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ヒステリーと夢-研究

2018-07-07:
フロイト全集9から“ ヒステリー発作についての概略 ”頁を先に読んでみる。そこにはヒステリー発作の発生( 法則 )として、
“ 抑圧されたコンプレクスは、リビード備給と表象内容( 空想 )から成り立っている ”と記されてある。:発作が呼び起こされる際の誘因として( -その2 );
器質性の促しによって──内部の身体的理由や外部から与えられる心的理由によって、リビード備給が、ある一定の閾値を越える場合。;と書かれて有ったが、そもそもどうしてそのリビードが備給されるのか、生物的機能に因むものと言い切れるのか、そこにもなんらかの再帰するような要素があるのか?という質問は起こる( 私が最初の本から読んでいないから解らない? )。
また、“ 患者がかつて自体性愛的満足を意図的に求めていたときの状況が、そのまま反復される ”と言い、患者の追想アムネーゼは次のような諸段階を経ているという;
(a) 表象内容を持たない自体性愛的満足の段階。
(b) 何らかの空想ファンタジーと結び付いた同じく自体性愛的満足の段階で、この空想が最後は満足行為となって終わる。
(c) 空想は保持されたまま、行為が断念される段階。
(d) この空想が抑圧される段階。
(e) 場合によっては、この空想が、そもそもこれに属していた満足行為、表向きはやめたことになっているあの満足行為さえも再現するようになる段階。

; Koushirou_A 夢日記[ 解説付 ]私の付記として“ 身体的感覚 ”と尿失禁との関連性に当時言及している。資料ファイル編 :20,12-2011

私はこのまえから何日かおきに頭髪を残らず剃っていたが、なんでか額-最前部の生え際部分が少し固く黒っぽく残ってしまい、深剃りしようとすると出血する。私はこの部分になにかあるのではないか?と思ったが、わからなかった。
つい先程私は上の段落を書いていて、不意に、“ 昔チエにやられたところだ ”と言った。私は幼児の頃に家ごと引っ越して以来チエコという女の子とは会っていない。私が“ チエちゃん ”を虐めたという記憶はあるが、私がその時期に子どもの額を怪我したかどうかは覚えに無い( 男の子の擦過傷などはあっただろうが )。
私が先日このブログに“ トンネル内で女と銃弾等を受け渡しした ”という夢について簡単に述べたとき; 私は女から受け取ったと当然のように言ったが、私が先月‘ 資料ファイル編 ’に2011年頃からの記録等を移し直そうとして久しぶりにその日記に読んでみたら、それは(わたしが)女に手渡して依頼したという場面だった。
しかし、私が‘ 図書館自身 ’に成り代わりたがっている[?]というのもウソだというのと同じように、それらもメタファーに過ぎなかった。

私は私が“ ヒステリー研究 ”に再び取り掛かれば、少年らのあの路上不審行動は終息すると思っていた。今回フロイト論稿を読んでみると、私からは‘ 少年らの路上でのあの受け-拍手は擬似-性行動だ ’という説も提示できそうだ。だが、私自身は男子グループ的ではなかったのは明らかだから、原因は女の子の領域ではないか?[ 但し,恣意的には. ]( -クリエイション- 作家性に関わる,これについては検討が必要だ )。
こうみると、私の“ 彼女 ”は、ある種の受験( 受権 )-活動ではなかったか?[ “ 私が預けたから ”と言わない側にとっては. ] 無論、私は“ 彼女 ”という特徴化を私の主体とはしない、これらは内的合一していなければ必ず分離-投影-偶像化を催してあたかも外在外所とのなんらかの関わりと言おうとするからだ[ -といった作為かもしれなかった. ]

フロイト論稿に読んで,前回 :2016-06-15

2018-07-08:
私の頭部が切り離されて室の床に置かれた。きれいに顎から上だけが外されたかのように左やや後ろ向きに置かれたそれは( 全く毛髪も無く,特にその接地された顎-辺りの皮膚が )妙に滑らかにみえる。私は‘ そこに頭が置いてある ’と繰り返し言ったのだが、そこにいるだれかにはそれが“ わからない ”視えないかのようであった。
( 私が“ 頸椎ずれ ”と書いたこととの関連? )
寝床から起き出してみると、体-右側が軟らかく、漸く脇腹が通じ効いたよう。鏡に全裸を映してみると、凝りも無く、すらりとしたようにみえる。

2018-07-09:
私自身にとって私の両大腿がこの体の( 身体的に )唯一意識されにくく,それ故に同時に本体としての可能性でもあるという点。おそらく慢性的な痛みの為に私がこれらを感覚し辛くなっているというのも本当だが( 痛み自体が肉体の物理的な原因によるものか?それとも心因か? )、カスタネダ氏も一度書いたように、私がこれらを夢見への注意点にとっての重要な本体と一致して‘ みる ’こと、今後の証明-事項である。

・私のホームに戻る。
・私自身の空気つくる。

2018-07-11:
- 右目からみる。

私は“ カッスル夫妻 ”を返却して,ちょうど棚に置かれてあった“ 気まま時代( Carefree )”を借りてみた。そのDVDのメニューに“ 参考資料 ”読んでみたら、まったくなんの偶然か、フロイトの論とリンクする処がある?( 私は未だ視てはいない )。
ジンジャーロジャースの強い要望により夢遊状態場面が描かれたと書かれてある( フレッドアステアは彼女を診る医者の役? )。私は事前に映画の内容を知らなかったので、もし私が“ 青空に踊る ”か“ 恋愛準決勝戦 ”の方を借りていたら、今夜この話題の偶然は無かっただろう。

[ 私のおはなしでは,私が先週から借りている“ ペーパームーン ”が、私かうちの母が最後に8月4日頃みる映画だと言う。だが、このおはなしは、私が“ パリの恋人( funny face )”を予約したときに私自身“ 実際にそれを借りられるのは8月10日か13日頃 ”と言ったのとは矛盾する。そのとき貸出予約2つ付いていたから私はそれくらいは当然だと思ったけれども。もし私が8月5日にいなければ、視られないというわけだ。
あのOT婦人も昔私に“ ペーパームーン ”のタイトルを繰り返し言ったことがあった。当時彼女から吹き込まれるまで私はライアンとテイタムとを兄妹だと信じ込まされていた( 親子という説にも私は信じない。少なくとも私が兄なら妹を乗っけたままあんな乱暴運転などしなかった )。ウォルターマッソー絡みかどうかは判らないが。 ]

“── 来年ようやく私の記録集を読める女のひとがいる..[ 自己性の? ]”というのと同じで、私は今これを視てはいない。たぶん、もうひと晩ヒステリー性空想に関する論稿-検討が必要のようだ。

2018-07-12:
私は考えてみる。私は空想に対しては‘ これは私の視るイメージ ’という論理が働くのに、寝ているあいだに状況的に動く処の夢には私のこれが無いのはなんでか?と。
私が肉体自体に依拠するからこれを持って‘ 夢 ’そのものに心理的対立するのが難しいということか( ならば、やはり肉体自体と‘ これは夢だ ’とを条件点けるべき )。
性的な行為については、その最中に別の考えを持つとしたら,その行為(あるいは“夢”そのものを)中断するか萎えさせるから、もしその最中に‘ これは夢だ ’を条件注けるとしたら、視点的に‘ 第一目的 ’を持つ必要がある。

更に次の日の夢-偶然,13,7-2018 -