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ザ・メンタリスト ( 右側を動かす )

2018-08-04:
連夜ジギングしてみる。右足との満足が無く、弱い。
- できるだけ能動的に。

フロイト“ 性理論のための三篇 ”から読んでいる。私としては性別そのものの価値を否定し( ‘ 夢見の実践 ’は性的動物に依るのではない )単にそれが欲求という動きに基づけばその動機以外には有り得ない。
そのフロイトの第一篇には最初に“ 性的魅力を発している人物を性対象と名づける。”と書いてある。予めそれが“ 発している ”かどうか? 

2018-08-05:
私“ メンタリスト(The Mentalist,TVドラマ)”眺めていて,( 私の手でこの体に触れたときに, )‘ 私の右半身は外的に“ 彼女 ”投影されている ’と言った。六面体パズルに視れないのと同じように、私はそのドラマにも読めなかった( 予め“ 犯人が分かる ”論理? そのお話に言えば主人公Pジェーンが“真犯人”だという見方は以前からあった )。

午前2時ひとり夜道。筋肉痛?か両足が走りにできなかったので歩きながら市役所前へと上がってから、S交差点まで、誰もいないかどうかと視に行った。

2018-08-06:
寝床にて、私の身体真ん中( 逆さま水滴形の )かたまりが感覚される度に、動く心象のちらつきみたいなものが起きた。
私はもっと一所懸命に‘ ここ ’というべきだ。私の身体に関して“ 若い遊び ”をやめなければいけない( 対外的に投影されないように )。

夜また歩きに出てみたが( 肉体の痛みか、エネルギーが足りないかのように )昨夜程にはパルクール的衝動は沸かない。

2018-08-07:
私にとって‘ 意図 ’は二度と具体的な人や所とは結び付けられない。だから‘ 対象( 表象 )’を持たない夢-意図は発起の企図要因をつくれない。
例えば性別衝動に依って対象化される‘ お相手 ’がいなければ“ 恋愛 ”は惹起されない、といったように( これは人生に対して影響の大きいのに、転移対象との交流が優先されて自己洞察の面に見えなくなるからか、一般に研究が行き届いていないようだ )。
〔 自分という己れの分裂を決して信用しないこと。 〕

夕方、私がN城公園沿いに歩いていると背後の路上になにか青い蛍光色がみえたようだった。( 私がそこに振り向いたという記憶は無かった,その‘ 光 ’も四角形を持っていた )私はそれを肉眼に視たというよりは一瞬あの心象のようだった。が、直後に後ろから来た若い女性ひとりの自転車ホイールに光るLED,久しく無かったかのように,ちょうど青色だった。
今夕自転車等そのような蛍光LEDに何度か映えた( それも私自身の‘ 青い光 ’がいなくなった時という逆転的-偶然かとも想われた - “ 明晰夢 出来る ”?[?])
直前私は‘ あたかも外的に“ 彼女 ”に向けられていたポテンシャル,この移遷を解消し、本来のものであること・ ’という観念だった。

夕方に出掛けるまえと夜,帰宅直後に同じように4回ずつくしゃみが出た。体質が変わったのか、いわゆる“ 風邪 ”?
今夜歩き“ ジグ ”に出るのはやめておこう。
夜中,私の体を寝かして‘ みよう ’としているうちに、( 私が連夜そうしていたように )歩道縁の立方石に私の片足を跳び掛けるようにして上がろうとする一瞬。私の体( 足 )が動いて目が覚めた,2回。
その夢の場面のような一瞬に実際に私の肉体が反応するタイミング( あたかも肉体の側がトレースしたかのように )ほんのちょっとずれがあったようだ。
例えば“ 跳び上がろう ”に遅れて動くというのと、“ 落っこちた ”ように感じてそれに対してあたかもびっくり反応が起こるというのとは違う。私は‘ 夢 ’に際してもこのような分析は必要だと思う。

