論理と無色

2018-03-01:

・( ‘ 夢 ’での素材に )それが観念自体との出演かどうかと視る。
- 身体的ホログラムの必要性? 

- 背筋たてる。

夕方帰り路,女の子数人連れによくある笑い反応を利用するために私はわざと中区の大通りやN駅前に通った。そうして背後に小さな笑いが起きる度に、私は私の予定通り‘ 夢見の実践( - 夢の素材に確認する )’と憶いだした。
“ 反転 ”と見れば、“ 笑い子 ”の論理はむしろ社会的××の側がある。通報するのは彼ら自身であり、私が一個と建前に言うのとは逆に、“ 先生 ”の可能性だろう。

2018-03-02:
○ あるイメージ。不意に、右側からひとつだけ押し出された物のように、引き延ばされた小さな角柱か、棒状のものに直角-段々が付いているような形が落下した。それは少し緑色がかっていたが、その表面の縞柄が( たとえば室内に小鳥用の餌として少しずつ置かれていた )ひまわりの種かと想わせた。しかし、それが人工的なスティック型にみえたというのは、私にはその‘ 継続性 ’という意味合いと思えた。
それで私はあの‘ クリアーボード ’にも単に仕切りの一種だとみるだけでなく、‘ 伸長された時空間 ’という表象でもあったのでは?と思った。私にはペニスとしてのそれはむしろわたしの指-挿しに表れた“ 女優 ”という形に遇った。ということは、ボード自体は性的対象というよりも知性的対象の筈だった。( 無論、わたしと何かを知るためにはそこに判定可能のものが無ければいけないという理由からは、モンロー氏が室の壁や板などに一々境界面として感覚-認識したというその記述等に在ったように、既存からの物理的なもののたとえが必要だった。 )

○ 私は居間に体を寝かせて両目を閉じていると家のすぐ外側路上に歩きかかったような足音があった( やや砂混じりの面に擦れたような,それ自体は普通と思われた )。が、それが一点にぱたっと止まったか - と聞くと、なんと私の頭の中に向かって来た。
然し、考えてみればそんなにゆっくりとした足音が一々そんなに聞こえるわけも無い。その印象には私自身のそれだった。

2018-03-03:
○ 純粋な観念的-概念的の印象から‘ 夢 ’として再説明しようとする段に、私の頭には難しい。今朝遇ったのがそれだ。( 無色の )入れ替わりに表れる不規則-角形のものに一瞬だけ“ 5 ”という数字が付いていた〔 それも右から中央へと表れたようだ 〕。敢えて形の在るものとたとえるなら“ 不思議の国のアリス ”のトランプ兵隊みたいだが、しかしキャラクターと言うには人型特徴も無かった。
昨夕映画“ The Hustler ”のモノクロ画面にボールと丸付き数字が映ったのが一印象ではあったが,そのとき‘ それが私にとって何の意味が ’と看ようとしたのだろう。もし‘ 私が ’その劇画にどう視たかと加えたならそれが直接その絵のように表れたに違いないのだが、私と言っても劇自体や擬性的キャラクターには殆んど無関心だ。むしろ変に興味関心するような部分があればそれが私にはニセモノという理由で、見分けは難しくない。いよいよエンターテインを興すのは至難の業だ。
この早朝のあいだに私として途切れも無かったようだという点では、性的な睡眠・意識を持たないだったのだろう。

2018-03-04: “ ほしい ”,‘ やる ’
“ 夢魔〔 前述,:2018-02-13, 〕”,第5章からは自動筆記( トランス )に関して述べられてあった。ある学生が催眠によって聴覚の自覚されない状態で“ ..君の中で私の声を聞いている部分があるだろうから、君の右の小指を合図として上げてください。”というように言われた処( そのひとも気付かなかったというのだが, )小指が動いた。そのひと自身はその時なにか統計上の問題について考えていたという。
‘ 私 ’がそれと関係できなかったという点では、私の昨日述べた‘ 性的な睡眠 ’または悪夢( のキャラクター的表れ )自動が、あたかも‘ 私の ’コントロール外だったというのと同義では? 悪夢自体が私と無関係に遂行される? 
だが、私は‘ その女 ’を打ち消すか更新するという試みにもしなかった。ただ‘ 夢 ’だとわかっていたというだけで、むしろそれ自体の論理の側だった。“ ほしい? ”

○ “ 砂漠の夢 ”表紙タイトル文字( 室内に読まずに立て置かれたまま )にみているうちに、‘ 砂漠の夢というのを面白がるひとがある。’,すると、昔サンダーバード2号の砂地に濃緑色コンテナとそのハッチが開きかけているという( 記憶のままの印象に近いが、そのコンテナには何も無いようだった, )絵が遇った。私がそれを古いテレビ映像自体と否定しかけたからか、ドット等というよりはその絵の中央少し左上に真っ黒い四角が表れた。私がその‘ 背後 ’を視てやろうというと、一瞬暗く老けたような( 無色 )男の顔が遇った。
‘ 正四角形 ’自体が( あの透明プレートのように )知性的の象徴だろうか。

〔 このメモのあと、私は思い直して更にその男の顔に‘ 視よう ’とした。すると、ある種のビデオ-エフェクト効果に拠る変形が施されたかのように、それが中央から放射線状-一定間隔に引き延ばされ肌色というよりもオレンジ色っぽいパターンに変わった( ,敢えてたとえれば,油面に絵の具を垂らして作るアートのあれを,ビデオ画面で機械的にやったような。)私は一度戻そうとしたが、それは再び同じパターンに広がった。そこで‘ これはペニスのあれと同源のものなのだ。’ -
私は例の“ クンダリニー ”という語で言われたような‘ イメージに転化される ’のことだと思った。 〕