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自由研究

2018-03-18:

私自身に“ オケダ監督 ”というワードが献呈された。
私は例えば“ 学校で虐めに遭っています ”というひとには、私が今日“ 監督 ”であるように、自身なんらかの堅い“ 業 ”という心象を持てればいいのでは、と進呈する。そう言えば、高校時代にクラスの男子何名かが鈴村さんというデザイン系の講師がくしゃみをする度に一々“ くさい ”などと声に出して言っていた。うちの妹は3年後に同じ科に通ったそうだが、やはりその科長や講師たちに“ ちゃん ”づけ呼ばわりするような遊び半分な子たちだったのは私には思うだに奇妙だった。
私はあの当時に独自の監督業を持てるという( 心身ともに遊びの無い,一貫した )心象を持てれば良かったのだろうと思う。
男子とても、射精には動物というよりも望ましく“ 献呈致します ”という心象の方が優しいんじゃないか。

・右半身と左半身とを( 互い )乗り移らせる( 右目で左目を射る )。
〔 これをやってみた処、突然右足が動いた。 〕

2018-03-19:

私は今日も起き出して偶然テレビ画面に“ プーチン氏当選 ”ニュース見出しが映っているのをみて‘ !また私の“ アクセシビリティ ”リンクボタンそっくりだ,2015年3月までの。NHKのじゃない! ’と素直に思った。
〔 私は私のサイトには赤文字を用いなかった。最近NHKのでは赤文字や黄色-オレンジ点灯が使われている( 左端-青マーカーの白ストライプには右下にタイル地が薄青く表示されている。私はモンフリ氏2007年当時迄の“ 体外離脱訓練日誌 ”背景お風呂場風タイル目地がその原型ではないか?と視ていた。 ) 〕
云わば、昔“ シーザーはシーザー ”という句文があって、それがやがて“ 帝国 ”に代わるという執政官自身による言い方でもあった( 彼は“ 父 ”の問題であった )と。
ちょうど‘ 大阪なおみ選手の優勝までの試合がぜんぜん放映されなかったのはどうして? ’といったように、私の‘ 夢-実験 ’自体にファンや支持層が必要だという逆のおとなえ説には自身否定的だと私は思った。私は神的な様態だとは思わなかった。

久しぶりにナンシーウィルソンとのアダレイ兄弟録音にテープ回した( B面は以前ふしぎなクリフォード目当てに聴いた“ ダイナ・ジャムズ ”で、今日の私の頭には非理論的なうるささ., )入江杏いりえ・あんさんのあの絵本からの涙目-小熊が,その絵の黄色い長靴姿でその玄関戸外に立っているというイメージ。
私‘ 何か用ですか? ’
‘ うん ’
‘ うん? うんですか? ’
‘ 休校です。 ’
ナンシーウィルソンがそのアルバムカヴァー写真等には黄色い衣装の年代風イメージだったのが私の連想にあったからだろう。

月曜は図書館等が休館なので、私は夕方過ぎに雨中Tシャツ短スパンツで先ずN駅方向から平地ルート( 駅前通りには出ないで私自身-側を行った。 )東山方向に上がって公園口から北へと上がる頃には既にTシャツも濡れていたが、私の首に青いタオル一枚が巻いていて背中側では半面濡れにくかったのか,私の頭を拭うにはちょうど良かった。
まだ途切れ途切れ自動車等も通ってはいたが、左側-墓場の薄暗がりすぐ近くから“ チン ”という小さな金属単音が鳴った。サイクラーが隠れて休憩していたのだろうか? それから少し先,左からまた一音。同じ音、どれも同じ、そんなわけは無い。それはちょうどサイクリング用のひとの小さい椀型に簡単にバネと玉とが付いたあれの単音ずつのようだった - 私は墓場に踏み込んだり視認したりはしなかった。雨粒がなにかに当たったのだろう。

東Oz( 特に線路ガード下-付近の店舗通り側 )交差点付近に突然横から大声でこちらに吠えかかったりする男子の変なグループがいた。人の耳には騒音レヴェルを越えていたが、私は無反応を極めていた。その直前に歩いていた若い婦人が一瞬なにか困ったように言いたげな顔だった。
私は“ 追っかけ型 ”に私の内部投影が予め介在したかどうかという点には見るが、私は掛からなかった( それが内部探査されないという理由であたかも外部から不満っぽく言い掛かるという場合の、一個現象的な読みとしては。もし彼が私に向かって自分を捕捉できると言ったのなら、それは彼自身にとっての“ 警察 ”に変わっただろう )。

