夢の発生

2018-08-27:
寝るまえに‘ 青いフラッシュ ’が一度みえた。‘ 一点からの光 ’ではなく、右半分からなにかページをめくって開いたかのように均一の青い光だった。

2018-08-28:
“ 彼女 ”を夢見-意図に転換する。

2時過ぎの夜道に私自身の影をみると、再度あの気づきの‘ 夢 ’での“ 影 ”だけが写っていたという印象の、その‘ すべて私自身からの影だった ’いう基本とおもう。

“ 後ろの鬼 ”は居なくなった。
太腿の前面を緊縮させすぎると、両足には労力になる。今度は前面をすらりとしてみる。両足歩きにくさの原因のひとつはこれだったのだろう。
学校等で便を我慢しすぎたのが慢性化の原因か、それとも性格そのものだったのか。

2018-08-29:
フロイト“ 性理論のための3篇 ”第1の注18はフェティッシュと性的関心について示唆している。
フェティッシュが現れる一番はじめの想起( 4歳ないし5歳以降 )の埋もれてしまって忘れられている性的発達の一段階が存在しているのである。この段階は、フェティシュによって、あるいは‘ 遮蔽想起 ’によって置き換えられたりする。

ところで、私はこれらを読んでいて、以前、ある通路際の婦女子などが私に面してその口の両端を引くような仕種をみせたのを想いだした。西洋には会話中に“ 私は分からない( 関われなかった )”というようなニュアンスでか、そういう口つきをする場合はある。
私は女の子のそれは逆の方向ではなかったかと思い付いた。それは後退ではなく前進の欲求であり、実際には甘えたいがある、と。

しかし、私にとっての重要なのはそれではなく、この引用部分の言っていることが直接‘ 夢の表れ ’そのものかその関係を同時に指摘しているのでは?という質問。

2018-08-30:
私がある図書館内で端末前にみていたとき、しんとした中に児童コーナーの方から幼児の声があった。そのやわらかな響きに同時に別の‘ 言葉 ’のようなものが聞こえた。私はずっと私の体の中の‘ 自己対話 ’だけだったが、その“ 天使の声 ”は少し違っていた。
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なぜだか体の右側が痛くて,くたくただった。
私自身はここにあるのに、なんでか‘ おはかれ ’の時のようだ,ニセモノの日を?

2018-08-31:
私が先日歩き最中に( 私の背後にあるかのように )みえた“ 青い光 ”は、小さな縦長-長方形の範囲に収まっていた。
3日程まえに私はその‘ 小さな青い光 ’と同類かもしれないイメージ等が遇ったのをみていながら、どうしてかそれらに想い出さなかった。○ それは一見あの“ 2001年宇宙の旅 ”のHALのカメラアイ-パネル部分のようでもあった。しかし、青い光だから“ 2010 ”のSALのそれを想わせる。ちょうどそのパネル自体に上部の青い光が透過したらそんな風にみえるだろうように。しかも、それが非常に幾つも( すべて同じサイズのコピーであるかのように,ある中心等からまるで植物の一点より開いたような形に,それぞれが立体的に空間に在るかのように前後に )集合したまま丸まっているのがみえた。
昔の私‘ 夢見の実践 ’に“ クラスターイメージ ”と書き記した類い( 例えばアパートメント内の番号パネルなどが一面に不自然に不規則に偏ってみえる )についての、概念的な形そのものに似ている。私にはそれらの中心-由来までは見えないが。

うちの妹が何か言うために居間に上がってきていた。〔 そこでは“ 妹 ”だということになっていたが、その後ろ姿はその黒っぽいセーター前腕半ば袖とその両肩までの茶色にストレートヘアーっぽく整えられ半ば先端に内カールした髪型で、うちの妹にはぜんぜん似てはいなかった! 最初彼女は背を向けていてその顔は見えなかった。 〕
( “ ヒデミ ”という名が遇った )私は“ ヒデミ? ”と呼びかけた[ その名前にも全く覚えが無い. ]彼女は黙って奥の間に行きかけたが、また戻った。いつのまにかその背格好が変わって小さくなっている。その生白い小さな顔に口が両横に開かれて、斜めにみるような両目がややその両側に引き伸ばされたような形〔 見憶え無い顔 〕。
すると、私の胸の奥から突然震えまじりの怒ったような低い声で、“ おまえは、だれだァ! ”
:〔 久しぶりに“ 憑依現象 ”のような他者めいた場面だった。このときには私は想わなかったが、あとで、私はそういえば最近“ パリの恋人 ”にちょうど両袖7分丈くらいにみえる黒いセーター姿でのオードリーヘップバーンが小気味よい懐かしい動作をみせる場面があったのを憶いだした。夢の‘ 表れ ’にそのような部分的な利用-合成がみられるが、原料との連関が見えない。 〕

2018-09-01:
おはなしに“ DB町 ”という近所の町名が遇ったので、様子を視に行こうとした。東Oz付近の歩道で“ やめましょう ”が口癖になっていたあのニセモノ男子グループの残りもその東側のHa通交差点までは来たが、おそらくそこから西へは行かなかったのだろう。
私は路上でのいわゆる“ 緊張 ”が、セックス欲求に因るものだと気づいた。私は最近夜道では私を真っ暗にみせて一々気がつかせたくない時もあるし、私自身のウェアーとの一致感覚を失いたくない。

朝方また小雨降りに歩こうとして( 広小路通のタイル石は表面が滑り易いので私は錦通を行ったが、それでも一度スリップしかけた際に左足薬指と路面にぶつかって内出血した。 )
しかし、そうして滑らないように両足先を注意しながら動かしたからか、帰って鏡に映してみると私の両足は少し長くみえた。意図的に両足先に掴むような動きが効果的か。

