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私の夜 〔 実研-仮題 〕

2018-04-02:
・今いっぺん私の体の中心から動かす。
- 私のスペースは私の体だけ( 私は二度と周囲を持たない。)

2018-04-03:
先週よりも体のエネルギーが喪失されたかのようで、動かない。あの場所には一度も見に行っていない。今朝からの寝掛けには性的なもの想いが浮かぶ度に( 私の目蓋を閉じてみえる両目視界に )なにか薄白っぽい毛糸状の影のようなものが跳ねたように一瞬表れるということが数回遇った。私は以前そのような表れには何らかの心理的きっかけがあるようだと書いた。今回、それが性的なものに対して私が意識的-抵抗とした一瞬等に表れていたようだ。
昔私が視た( 夢記録の99年分,あの“夢での照明について教えてくれないか?”と,私が夢の“ 人物 ”から問われた夢.. )その一明晰夢のあいだには,場面等の直接的な繋がりが無かった。夢自体に拠る切り換わり,または,私には憶い出されない点4つが遇ったと私は順番に再確認しようとした。当時その‘ 夢 ’直後より(私ができる限り何度か)印象-想起と記述してみた。あとで,それらはきれいにファイル化したので、後々私の簡単なイメージ等と想い出せるだけの部分等だった。仮に、ある場面等のあいだが私の記憶にならなかったから欠落したのか、最初からそれら視覚等印象のような部分等だけの表れだったのか?という質問だった。〔 参照ファイル: 自覚夢と明晰夢の記録(前)1: 13-1. - 13-14. 〕

読書記録:{ 例の“ 夢魔 ”多重人格という章に、ちょうど特定記憶との意識的認識の有無に関して少し書かれてあった。
ミス-ビーチャムという女性の件,B-IからB-IVという擬似-人格とみなされた( 彼女は子供の頃いつでもキリストや聖母・聖者がいるような感覚を持っていた )。例えば、ある鍵が無くなっていたが、キリストが野原まで彼女を案内したので木の下に見つかった。小切手が5日間見つからなかったが、5日目の夜、部屋の中に誰かがいるという存在感に午前4時頃彼女は目を覚ましてベッドから起き上がってみるとキリストが立っていて微笑みかける。キリストは彼女を引き出し付きの机まで連れていく。その一番上の引き出しに縫い物に包まれてあった。次の日プリンス医師( その件の著者 )が催眠術を使ってB-IIに小切手に関して質問したという。
B-Iは本のページ間に小切手を入れたと主張した。B-IIに依れば、B-Iはその片手に小切手を持っていたがもう一方の手には本を持って立っていた。彼女がその小切手を本に挟もうとしていたときドアにノックを聞いた。小切手と本はテーブル上に置かれ忘れられた。そのあとB-Iは縫い物を集めたが小切手は包み込まれて机の引き出しに入れられた。 }
モートン-プリンス著について ( 上記引用内容の本-読書に因る:)

私は一定時間内に六面体パズルを合わせようとしても( 非公式には2分弱もあったが最短“ ラーメン作り ”を超えなかった )早朝ひと回しずつ音も立てないようにそっと合わせようとしたのに先週から通常10分過ぎというのと同じ。これは私が暗がりでなにも視れなかったような途-頃が在るのと同じことで、一種のマジック、いや、ロジックなんじゃないか?( 頑迷にて“ 8隅 ”を揃えようとし過ぎた,)無論の私はこれに同時手を加えようとはしなかった。

・‘ 夢自体 ’の目的とする。
常時“ 夢への研究対象化 ”という分析眼を持とうとすると視点的には二重要素であり“ 明晰夢 危険 ”,私にとっては記述的対立するだろう。これこそが“ 明晰夢 見れない ”疲労の原因かもしれない。あるいは、‘ 夢自体のみる ’という反転的ないいかたが良い。

2018-04-04:
右足裏のつぼ?
私は長いあいだ‘ 私の右足底に何を踏みにくかった ’とは考えつかなかった。左の常的感覚‘ 通じ( 温感 )’がこの右側に無いのは単に頸椎からのどこかで神経が阻害されているからだと思っていた、ある体勢-角度に拠っては急に左右対称に‘ 通じる ’可能性もあるのでは、と。
私は20代~30代前半に主に歩きで出掛けるときにも両足底が不均等だと気が付いてはいた。私はこれを修正しようと何度か体の重心を移したり足の位置を変えたりと試みたが( その頃には私は‘ これは男性×に響き易いのを避けている ’という体感主流の意見を持った,両足が同時に刺激すると充血が催される )、この右側は緊縮したかのように出任せを避けている。
以前の試みでは私はそのように末端部分との交感を先んじていたが、或いは脳自体のセンターが( 私の意思に拠り )動かせる部分と動かない部分とに働きかけるのでは?とも期待した。私は‘ 感覚的に弱い,鈍い ’状態に慣れてしまい、それらに‘ 私 ’としての同一性が無かった( あの‘ エネルギー上昇 ’や‘ 体外的実験 ’は何年も難しくなっている )。
気温が上がってきたので、このような感覚的実験に向いている。
[- 足底ポイント毎に試してみる。]