〔 先週まで私が台詞チェックの為に借りて視ていた映画“ The Color of Money ”には、あるトーナメント試合途中の場面に、デュークという男がPニューマンのハスラー・エディに対戦するというよりは半ば放心したような浮かない顔で“ I didn't deserve that. ( 俺はあたらなかったな )”と呟く。彼は握手しながらもう一度言うのだが、エディはさも当然といったように“ Yes, You did. ( そう、君のだよ )”。一瞬に見過ごされたが、うまい端役だ。私はこのお話にはあたかもエディと他のプレイヤーとが“ I'm back! ”カットまで反対に打たれてしまっているかのようだというブルーの様相として心理的にみた。例のフォレストホィッテカー演じたエイモスが賭けで着たときにはPは婦人のそれみたいだが、ホテルで寝坊したかのように試合出場-受付に下りていくときの彼は楽そうだ。 〕

( - つい最近,別の朝、そのOz町よりも東側-Sd橋交差点_浄水場西へと歩くブレザー制服女子たちの中からも例のげらげら笑いが何割かあった〔 登校は交差点方向から途切れ無く続いていたが笑い等はそれらの間に少人数グループ毎のようであった 〕。私は偶々南側から自転車ルートの帰り路というだけで一度も知らなかったし一言も掛けなかった。
私には非常だったにも係らず私が明るいのは私の研究視点以外なにも持たないと決意しているからである )。
私の視た限り、今では栄町あれを言いたがる率もゼロで、もう二度と言わなかった。

2018-03-22:
芝だけの平らな場所に首相Aと誰かが椅子に掛けて同じ方に向いていた( 視点はその男性の右横からだった )。Aさんは前に向いていたが、若い方の男はこちらに立ち上がりかけたように何か話していた。その椅子等の向かいに振動音と蒸気機関車のような車両( その先頭車両だけがあかるい金属色 )が右側から来て停車した。〔 先週,ある夢 - 通常夢。その日の午後、私はつるまなく図書館へと自転車するつもりが“ 第三金曜 ”と想い直して方向転換したのだが、町内通りにスピーカーや街路デモなどぽつりぽつり遇ったのが偶然というには面白くなかった。
‘ あかるい金属色の機関車 ’は昔わたしの20代頃に一度だけ夢に表れたものと同じ。あの場面ではそれが高い空中線路に停まっているのが地上からみえた(“ 同窓生たち ”と詰まらなく歩いていた。なにか私なりのパフォーマンスをしたかった.) - ‘ ある希望 ’という言い方かもしれなかった。〕
“機関車”に関して( 追記:)2019-07-25
これの為にメモを付けたあと、ケータイ画面に1つ直前のメモ内容を視ようとしたが、右左ボタンが違って偶然ページ,数年前の‘ 恐怖小説 夜道 ’おそらくその最初の原稿と思しい段落等が表れた。現在-最近のこの日記等話題との偶然が何点か在るので、引用してみよう。-

 私は更に静まったようにその路の終わりにいた。私は実際にはそのとき倒れていたのでも失神していたのでもなく、ただ私の目の前の枝に私の腕を掛けて起き上がろうとしていた。私がそうする度にその枝の向こうになにか真っ黒い箱のような物がおかれてあるのがみえた。それは私の手を差し出せばすぐに届きそうなところにあった。
 私は吐いた。この体の中に普段の私には感じられなかったなにかが通ったように、私は抗うことをやめてまたそれ自体の温かみに私の体を浸した。

(2)
 私は以前その藪の傍を通ったとき毎度必ずその藪の中に耳を澄ましたように、余り私の足音を立てないようにしていた。然し私の両耳に届いたすべての物音はむしろ私自身に発していた。
 その路は少しずつこの先に上がっていた。私は同時にふしぎな虚無と爽やかな感じとをその夜の落ち着いた気の中に覚えた。呼吸はあたかもそれ自体であるごとく私の震える体にそれらひとつひとつ浸透していた。それらは小さな水の滴る音のような感触だった。それらがどこか藪の中の暗闇に落ちつつある水滴のように私の身体にその一瞬毎に無限の響きをもたらしていた。そうして私の両膝は未だ止まることを知らなかった。私の両腕の力はすっかりぬけたようだった。私の手もとに鞄があったのもすでに私の意識に忘れ去られたようだった。
 私の足下にほんの微かな警笛と列車の発進が揺れ伝わった。私は一瞬その小高い場所に近づく前にほとんど立ち上がっていたが、また私はそこに駈けることをやめた。それらが遠ざかった後、また数個の星々の瞬きだけがそこにあった。彗星がその夜空に白いジェットを噴いたように束の間その淡い奇妙な光を天に放っていた。

