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現象を先取する

2018-06-16:
私は図書館の本棚に観ていて“ 記憶術 ”というワードにだけ‘ 夢見 ’という意とが働くと気ついた。要するに私はなんにでも即‘ 夢か! ’と意と的に言えればいい。でも、忘れてしまう? 
もし夢自体が表面的には自覚されない思考の一種であり、ある思考の方向( またはベクトル )と同時に私が“ これは現実である ”という元-点を持つことが( 世間的生活というウソに変わってしまうように )難しい障壁であるなら、やはり‘ 意と的に見る ’という視点的の記憶条件を強めなければならないだろう。
“ メンタル ”や‘ 物自体の論理 ’ではなく、今なにを視ているか視ていないを注意の元にできる/できないという課題だ。

2018-06-18:

私の7年ぶりに室内を掃除した。私のMacを専用デスクに置いて‘ 夢見の実践 ’古いデータを参照するためだ。
掃除中に2年まえに無くなった100円LEDライト1本が見つかった。電池もそのままで点灯した。私は自転車用にそれと同じ物を何本か持っていた。私はどうしてか一本だけ室内ではなく室外のどこかに落ちてしまった?とみなしたのだろう。
私は記録文からの画面に2013年9月中の日記に“ ワイン1杯,コーヒー1杯 ”と書いてあったのを視てあっ?と言った。

私はときおり‘ 色つきの小グラス ’というイメージを持っていた。それはそれ自体の受けるような形という一種の器でありながらそれ自体は溶けださない,硬質のものという特徴であった。私には受け型の無いグラスもある( 外部より注ぐことのできないグラス )。-
○ 青いグラスの印象; 30,4-2018
- 〔 再録:
一瞬、食事用の( 空の )白いボウルがみえた。私はそのあとで思った,“ 凹みなどあるわけが無いから( 以前これまでに )私はそのようなものをみて一瞬に夢だと気づいたのだろう ”。身体的に器といったとしても“ 凹み ”だとは限らない。もしそれ自体が“ 凹み ”といったなら、想像的な待機と同じ。私はテレビでASが夫人とゴルフ場を回ってプレイしているような絵を偶然みて( A氏が芝生のホールも無いようにみえるところにひと振りして上がったところ )“ 穴とは言わなかったのだ ”と私は思った。 :“ ボウル ” 2013-03-03
[2013-03-09 追記:
例えば突然“ ひらいた戸口のひと気の無い暗がり ”などをみたときのように、ある“ おそろしさ、不気味さ ”によって気づくということもある。そこに私のものが無かったからだろうと私は言ったのだが、去勢されるような、穴凹をみたときの心象が、そのようにシンプルな“ 真-相 ”であるという場合。 ]
;この追記はまだ観念的だった。


私の六面体には一視点のロジックが足りない。大ピラミッドに関する例で言えば、発掘者たちは物理的には“ 秘密の隠し戸 ”を頂点から入れ子みたいには動かせなかったが為に発破したわけだが( 無論、開けるまえに多少の内部的情報が遇ったのだろう )、ある論と解析とが同時に無ければ探究は進まない。
私はあの“ 水平空間 ”ではない方( 対称側 )にそれ自体のデータが刻まれていると思う。

私が身長を計ってみたら159cm,股下は中心直下では74cm,前回警察署での測定値よりも1cm長い。メジャーがフランス製だからか? 今後もお得意の‘ 与える気力( 伸びます )’の言い方をしよう。

2018-06-19:
今朝、たまたま私は私の左手で私の左腿を叩いたが‘ 夢見 ’意とが憶いだされた。このまえ‘ 私の脚にツールをつきさす ’と言ったときの条件があったのだろう(:2018-06-12 )。
私自身、時制に依らずに私の生きる現象として前向き先取りしてみたい。