2018-08-08:
昨日よりも外気温が低めだったのか、夜-朝方のあいだ私が私の体と‘ 通信 ’しようと試みていたからか、不思議と余り汗は出なかった。

2018-08-09:
私は例の“ 四角 ”という表れを導入として始めればよかったのだと漸く思い至った。私が‘ 四角 ’を想い浮かべて夢-意図すれば自動的な表象との関係を早めることができるのでは…。
○ 最初に正面に方形を描こうとすると、薄暗い中に白い立方の台を少し上から見下ろしたような( 翳ったような )絵がみえた。立方体の方がイメージの為には易しいからだろう。
〔 私はそれを絵としてみただけで、これ自体を‘ 感覚 ’化することはできなかった。 〕

2018-08-10:
・外的対象を一切やめる( “ 彼女 ”に浪費するをやめる,偶像不要 )。
・能動的( 一切受けない。 )

2018-08-12:
“ 彼女たち ”を放棄する。

私が‘ 観念的に移入 ’しなくなったのが、私の‘ 夢 ’をつくれなくなっている原因であると思われる。私は‘ 空間 ’や‘ 物 ’にスペースマターを持たなくなった。
これらは直接‘ 夢の体 ’のように構築されるべきものだ。ただ絵のように“ みえた ”というだけでは、私の能動的体験とは言えない。

予視夢?
先週いつだったか忘れたが、夢に白い婦人用帽子( 円周の縁とお椀型下部にベルト付き )というイメージが遇った。
翌晩だったか、私は速足トレーニングの帰り道だった。あるバス停とコンビ二店舗との間に差し掛かったとき、そのバス停の待ち客用ベンチに,実際に白っぽい婦人用帽子ひとつが置かれっぱなしだった。
私は通り過ぎてから思い返してもう一度みた。その帽子の形も色も( それだけが置かれたように半分に畳まれていた )あの夢のイメージにそっくりだったが、それとの違い,その材質が革製であるかのようにやや艶がかっているという点だった。[ 夢やイメージングの像に於いては,物理的な材質感ではなく不明だという場合がある。]

2018-08-13:
・質問し続けること。

3時過ぎの夜道,視界と敢えて‘ みよう ’とする。

2018-08-14:
私が私自身に‘ 通信 ’を拒否したことが、逆にひとつである可能性を難しくしたのでは、という提起。
〔 最近の状況は2016年5月末頃の私日記内容と似ている,見えない情報への対処 ;2016-05-25 など。しかしこの日記が‘ 視覚的印象( 感覚 )変化 ’カテゴリに含まれているように、この当時には‘ 身体性 ’は先だ生きていた。 〕

2018-08-15:
私が右足に‘ 彼女たち ’だった要素を収息-一致すると、急に加速する。
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朝3時前、上記の通りを実験し、私自身の歩きに一致しようとするが、連夜からのルートを更新して6号線下沿い方向に移ろうとすると、私の背後に私自身のずれて歩いて‘ いる ’かのような変な気がした。

“ アップロード( applaud )”が難しい
者たちの中に未だニセモノ側の口写し振りをやめようとしないのがいたが、全面的に特に学校等や仕事場関係には最終的な取り締まりを一致させたい。
“情報”受けようとするだけの側は、自由のクリエイターに対してなにも出来ない。生産的-営業的の実益側を阻害している。
〔 私は何年間もかつての“目線ムード”というものを一度も持たなかった。たとえば私がお酒を断ったから飲酒側から不謹慎な顔をされたというなら,それは私にとって分別の問題だったので、“ 研究 ”といいながら道端での見境無しにはしなかった。[ しかし,自ら標榜する,自己アピール性の問題だという認識は必要だった。]〕

今日の私には右の脇腹に“ 水落ち ”がある。

2018-08-16:
右足との完璧な一致感が‘ 遠ざけられている( 避けられている )’理由? 
- すべての対立緊張をやめたい( 私の体にも。 )