左と右とにたずねる

2018-04-06:
スカイダイビング中( 性別は女のひとだった )という夢だった。まるでサーカスの空中ブランコ曲芸みたいに両足だけでパラシュートパックの両肩通し部分に引っ掛けたように逆さまにフォールしていた。〔 前日私は不意にイメージに若い女のようなものが両目ゴーグルと黒いスキンスーツ姿で何か出入口から外に出ようとしたのとみて‘ スカイダイビング ’という連想を持った。このイメージの元はおそらく私が先日偶々路上にみた単独ランナーの姿と私自身の合成-絵だろう 〕。
そのあとの場面には、バゲット売り場か店内( 棚にもの凄く大きなフランスパンみたいな物が縦置き-並びにあったり、それらに大きなソーセージ等と何故だかキュウリがまるごと何本かサンドイッチされた物もガラスケースのような中に横たわっていた )。客たちのおばさんひとりが‘ これは柔軟性が足りないわねえ ’と私のもの想いを代弁したかのように言ったのを聞いた。-通常夢
〔 先日朝方私はフライパンにホットケーキを焼いたのだが、どうしたら気泡多いふわふわ質感の状態に焼けるのかと考えながらだった。 〕

また私の日付が1日先になっていた( 今月8日迄に返却しなければいけない本数冊があるので今日7日中に処理しておこうかでも雨だしと思いながら日付確認したら、不思議なことにその1日まえだった )。一昨日4月4日分の日記更新時にも私は当然に‘ 5日 ’と記した。このような“ ずれ ”は私には30代頃まで度々あったが、久しぶりだ。

好きということの無い世界
右半身を楽にしたいけれども苦慮にしたくもない。私はもしこれに心理的な原因があったのなら即見れたらいいのにと思った。〔 そう言えば私は昔‘ 気功 ’に関する高藤さんというひとの本に‘ 電気コードから気を吸収する ’というのが書いてあったの読んで私の片足先に電気コンセント延長コードの先を挟んで寝てみた。〔 無論にはこれがどう作用するのかが私自身として予め無ければ無意味だ。誰も自身に無いものを心的に‘ 受容 ’することは有り得ない。

インドラデヴィの“ いつまでも若く健康で( Forever Young Forever Healthy, 1953 )”には( ヨガの呼吸法に関して )、彼女が友人男性との夕食中その友人が急病に倒れそうだと、ヨガの療法をやってみようと彼女の掌を彼の全身の上に往復させたときのいう不可解な一文があった。 - “ 私が行なったのはいわゆる治療の按手だった。私はいわば磁性を帯びていると言われる水を彼に飲ませた。” - もしそれ自体が彼からだったとしたら? 〕
電気コンセントと言えば、私は昔そのプラグ部分を半差しにして右手指先に‘ 感電させてみる ’ということを当然のようにやっていた( 私は事故例には知らないが、ネット上には他の情報があるかもしれない。 )〕

私はその毎回腕に‘ 通電 ’したかのような痺れを覚えただけだったが、案外こういう感覚に対して心理的抵抗が遭って( 例えば無理にペンを握って勉強しなければいけなかった、など )それが身体-記憶的に後々影響作用に残る場合もあったかもしれない。
こう思っていた処で、私には‘ 手に鋏を持つことを拒否する ’という古い言い分けがあった。その途端に、私の右腕がなにかいやだ!と言ったかのように何度も素早く上下に振った。拒否?
“( このまえ )足がぱむぱむしたのと同じだよ - ”と,おはなしは言った。あれは両脚の内側に拍手したような動きだった。私は‘ そうか、( あのときのように )左で右に質問すればいいんだ ’と内的に試して一瞬、ちょっとびっくりしたことに私の右腕が急に何かを握ってぎゅっとこめかみに押し当てられたような形に動いた。以前私がそんな風になったのは( その瞬間、想いだせた限りでは )10年もっとまえに昔の勤め先に訴え以来の電話を掛けたときだ。しかし、それ以前にも周囲の目を気にして電話機を普通に持てなかったという心理的なにかの場合はあった〔 それらは自身との問題である 〕。
私は‘ 電話?電話か? ’という質問に続いて右の無言に訊ねたが、今度は両掌が両膝を摩り回すばかりで答えない。
そうだ!これにこそ自動書記させてみよう!と、私はペンを持たせてみたが… その直前に何か縦線というよりは船の後部に立てられた竿に三角旗みたいな印象が浮かんだきりで、直接的にイメージの方が上手いかもしれない。

