動きの起点を更える ( 前後に更新する )

2018-05-24:
歩きでの帰り路、私は初めて私の股間前部に‘ 夢見の実践 ’青と白タイトルイメージを持ってみた。これは衝立-感が無くて一致的には良い。
私は歩くときにどうして左と右とが進行方向に対称に着かないのかを不思議だった。私は右足には鍛えが足りないのだと思っていた( 私は単に私の両大腿を垂直から前後に動かすのには難と避けて慣習化しているので、この右足をまっすぐに左足内側に擦れる程に軸線やや反対側に着地しながら前後するのは難しいだった )が、実は足先よりも大腿部この付け根または上部に‘ ポイント ’とみるが正しいと私は気づいた。私は右大腿の付け根-位置を( 左のそれと同程度に )少し後ろにずらしてみた。なんと!比較的左右対称に歩ける。足は爪先から動くものではなかった。
結局‘ 意と ’というものにはこの一点と前後とを更新できる。しかしもこれが‘ 睡眠夢 ’には未だ無効だ。

2018-05-25: 前後に更新する
午後( イメージは私の目にみえるような像としては浮かばなかった。私は私の眼に室の窓とカーテン越しに拠るあかるい光と遇った )。
□ 〔 私は‘ 窓外からの日差し ’という外的要求に因っていた。乃ち、夢の象徴的イメージとして表れるような“ 彼女 ”側,私-内にではなく‘ 外 ’にあった。 〕-

・イメージ以前の雑な表れに( 私がそれに対して次第にシフトアップするように )私の‘ 意と ’を先行しようとこころみた。
○ このあいだに僅かに象徴-像的なイメージとしてみえたのは、まっすぐに奥へと続く通路のような形,平らな4面だけで、‘ 水平 ’とみなす要求が無ければ、坑道-縦穴のようでもあった。これは‘ 進展の可動性( 空間 )’象徴と解釈される。

-〔 既述通り、私は‘ 外界 ’に向けられているときにそれがあたかも外部に転化されたかのように少年を騒がせたりする場合があるのをしっていた。- 〔 私の夢体験・明晰夢日記,:21,6-2014 〕。私の具体的面にはこれは好ましくない。私の問題は私が“ 彼女としての要求 ”自身ではないという点にあった。
“ 夢 ”が投-映しているという見方,乃ち象徴的な面とみなされるような具体的イメージの類いはどれもその段階では投-映されている( 或いは翻案されている )。日常このような“ 映写 ”には私の本質自体として問われることが無い。 〕
イメージそれ自体が‘ 視ること対象 ’として依拠されている状態に於いては、私の視点を動的に作用させる( 夢自覚 )か、私のとしてなんらかの加工を行なう,実証する( 夢明晰 )。
私が‘ イメージング ’の主体であるときにはそのような視ることの依拠対象としての夢-イメージは無意味化される。

夕方,私は私のウォーキングにも‘ シフトアップ ’を適用してみた。

2018-05-26:
・“ 考えながらみる ”ではなく、‘ みながら考える ’。
感情を問題視覚化するには、‘ 内観 ’主義を優先する。