イメージング!課題(- 身体依拠と根本,私)

2018-04-25:

“ チャップリン短編集 ”視ていると男性欲というよりは×門衝動みたいな絵が多い。そう言えば私の20代ころの夢にも若い男のジーンズを剥いて私のを押しつけるという場面はあった。衝動そのものは生殖行為という結果とは無関係で、むしろ実際には“ 分身的 ”だったのか( 私の場合には“ 輸送 ”まではしなかった。それ自体に私物的だと気づいていたからだろう )。
〔 私は六面体パズルには素直な通り以外には無いと思った。実際、無理に手先で“ 合わせよう合わせよう ”としても余分な手間が掛かるだけだ。ある意味、チャッ×リンもヒット×ーも自身のおしりの穴とは見れないかのような面倒臭いアクションをした。あのお金の色の一場面デュークの台詞に“ I didn't deserve that. ”と言ったとき、彼は失敗したわけではなく、単に“ しなかった ”というだけだ( エディの色気だった )。 〕
射的を例として言うと、球がスリーブを通って抜けてどの角度で的に届くのかを理論的に説明するという人よりも、‘ おれは的だ ’。
これは‘ 実践的夢見 ’にも相当する。“ 明晰夢 ”ハンターは先ずその“ 明晰さ ”をしなければいけない( 的を選ぶ )。
・先ず的を設定する( イメージング )。

○ 私が‘ 暗いホール( ルーム )’にみようとするとき、その中心には光る星のようなものがイメージされる( 対象 )。私がそのホールを伝説たとえられた“ 秘密の不死の堂 ”とみなしたからか、放射状の星は一瞬( 命のものを表したかのように )“ 白い炎 ”状に揺らめいてみえた。

・知覚-外部情報をシャットアウトして内部からの表れだけを脳内に充満させる。

海面に沈みかけた空母艦橋かその周囲に幾本かの放射状-球形に取り巻いたような装置が浮かんでみえた。こちらからヘリコプターに拠り接近中の視点、近づきすぎると足下にその一部分が引っ掛かりそうに当たる。不図私の間近にそれらの一部なのか、平らな金属か石の面のようなものがあり、その表面に半ば滴り流れる水がみえるのだが、それらは液体というにはその動く輪郭自体に完全に何通りかの幾何学的正確な形だけが組み合わせ合成されているかのようにみえた( 水の縁にその流れが表れたというように幾つか正円と平行とスペード形が移り代わっているような )。私は‘ ああー、これはCG映像なんだ! ’と思った処、目が覚めた。
〔 私はあんなにも正確な幾何学形( ヴェクター線 )が描けるのなら( 夢にそれと認識し得るのどういう仕組みとは未だわからないが )私の頭にもコンピューターがあるのだろうなと不思議にも思う。例えば月面探査などのデータ自体をコンピューターで直接3Dとして視点移動的に表示できるということは当然だが、従来のカメラ撮影画像からの動画を今回の夢イメージの様に一律ヴェクター化するようなデータ変換も可能で( 完全フィルタリング,秒間コマ無し,可変可能 ),たぶん既に映画制作関係かどこかで実用ソフトウェア化されているか、研究投資が行われている。 〕

2018-04-26:
‘ 頭の連結を能くしよう ’と意図すればする程に思考回路は発達する。

・‘ 通常の夢は自己-合成イメージだ! ’という見方を徹底できれば‘ 夢 ’観察は可能となる。

私は昨日私の半パンツのポケットに六面体パズルを入れて、自転車ときにも私の右に‘ 持っていた ’( その最中には私のなんなのかとは考えなかった )。私はポケットに入れたまま私の右手に簡単に回してみようとしたが、各面ピース等の入れ替わり配置を私に記憶保持するのは至難の無理だった。
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先ず六面体パズル各正面その裏面との各色対応それぞれを近似的にみれば、( 各正面からの単純な180度回転に拠ってこちら向きにされる面とその反対側とをわかるから )私の手にその全部を一々引っくり返してみるの回数を少なくとも6分の1ずつかそれ以下に減らせる。