自転車でY通3に向かうあいだに、ある小さな交差点に赤信号で停まろうとした一瞬、私は私のブレーキレバーへの手つきが普段よりも注意深いと気付いた。
その場所-夜景は、昨年私が‘ 光景とともに夢-意図する ’していたときそのままの印象である。それは私が“ 氷小僧 ”という夢記録に記したように、ある夢場面のモデルとなった。( このように記憶というものは正確である。 )

その先の交差点では“ クリーゲル ”という語が久しぶりに浮かんだが、それはうちの妹のことだと言う。私が内的に悪いイメージでみていた時期のものだろう。
自転車に3時間サドル無しで立ち漕ぎするということ。以前述べたように、先ず力まない慣習が必要だ。 - 動きだすとき、サドル無しでは踏み始めのバランスとコントロールが要るので、特に歩道上から青信号と視て横断歩道にいきなり斜めに出てしまうと勢い歩行者に当たる危険がある。停まるとき、停止点に対してペダル上の高さが一致しない場合( これは通常自転車にも起こるかもしれないが、歩道上うっかり片足での着地位置が車道側へのスロープなどの低い部分に掛かると反対側の足がペダルから下りるまえに車体ごと路面に倒れる。大型トラックが背後ぎりぎりに迫っている )。
HY通2ではなぜだかセロニアスモンク“ Evidence ”が再生された。あの公園-間にも。まだ夜には早い時間で、私はマイペースだった。

..例の箇所[..墓地公園にみえた暗い部分]には小型乗用車6台程停められてあったが、それはそれで不気味だった。私自身なにも無かった。そこに何も置かれていない方が‘ 夢 ’には良かったのだろう。
私は光景-左側にこの体-左側の感覚的に在るものと覚えた。私は私の左側に一度“ 彼女 ”として充満し( 先年自転車うんどうに拠り右側との比較的弱さを克服したように )この右側空間にも協和できたらよかったのだろうか。
[ そう言えば、昨日私は久しぶりに右眼に触れる部分に小さな異物感のようなものが遇った。

その前日チャップリンの短編集に偶々彼が屋内にひとり出てきてその下ステップ等に寄り添いカップルが腰掛けているのを視た処で、次の1カットに彼が自身の人差し指と親指とでその右眼に何かがついたとでもいうように上下に開くという一瞬が遇った(- The Cure. )
私が視たのはその短編集等の数巻分だけだが、例えば“ チャップリンの勇気( Easy Street )”警官になるの巻では、ある画面にマトリックス-リローデッド( 無数のスミス対ネオ )元ヴァージョンが遇ったりして、今更に彼の体でのアクションの巧さとそのような映画の源流という見方では面白かった。 ]
しかし、あの少年少女たちの勝手な沿道笑いに私なりの処理として‘ 体外にパーソナルスペースをしない ’と言った通りに、私は‘ 他人に注意を向ける ’ということを二度としない。私が私自身を他者化することは駄目だ。
帰り路、Nドームで何か催しがあったのか、偶々歩道に歩き出てくる者たちがいた。私は気にしないでその先のYD5交差点まで車道際を直進するあいだに、その歩行者たちの中にまた手を数回打って笑うようなあの古いたちが紛れていた。ちょうどのタイミングでパトカーも赤ランプ点灯でMB電機前のその車線に来た( 次回8台の予定 )。
仮に彼らの何名かが私に背を向けていても私の通るのに一々気が付くというようなことがあるとしても、私はそんなことには分からないし別に教えてもらう必要も無い,..

[..{ 彼らが多数だったとしても受け型または自分らという集団ストレッサーにある限りは一個人として支援しようということには思い付かないだろう( - 私は‘ 夜 ’私ひとりの匂いだけでいい。 )}
仮に他人の感覚など持ったとしても私-独自の‘ 夢 ’には成らない( 私は私の自己に発しないものには研究しない )。私は私ひとつの理性があれば良いのだから。]