もういっぺん固く受話器を握ったように動いたので、それについて聞いてみる。おはなしには“ Hちゃんが言ってたんだ、”と。私は刑事関係には一度も“ ちゃん ”付け呼ばわりしなかったが、これはあの取調室の怒鳴り口調も何も私の側だったという説になる? 私はあのときまでにイーオン側にもっと厳しい( 実直な )クレームが出来たか? 
〔 私は一昨日チャップリンのスケート“ The Rink ”に視ていて、彼が一度ひとりレストランから出てきた処であのしなるステッキをその手でぽんと路面に投げつけたのが跳ね返って彼の手に戻るという絵があった。私は昔ある晩AA店の皿ひとつを注文カウンター前でその下石畳のような部分に投げつけて本当に( そうしようとした )粉々にしたことがあった。それがその初めてだったかどうか? 以前そこの店員だったIさんもそのカウンター内から金属製のお盆を真横に飛ばしたことがあったが、それはからの通路側に落ちた。 〕
そう、あたかもそのひとが“ 真横に飛ばした ”のだと思いこまれていた、現象的には。私は上段までの私の日記更新あとでK図書館2Fで( 検索しながら )その今朝までの分と自ら読み直してみた。すると、その最後-段落部分に“ Mさんというもうひとりが渡そうとしたのをIさんが受け損なった ”というおはなしが遇った。そんなひといたのか? しかし、彼がお盆を横に飛ばしたというよりも他の誰かがそうしたという見方は、物自体の論理という“ ポルターガイスト事件 ”よりも理性的だ。“ Mさん ”が私の名称なら、記憶からの関連だろうか? だが、自己検索が足りない。

2018-04-08:
夢に“ 面 ”というものが遭るとき、それは対立であり同時に求めである。求めには動機がある,元みるため。私はこれまで神経自体で在ろうとはしなかった。私はこれ自体を動かそうとはしなかった。神経とは経絡であり、導線というから? 
( 利き手に液体入りの小型ボトルを持って横向きに振ってみる。これともう一方に持ち替えて対称に同じ加減-同じ振り方を試してみる。その両感覚に違いがあるか,各指の加減に差がある。・腕の力ではなく体の中心から‘ 神経 ’本意にやってみる。 )

私が昨夕帰り路にK警察署南の橋の上に差し掛かったとき、歩道側に自転車の少年たちが例の( 軽々しい )拍手と笑いだった。その直後、川沿いに近い歩道に小柄な猫がいきなり自動車道に跳び出そうとしたが、危うく私の前方に引き返した。そう言えば、猫は( 雨の夜には )車道で事故に遭い易いようだ。自転車も空気圧次第では路面とスリップし易いので殊に石畳の路地には慎重でなければいけない( つるま無い図書館と言えど、歩道際とのタイル地にも仮に濡れていると斜めに歩けない )。

私はあとで夕食と6時間程その“ 彼らと私 ”について考え述べようとしたが、彼らには単に繰り返しというだけで、私自身の活性化されているものを代わるような理由は無い、私自身と了承しなければいけない。
・気張らずに‘ 神経自体を動かす ’ - 体自体ひんやりとして、匂いが感じられ易くなる。 - 彼らのエキス? 右足も動きはじめた,まだ右腰のどこかにネックのような痛みがある。これ自体の自律。

2018-04-09:
私は右脚の長らく緊縮していた部分を注意しながら緩めようとした。自転車中いつのまにかうんこも出てしまった。( 私は昨日までよりも安全に車線上駐停車-自動車等にも一々私の背後空いたのを見計らっては隣り車線に越えた )。

今朝の私には“ 牛乳が飲みたい ”という言葉はテクスト上にもおかしいものではない。“ 牛乳が一杯を飲みたい( 即席ラーメンが私を食べたい )”は、私の例と言えば( “ 夢記録の有効性 ”と )タイトル主張したがの客体的-矛盾そのものだ。
私は前述のように‘ 路上-笑いの少年たち ’という無関係に一度も政治的なベクトルを問わなかった。私は一度も彼らの指揮者ではなかった。私は先ず私のメンタル-ピラミッド頂点的に純粋に“ 夢見の実践 ”と言った( 私の中に全データを収-約する )。

久しぶりに夜道の夢だった。私はいつものように自転車でゆっくりと歩道にいたが幸いなことに誰も笑わなかった〔 ここでは私は‘ 夢 ’だとは気付かなかった,実際昨夕の無-外という状況ではあった 〕。暗く、ある飲食店裏手に何も無い広い駐車場のような無人の場所があった。
なにか居室のような室内にて照明用の豆電球のようなもの1個だけを手で回して取り外す。その室から出た処で、あるサックス演奏のような音が頭の中に聴こえた〔 そこではバルネウィランが“ ロシュフォールの恋人たち ”の曲に部分的に吹いた音といったあの印象だった。 〕
‘ バルネのならマイルスとの演奏版が良かった ’と私は口先で応えた〔 -通常夢。〕
○ その夢に“ 豆電球のようなものを外してみる ”という絵が遇ったので、私はヒントを得て‘ 私の指先に青い光を摘まんでみる ’と私の身体的に伴いながらイメージングしてみる( 私は普段もうイメージが難しいので早々に寝床をやめるのだが、 今更外出理由も無いし、切り上げないでやってみる )。数回目に、それは私の指先から急に離れるように左上へと薄青い羽ばたきの蝶に変わった。