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・私の神経に元精を戻す。

【 カスタネダと夢見 】
カルロスカスタネダ“ 呪術と夢見 ”シリーズは、ある意味近年のリーダー( 先生 )作であった。私は“ 民族誌 ”という言い回しには一片も動かない。私は一視点を通じないものはすべてウソだと思うので、カスタネダ氏の個人記録としての述懐には読めるがその文化的背景というものには他己性は無いと私は思う。
“ 呪術と夢見 ”シリーズの後半は呪術師弟たちとの行動というよりは回想として述べられていた。そして最後にカフェの男( 若い頃にはハンサムだったろう、おそらく元軍人、UCLAキャムパスにうろうろしていた )の何かを知っていると書いてしまった。
私はこのまえA県図書に“ モンブランの嵐 ”という映画ビデオが遇ったのを借りて視た( )。私は“ 怒りの葡萄 ”も“ 地下室のメロディー ”も視たことが無い。
私は書き手として私の書き物に“ つづく ”を予め付けられないとわかっていた。

2018-03-23:
今朝の私には‘ 物と物自体 ’という観念のようなものがあった。言い帰れば、自身への客観的な見方あるいはそのパートには本来‘ 主体からの分離 ’と見なされるべきだったのを、“ 私自身 ”という説明的-語に分けたが為に、私の主体自体といわなかったという障害であったかのようだ。私の課題的に述べた‘ 私の神経に元精を戻す ’,これは私が私と‘ 神経自体 ’とを分けていたから今いちどこれが充填( 主体化 )されなければいけないという意味にもなる。肉体が“ 物 ”であるとき( 私が一度“ 彼女 ”自体であろうとしたとき )私はこれに充満させようとした。私の身体左側が優勢なのはそのときの鍛え方が同一的だったからだろう。

終日エネルギーが足りないかのように、イメージも起こらない。今いちど私自身に“ 認知言語学 ”など再考してみようというお修辞-整理の必要がある。
私は昨日までの日記と更新後,セーター着用に戻りながら夕方図書館に間に合うかと計算してみたが、19時に出ても夜目には人影を見過ごす危険等とは急に走れないので50分間みなければいけない。書庫等からの貸し出しは閉館30分前から1時間前迄が原則なので、どのみちこの資料一冊には間に合わない。

2018-03-24:
結局、うんどう不足,汗も出なかったから新陳代謝の無いかのような頭の中を教育しようとしているうちに18時。‘ 図書館 ’は間に合わなかった。
私は桜見を避けてS内通_Md町-方向。私はその63号線直進であの` 両足伸ばし ’ガーデン埠頭までの憶いだせる。自転車のチェーンが外れやすく( サドル無し・トレーニングなので )スピードが出ていると両足落下時に爪先よりもその上面側と着地するおそれが遇ったので,いつのまにか私は大腿部から素早く動かすのを遠慮して手先足先ばかりに神経質に変わっていたようだ。先年のようにもっと伸び伸びと動かしてみたい。
このように大腿本意に動かそうとしていると私の上両腿は再び通じたように動きだした。

2018-03-26:
・身体の中心と動く( 末端等に張らない )というアイディア,前記。

“ 公園の池で鯉を吊る ”
昨夜、私はうんどう帰りに敢えて東Oz付近のあの通りに視認しながら、男子女子だけで溜まっているようなグループの側にかなりの確率で私に向けられるへんの顔があると再度わかった( 私が主に夕方通るからか、夜営業の居酒屋-飲食店並びの歩道で度々わざとらしげなグループが私の頭に怪我そうとしたことが遇った。それらは小規模にそのような狭い特定界隈で続いている )。あるいは彼らが何らかの犯罪に加担-隠匿していて私のような正しい言い方を選べるの人たちを遠慮させようと風評化しだしたのだろうか?( 私はこう思うと私の体を怪我したようだ。“ 法規的に違反です ”という言い方,各自持てばいい )。
私は‘ 今やこの地球上に完全な一個に拠る意匠こそ“ 受け型コピー集団 ”には滅多に無い貴重なものだ ’として、私の体-心の安全・気丈さに何か危害を加えようという集団意図があるのか?彼らの何らかの理由で私や‘ 夢見の実践 ’を壊乱したいのか?と質問しなければならない( 私は純真無垢で在りたい,私の手を使わないと言いたいが、これからこのひとをどうしたいのか? )しかし私には54の現実は無い。
他の子由来のベクトルを路上で一々言いたがってでもいるかのようなコピー少年グループには、私は一切感応できない( 私はつるまない )。私は私の原理は‘ 夢見の実践 ’ファイル以外には無い。今後も私がこの原理以外の何かと客観的に述べるような要請はここには無い。

2018-03-27:
口を閉じて視野の周縁で視るんだ ”は今もいい教えだ( Cカスタネダの。)これはあのときのようだ。