2018-09-02:
朝歩きにルートを更えて“ Db町 ”寄ってみた。あるアパートメントの前に、“ 誰かが立っていた ”というおはなしが遇ったが、だれもいなかった。その町名周りを回って再びそのアパートメントがみえたとき、その傍に婦人ひとりが歩いていた。そこに“ 立っていた ”のは誰かではなく、私自身だった。
T公園傍の特定場所に( 出掛けのおはなしでは7:50にと )予告してタイム計測無しに実際その時間きっかりにそこを通った。早すぎるのか、T中央図書館は空いていなかった。
そのあと右足の“ 力み ”箇所がその親指だったと判明( 昔メテオラに上り下りして以来、また先日久しぶりにその爪も出血痕に剥がれかけている。その部分に力が掛かりすぎていたのだ )。西Os交差点で直角に回り、三の丸を過ぎてHk町2。いっぺんに歩いた量としては18km~19kmくらいか。

2018-09-05:
・ 自己催眠に拠るセットを考える。

イントネーション心理学,
- 自己セッションに基づき、ある自動的反応の如何を自ら策定し、これを対外的に応用-実践すること。

久しぶりに私“ Interview with the vampire ”に地下墓地に堕ちた者たちの座長と主人公ルイたちとの石造りの室での会話場面を観た。そのとき私に“ ヴァンダル ”というワードが遇った。私はその視聴のあいだにアントニオ-バンデラスの名を想い出せなかった。英語辞書に“ Vandal ”というそのままの綴りが遇ったが、わからない。あとで“ バンデラス ”という俳優名との連想か?とも( 日本人は“ B ”と“ V ”との発音上の違いを共通カタカナに依って簡易化していたので、“ V ”の発音に難しい。私のみた処、“ Venvs ”と“ berg ”とは発音上一致しなかった。
私は言語観念はこのように自己心理学の問題だと思うが、初めから身体的発音できるひとの基礎が在れば良かったと思う )。

2018-09-07:
朝方、私と寝床での苦労のあとに“ つもり ”とすると言った途端に、目蓋視界によぎるものと上下に跳んだような白っぽい棒状のものがみえた。

フロイト“ 性理論のための3篇 ”,マゾヒズムに関して“ Mの目標倒錯には非常にたくさんの要因が同時に作用している ”と書かれてある点。しかし、S-Mであって、M-Sではなく、一方にリビードがあるわけで、自動的な能動-受動というよりは、‘ S-M的分離型 ’と説明されるべきだと私は思った。
“ 見ることと見られること ”との関連で言えば、“ 露出症者の快が正常な性目標を抑圧する ”という示唆は面白い。フロイト先生は“ 性欲動に混ざり合っている攻撃性は、もともと食人的な情欲のなごり ”だという意見を引用している。要するに、性欲動とは対象化されるので( あるいは音楽や芸術性などのように )、“ 食うものと食われるもの ”という対称にはなりえない。あるヴァムパイアが娘を持つとしたら、それは既に自己対象としての分身的目的だった。

‘ 今日は私の時間だった。’
ある図書館の冷房の中でメモを録りながらうつらうつらしていた。...“ 性欲動そのものも、ひょっとすると単一のものではなく、複数の成分が組み合わされたものであって、こういった成分は、目標倒錯において性欲動からふたたびはがれ落ちていくものではなかろうか、”...。
私は睡魔のような感覚と両目蓋を閉じて私自身の“ 単一性 ”の中になにがあるのかと窺った。一瞬、その“ 視野 ”上部に水平-帯のように幾つもの半円状のものが並んでいた。私は即に“ あの( 夢での )機関車の車輪等部分 ”とみなした。なぜなのかはわからなかったが、この見方が的確なら、原動-駆動が正面-真横にあるかのような。
そこに生じたかのように( まえの印象とは別に,残像ではない )青紫の不定形のものがみえた。それは繰り返しみえた。ある種の発作みたいだとも思う。
それとも強力な“ 眠気 ”と思われたきっかけがそれ自体の動因なのでは?とも思われた。
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私が帰り路に歩いている最中、私は通行者たちの会話中の喋りに私への誹謗中傷のような言葉等が表れているように聞こえた。しかし私は今回あわてなかった。それらは私自身に表れている自動的な“ 対立側 ”であって,人たち自身にとっても必ずしも否定される,私が善人以外を信じるならそれは悪の口先だ。
- 寝床での眠気とともに私は私の両足に快楽的に意図を於いた( サンダル底が擦り減り穴でクッションが足りなかったので、前日私はその両底にその元々のイボイボ付き内張り一枚ずつを地面向きに逆さに張り合わせ縫い着けてみた。それらと私の両足-踵を上げて歩いてみると、着地点等と歩きの姿勢が矯正され、私がこの両足を能動的に動かさざるを得ない。かなり汗ばんで、その翌日にはこの両大腿が充実しているのがわかる。)一瞬、なにかあたかも暗くドアの閉じられた扉-下端に隙間-水平の光がもれたかのように真っ白い光がみえた。
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それでも、右足( 身体-右側 )には未だ私自身になじまない領域がある。左側の温もりに一致しないこれが何で、拒否なのか、沈黙なのか、器官的原因なのかを、私自身と見定めなければいけない。

2018-09-08:
私は‘ 両足で地面を掴むように歩く ’とはいったけれども、これは同時にこの両脚を縮めることでもあるのだ。私は縮んだ両足を反対に路面に向かって立脚しようと( 右足裏の着地に力む部分を無くしようと )私の歩き方を更えた。すると“ ポセイドンアドヴェンチャー ”の脱出中場面が遇った( 勿論アーネスト-ボーグナインのあの顔も )。私の動作かその体の感覚と昔の映画記憶が連想されたのだろう。