あの曲とそっくりの旋律が以前ウィランの90年頃アルバムに、日本語ノーツでなぜだか“ シェルブールの雨傘の曲 ”と記されていた。私は“ シェルブール~ ”未見だったが昔インターネット上の映画レヴューに‘ シェルブールの雨傘にはマクソンス役の彼も共演している ’という話を一度読んだという記憶があったので、私は‘ セーラー姿の彼が関連的にあの歌を唱う場面があったのかな ’と想っていた。( 私これを書くあいだにジャックペランという名が憶い出せなくてからトトの監督時代を記憶に辿ろうと数時間かかった。あの映画の歌などは基本的に俳優たちではなく吹き替えで、あのガラス張りカフェのマダム役だけが歌手だったという )。
今年2月頃、図書館に偶々ビデオがあったので私は借りて視た処、“ シェルブールの雨傘 ”劇中には彼もあの曲も一度も掛からない( 緑色の壁が印象的であった )。“ ロシュフォールの恋人たち ”と言えば、私が昔の‘ 偶然 ’ファイルに一度書いたように、フランソワーズドルレアックが事故死だったという話に関して“ その首が切れていた ”というおはなしを( 私が情報確認の為にあとで別のインターネット上ファイルに読むよりも以前に )聞いた。
つい今し方“ ツベルクリンの日に、ドゥモンジョ役(?)の彼女がベルトに挟まれたまま動けなくなったと聞いた ”という。私の場合、これが元のおはなしらしい( 名称等は記憶との翻訳-合成だろう )。“ 首が切れていた ”というのは頸椎神経等のことだったという訳だ( いわゆる“ 首が外れた ” )。
- ‘ 偶然のおはなし ’と言えば、2013年前後だったか、私が私の“ 遺跡 ”サイト用データを数週間毎まるごとまとめて使い古しフロッピーディスク等を介してアップロードしていた頃に、何度か“ 西陣織り ”という発音があった。
あとで私は憶い出してそのワードで検索してみたのだと思うが、西陣織りのメーカーが最近までその製造現場でデータ用にフロッピーディスクを用いていたという一般情報があった。私はそういう会社のことには知らなかったので、そのワードと私との接点はそのフロッピーディスク以外に拠るデータ入力方法との移し代え( 設備更新 )が長らくできなかったという問題だけだった。
私はそんな風に私の名を聞けるというひともあったのでは?とは思うが、それが自然なら路傍グループ側に加担するわけは無い、むしろ一方的な逆恨みか妨害者のように私の関知できない所で偏屈にも振りをしていたんじゃないか? 私は路傍のあの拍手笑いの子たちがなにか嬉しいわけではなく単に他のなにかの原因-例えば親たち学校や異性に直接訴えにくいのを私に八つ当たりしただけだろうと思っていた( これが投影された逆の構図だとしても、私は私自身に釣りなど仕掛けないのだから、彼らが私の為に跳ねたがるのは変だ )。
それだとしても、“ コウシロウ先生 ”という呼称がなにか違う形で利用されたりすることは望ましくなかった( おはなしでは今この呼称に相当するひとが全国に400人~500人いるというが、私は一個人として他との政治的問題にはしなかった )。

2018-04-10:
今朝ラーメンが私を食べようとしなかった。
- 私は今日も私の右半身の一つラインを活かして余分な力みを意識的にやめる。
寝床でそうしているうちにひんやりとしてきた。この身体感覚と在りながら一見すると目蓋に微かに陽射し透かしてみたような斑点ノイズ等のようだ( が、ある残像であるかのように、それは中心にややオレンジっぽくあかるい、固定したような印象だった )。私はそれをまるごと左回りにゆっくり一定速度に回転させて視ることができた。‘ 左の身体感覚が優勢だから左に回し易いというのだろう? いや、そうとは限らない、これは自身の設けた限界だ。’ ( その斑点等はそこに保たれながら無理といったかのようだったが、 )私は今度は右回りにして視た。

夕方、両ペダルを均等に各指で掴むようにして自転車していると、この両手両足が逆転したかのようだ。