2018-06-21: 考察・なぜ“ 彼女 ”と遊離する必要があるのか?
“ 彼女 ”は投影されている。私の純粋に内的一致に向けようとしたが、今それが自身よりも遊離したような無感覚( 麻痺 )状態に陥っている。この状態は仮に私が誰かに指差すようにして“ あ、おんなのひと ”と位置づけたとしても、より直接的と間違われるようなメタファー自体との象徴化はそれ自体への移行に依れば(- 状況的に正当化されれば )もっと難しくなる。“ それら ”は他人のものにも光景にもコーヒーにもバッグにもあたかも簡易に貼り付き転化する( 観念自体にも )。
私は一旦この自己としてのこれを私の両足に作用させようとした。しかし、これはオートマティズムだ。“ 霊がとり憑いて作用する ”という自己放任の態度に過ぎない。昔有名な霊媒のひとりDDヒュームなどに関する話では、彼の空中浮揚現象の際にはその体の身長自体が違ってみえたという( ヒューム自身は“ 霊 ”がそのように作用するのだと言っていたらしい )。
私は私自身に現象的とは思わなかったが、昨日か一昨日のうちに室内の光景とは別に昔わたしがイメージのようにみた、“ 空間の歪みのようにみえる横縞みたいなもの ”が今度は2つ同時に遇ったのだが、私はその意味を考えなかった。
自己放棄しない実践者としてはこのような“ 魔境 ”は喪失というべきで、私の主体が失われれば私は再び死ぬ( だからこそ私は“ 夢任せ ”になどと言えなかったので、私は“ 夢 ”自体の自動性を拒否しなければいけなかった )。この障害は“ 私 ”が低下しているというところにある。

前回‘ 与える ’と言ったことが、私自身に対称形を生んだのでは?という見方もできる( 私は単に私の両足に‘ 伸ばす ’という意味合いを優先すればよかった )。
私としては路上巡査たちが注目したような私の上体部分的な“ 霊 ”ではなく、この自身への比重を私の両足に移すという私の作業である。

私の体のしらずしらず受けている部分を開放し、実践-意図に更新する。
- やさしい足。

2018-06-22:
・‘ 気づく ’自身に一致する( 気づき自体に再帰する )。


以前の私の日記等( ある日記 )に、そのとき私がわざと私の下半身を鎮めてそれから上半身に感覚を上げたと述べている点があった。ここに再録してみよう:
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一度、濃い青の( なにか中心のあるライトのような )光が少し離れたところに斜めに差しているよう( 同時にそれから離れたところに赤 )みえた。そのとき私は私の両目を閉じて寝るというよりはある一定時間私の体を仰向けにしたように少し保ったままでいたが眠ってはいなかった。そのような青い色合いが久しぶりにあったので、なにかちょっと変わったものをみたようだった。
私はまたひとりきりで私の下半身をすっきりとしながらこの上半身に感覚を上げようとした。私は昔やっていたようにこの背中( 脊柱 )に通じさせようとした。この体が失われた15年のあとでもっと熱が必要である。私が以前に記したようなあの‘ 背筋を上がってくるかたまりのような感じ ’は無かったが、それはおそらくこの体の底に起こるある種の電気的な感覚発生を高め続けることで上昇するのだろう。これらが単にこれらを起こすという意志的なものなら、私はいつでもこれを起こせる。私は少しだけこの腰の背面側にコントロールしようとしたあとで、また家の玄関前のイメージをみた。それは前回の夢での印象と似てはいたが( あの夢の光景のほうがこれよりもはっきりとしていた )、そこに掛かっていた木製表札には名が無かった。〔
名無しの表札 2013-11-15,および2013-12-05:
自覚夢と明晰夢の記録( 前 )頁2に収録あり 〕。
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;当時の私はこれ( 背筋との上昇 )を神経的に感覚される現象だと思っていたようだ。しかし、これらは‘ 夢 ’の状態と同じで( おそらく催眠状態によって擬似的につくりだすこともできる )、肉体自体に変化が起こるというわけではない。純粋に心理的なコラボに拠るものと自身に試してみればいい。


・私の中心に重力一致する。

2018-06-23:
私はまだ私への先生をごまかそうとしている。

私は毎日ニンジンをかじるが、それがどう働くのか分からない。
私は先週日曜日の夜“ ザ・メンタリスト ”の簡単な毎度パターンを読み取らなかったのをまた毎回そうであるように私自身に不思議だった( “ 彼 ”が元-霊能者だということはだれもしっているというのが‘ なんでか当然だった ’が、私がこの点にアメリカ史以外の潜在的な何かが絡んでいるかどうか、“ パトリック-ジェーン ”の前身があったのか? これらの自然と納得してしまうよりも、最初にデータが必要だったろう )。
私はドラマの8分目までに犯人が表れているのに15分目にまだその連関が繋がらない[ もしあのOT夫人のIQがあったとしたら? ]。それらの要素的な表示とパターンとを私の意識上に結び付けなかった。