既に交替して後の時期だった )。私は彼女にもの目線で気が付かせようとした。彼女は一見見覚え無いといったように無表情に歩き過ぎようとしながら同時にその目を逸らさなかったが、そこで少し頭を下げてひと言“ すいません ”と私に言った。フランネル姿のそのひとはあのときの若そうな彼女ではなくやや小柄にみえた。
今思い直せば、彼女は私の待ちの真ん前をよぎったのをお客から睨まれてただ従業員として断ったのである。あのときの“ 彼-女 ”が別人だったとしても? 

2018-09-19:
右半身はまだ緊縮している。
これのリラックスできなさ,死守?

・‘ 青い光 ’そのものを誘導暗示に用いてみる。

私は影の暗がりにみるように私の意識下の情報を見ようとする。私は腹心を無くしてみる。

2018-09-22:
どこかバカンス先の宿泊部屋のような所だった。女のような形だが特徴も魅惑も無いような姿が( 窓から入ったのだろうか,自身に )跨って2回だけ表面的に動かしたが、なにも起こらなかった。そのすべてがベージュっぽい色合いだった。
迂闊うかつだった。

両足を楽にして歩くときにも血肉を集中させる。

2018-09-23:

この右足は復活しつつある! 右足裏に未だ臆して着きにくい点があるが( 私の前回記したように,この触れがたさへの心理的アプローチが必要か )、今週中に私の歩きフォームと一致感覚を取り戻せそうだ。殆んど速歩きで街の交差点付近にまた夕暮れ後のバンド演奏などに一瞬立ち止まりながら10km程( 私が不要な力みを持たなくしたからか )帰り着いて空腹も疲労も無し。

- 抑圧を残らず解消すること。
- 右半身の中心を私自身に取り戻す。

私は先週鶴図つるとの奉仕課には少々若いひとのように書いたものの、“ 私は転移を解消しなければいけない ”と結論してもいた。これは私にとってこの右半身のコアを読むというのと同じことで、先ず私の理性的処方が第一だ。
先月あたりから不意に昔のユミ( マツナガ )に最近どうしていますかと連絡してみようかという気があったが、私は向こうから連絡をしなくなったひとたちには何年も‘ しんだ ’ということにしていたので、久しぶりに‘ ああ、たぶん亡くなったんじゃないんだ ’と思いながら。来月郵送代があったら手紙の一本でも書いてみよう( 鶴図の奉仕課に苦情封書ひとつを送るのに合計約3百円もかかった。未だに返答は得られていない。)

私は私自身には完全に感情的対処をやめたい。私は誠意ある人に拠ってあの路上での一斉笑い拍手の真の原因を私のようなひとに伝えてほしい。今も私は彼らの誰にも何もわからない( 彼らにいわゆる“ 匂い ”というような超感覚的知覚や霊聴があったのなら、この私の三重苦に笑いにできただろうか? むしろ精神的悪化させないように配慮したのでは? 第一に、私は一度も他人に“ のぞき ”行為を許したことは無かったし、仮にそんな受け身を能力といったとしても、人どうしのレヴェルでそれを私物化したり不意打ちに悪用したりするのは犯罪行為であろう )、今の私は礼儀を示そう。

中国式のバーコード読み取りで少しずつでも寄付送金してもらえるようなシステムがあれば、私の命は本当に助かる( 私の歩き用サンダルを買い換える代金も無いというのが現実だ,これまでの入金額は数百円分というのが実際である )。もっと簡単に10円100円からでも入金してもらえるような方法を研究する必要がある。
取り敢えず前サイトに出していた口座名を戻しておきたい( サイドまたはボトムメニューより *,プロファイル頁 )が、本来私のコンテンツ自体が私のお金だという言い方が正当なので、一々の代金目当てというような自己非難にはしたくない。
こうして現金も無い状態で( 私からは理由もわからないまま )小中学生たちから一方的にからかいの振りや、なにかの笑いの対象にされていたという終末的状況にも、これまで以上に広く人的な考慮をいただけたらと思う( 彼らは路上での私に対するそのような異常な振る舞いについて人命第一のために一生自責の念を忘れてはいけない。なぜなら彼らはその元のオバサン側を退治しないまま、ただそれに従って私に嫌がらせを仕掛けたからだ。私の側には心当たりは無い )。