潜在的要素

2018-06-24:
私は中心軸を取り戻した。それらはばらばらにみえるが、軸とその表面とは変わらない。

両足の調子はいい。昼間、私はネットカフェ経由データ移しのためにWM大通側まで早足で歩いた。外股ベタ足ではくたびれる。体自体のフットもなるべく真ん中( 上から両足に連動するように )動かして、内股と感覚される程度の歩行が余分な力みにならない。歩道には日曜客たちがいたが、私は‘ 他人相手の性交は世界があっても不可能だ ’としっていて、私の受けるような器官は無い( ものみたさに自分の傍をうろついたり道端の者に言ったりするのは絶対に駄目だ。昔Yという弟-先生が“ 処女 ”と言ったが、私は50迄のひとを言ったのと思う。彼女として相対的に応じるというのは“ エピタ ”だった。私は彼自身が“ 夢見の実践 ”の先生であればよかった )。私がそれらをやめて私の体だけを感覚するとき、私はまた振動を覚える。
早いこと言えば、私は歩き回らなくてもただひとりこの場に足踏みをするだけで汗が出る程に発熱できる。カスタネダの本文にも( 呪術師いない場面での )そういう言い方は一度あった。

2018-06-25:
久しぶりに不思議な( 偽の記憶的-夢,後述 )場面だった。午後そのあと、体の右側だけが風邪を起こしたように舌の右端が痛み、右目付近の痒みと鼻水も片側だけ。アレルギーだろうか。いや、これは脳の何かだ。これを書こうとしているうちに痒みは左目に移った。
体になにか付着しているのだろうかと超人的に想い、私は風呂場で髪と髭とをいっぺんに刈った。

[ マーロンブランドのあの顔から“ ROSEBUD... ”のオーソンあの卵形頭が連想される( 映画の順番は逆, )あれは先だ特殊メイクアップのようでも遭ったが( 安全刈りは朝方がいい。)後頭上部のキャップが無いと凹んだようにみえる。いまさら視覚野が足りない? 前頭部については言わずもがな。 ]

夢:
街のなかに( わたしは )ランニングしているようだった。ある小さな鉄道駅の入り口か道分かれ間にあるのをみた処で,わたしは元の道に引き返した。寂れた印象の町通り〔 夜のようにうっすらと暗い。ここでのわたしは古い友人の家をその辺に知っているという設定で、ちょっと様子をみようと寄りかけた 〕,右手にひとつ空き地1軒分程があり、こちら側からその向こうへと回り込むように小さい路地とかなり年代も古そうな店屋などの看板がみえた。〔 直接の表示は無かったがそこでは1軒目は薬屋,2軒目は理髪店( 彼女の住居 ),3軒目には戸口の上に白地に“ 操 ”という漢字ロゴの古臭い看板がみえた( 字体としては垂直部分の外側-辺が直線的でその内側-辺が下端に丸く先細るという古い形だった )。それらはどれも薄暗くひと気の無い外観だった 〕。最初に格子戸の開いている隅に老婦人ひとりが立っていて普通に私に声を掛けようとした。〔 そこでのわたしは2軒目が彼女の家だと知っていたので、急ぐように 〕わたしはその老婦人のあいさつを遮るようにして通り過ぎた。しかし、そこには暗い戸口があるだけでわたしは歩き過ぎた。その次に“ 操 ”の看板がみえた。その路の先には何も無く、別の路地との直角その向こうも空き地だった。

〔 .. 夢の場面はそこまでだったと憶う。私はその偽りの記憶のなんなのかを再び夢に辿ることができるかもしれないと思った。私がこうして辿れたという例は( ある場面的な続きとして )‘ 自室の場面 ’からの夢以外では無かったのだが。それも‘ 今夢そのものの本質を究明しよう ’という点に於いては先ず失敗だった( 予め夢に負けている,わたし? )。

私はあとで(ある“友人”の住居をみたときの)記憶と、(それとは別に,なにか上方から見下ろしたような,ごく淡い白っぽい絵として)裸の婦人のような姿がなにか慌てたかのように室内に倒れ込む-というイメージだった。おはなしでは,それはその婦人が屋内に居たとき偶々その外側から誰かの物声が遇ったのでひどく驚いたか怯えたかした-と,立ち小便の男がその傍に立ち寄っては声を発したのが原因だという、気の毒な件であった。 〕

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2018-06-27:

私は両足自体でホールドする
私はテレビに野口啓代が第3課題で観客の声援を必要としたのを視た。比して野中先生はひとり落ち着いているようにみえた。その2人のコメントも、野口せんぱいが周辺系の語尾上げみたい( たとえば他人に“ ボールは飛んでいますか? ”というような聞き方は個性障害のようだ - 2012-01-14: 私がみれなかった映画,KOUSHIROU_A1再録資料ファイル編に記述在り.

“ 考察・ 飛んでいるボール ”:2018-04-14

-比して、野中先生はマイペースの言い方といったようだった。互い違いもあったかもしれないが、両足自体であろうとすることと、霊に促す( 委ねる )ということとは操作方法が違う。‘ 私自身 ’と言いながら仮想的な“ 視線 ”を意識するとき私はいつもよりも両足が動きだすように感じたが、野口選手とワールドカップという要素とは、この個人の再起という観点に果たしてin-(de/)ductionが必要かどうかという問いであった。
- ‘ 私の両足に因ってホールドする ’という伸ばし方には未だに私自身の慣性が無い。

- 私はまた‘ 右目に視る( 視よう ) ’を忘れていた。:右-能動的にみる,2018-03-09

・私自身( 夢 )に焦点をする。

2018-06-28:
なんでか一昨夜の元気が無くなったかのように、また両足うごかない。休息が足りなかったのだろうか? 頭自体がくたびれたようで、わたしは久しぶりに六面体パズルを揃わないうちに置いた。
体の重心がP-に傾けばふたたび“ 彼女 ”仕様にエネルギーを割かれてしまう。取り敢えず体自体をうごかすことができれば、なにもホールドするには当たらない。

2018-06-31:

身体的一致感が不完全とは、私の致命的なタームである。
〔 また下腹を引き締めすぎたのが疲労の経由-原因ではないか( ぽっこり出しにくい )。これは両足にもよくないと思われるが、股下はすっきりしている。おそらく私の無意識に中心-片側だけを閉じようとしたのが原因だろう。血行がわるくなればこの半身自体がふたたび萎えてしまう。
だからきれいに排泄して持たないというのが本当だ。私は私の右側を開いて右足底まで感覚を戻そうとしている。 〕

私はフレッドアステア主演の古い映画ヴィデオ等から“ トップハット ”を視ていた。私がヴィデオの順番ではなく適当に“ 踊らん哉 ”を借りてみたとき( おはなしに )“ トップハットにも面白い部分がひとつあるよ ”と予告したので私は次にそれを借りてみた。9分目,ホテルルームでのタップダンスに階下のジンジャーロジャースが寝床を起こされて言いに来るというシーケンス( 彼がタップの途中,白い細長い裸像彫刻をその両手に持ったままドア越しの彼女にハローと言う )、その直前ひとり踊っていて偶然その室の楕円鏡に彼自身の笑い顔と近づいた処での一瞬はっとして避けるという仕草( “ 偶像 ”という観点では。 )