+ この夢にも‘ 夢 ’と言ってみる。

google検索では未だに私のサイトが“ 明晰夢 ”というキーワードでトップページに表示されたことが無いという20年来の懸案がある。この点、bingでは“ 明晰夢 ”を含む特定ワード等で‘ 夢見の実践 ’ひらがな名称ともに候補タブかサイドにもきちんと表示されるなど、googleよりも良心的だ。

・画面にではなく手前に‘ みる ’。

2018-04-27:
午前中、“チャップリンのいたずら( In The Park )”に脈絡解析しようと思った,一見読めなかった。それらの途中、私が鼻を吹いている最中私の右側室外に近いどこかにちょうど別の音が( 私はうちの母のそれと思った )不意に遇ったが、屋内には私ひとりだった。
出掛けるまえに私のこめかみ等に安全カミソリを触れるとまた右半身にあの体-抵抗感とともに“April In Paris”のメロディが再生された。我ながらナイーヴと退行しているかのようだ。私はこの右側を留めない( 体を萎縮させない )私一体的やり方を心がけているので、今更なにか臆する?というにも合わないが、‘ みよう ’という意気が足りない。

2018-04-28:

私は先ずこの体自体に依拠できるひとの汗ばむ方が“ 精神的努力 ”よりも良いと気がついた。何年かの私はむしろ体外的で在ろうとしたかのようだ。“ 精神的投射 ”? “ ファイトクラブ ”だの..“ 深山幽谷 ”だの..そんな言葉と想う以前に、この体に寒気となる。私はこの体自体を依拠にできれば良いと考えていた( ‘ 私 ’を根本としたが,原理が‘ 夢見の実践 ’であるとき, )
重要な点,若いときには先だ体自体にうぶな感受性と成長する可能性が在り、内的であるがゆえに( 内方向に )一個の現象を保てる,と。

私の身体として若いときの状態に戻りつつあるからか、不意に、昔わたしが指にはめていたような黒い石製の指輪みたいなものがみえた。25才前後の記憶的印象だろうか。そう言えば、それが小さいサイズだったのでわたしは考えも無く小指にはめていたのだと憶う。右小指との記憶かもしれない。

2018-04-29:
[ 朝方、私は映画“ 華氏451 ”悪夢の一場面に想起していた。
お話では消防士たちは書物の類いが発見され次第駆けつけてそれらを火炎放射でひとつ残らないように焼くという警察任務に就いていた。ある婦人の蔵書等が邸宅に発見され、消防士たちが入り込んで婦人がその場から立ち退かないのを結局その本自身と炎の中に死なせてしまうのだが、その邸宅での場面は“書物を焼く”ということは人の本を焼く=殺人でもあるのだということを、ある時代的に象徴的に遷移していた( 今みると絵的にはやんわりとした表現で、一見“プリズナーNo.6”あの古い自転車というサインに象徴される“ 村 ”でもあり )。
その消防士のひとりモンタグが寝床で夢に見るという場面、その邸宅の間に書物などが幾つも放り出されている、その右上に本一冊が半ば開いたように空中に浮かんでいる( なにか吊られた物が揺れるような動き )という一瞬の絵。〔 ブラッドベリの原作では“ 一冊の本が鳩のように ”だったらしい - ? 〕。私はその絵に想い浮かべるがどうしてかその“ 本 ”はその背表紙側と開きかけた側とを上下に回転するような動きだった( 私は‘ 物が物自体によって動く!ポルターガイストみたい ’と奇妙に思っていた )。映画のそれは“ ザルドス ”のあの揺れる本という下手くそな絵と想われた( ショーンコネリーの手にピストルを持っていた )。
私はイメージ最中にはただそうしただけだと思っていたが、‘ どうして回転していたのだろう? ’と考えようとした。そうして私はあの映画のその“ 本 ”が空中ブランコを連想させたのだと付いた。しかし、夢の表れが不明だったいう場合と同じで、私が後付けに考えたといってもその表れ自体を明かしたという言い方にはならない。 ]

○ そのイメージとは別に、“ 本 ”とは言っても、ある大きな白っぽい無地の石製モニュメントみたように、その白っぽい石畳か平らな敷石上にその背表紙側がこちら向きに、やや両側に開かれたような形に立っている、遺跡物のようなイメージ。私は前日再び‘ 大ピラミッド謎の空間( 重力拡散の間の上-片側 )’にと想っていた。