奇跡のこれ

2018-02-15:
・全部を一体化する。

私は再び私の両足を立てはじめている。私は体の両側に感覚しようとして失敗した。私がこの中心でなければいけないように、この体にも中心から動けるものが最上である。私は“ 両足 ”で動かそうとしていたのだが、たとえば自転車うんどうの場合、私はサドルに掛けて両足開きで漕ぐよりも、股間にサドルを使わずに真っ直ぐ立って歩きだすときのように、‘ この中心( 力点的には両足-内側面に )’設定するだけで易しくなる( “ 両端に頑張る ”というような無駄遣いをやめる )。

“ 体外への旅 ”は千種ちくさ図書館に一冊だけあった( タイトル検索ではリストアップされた。近隣の他の図書館での用事ついでに受付係にこれこれと言えば取り寄せもしてもらえた )。私の自転車うんどうルート沿い( 東山動物園-傍 )なので自由ヶ丘_精神医療センター前_東明町という例の上下練習用ルートで直行した。記録にこう書くとかなり素早い距離があるのと想われそうだが、実際には私は若者のような駆け足にはできない,私は拍車を使えないおばあさんの歩行速度程度だった。

“ 体外への旅 ” - 私はエピローグから読むという習慣がある。途中なんでかケンタッキーフライドチキンのあの匂いが想いだされた。偶々開かれるページ,そのロバートモンロー氏の日記本文に“ あの私の知っているゴムのような存在がひとつ、また私の背中に乗っているのを感じた。” - ( 私は昔この部分には読んだ筈だったのに )うわっ!と言ってしまった。これもやっぱり“ 振動 ”とか言っていたひとだ。
私はこのような著作等に‘ 夢見の記録 ’として括るのは間違いではないと思う。

2018-02-16:
私は例の韓国製海苔と夜ご飯食べながらビリ・ホリディ“ 奇妙な果実 ”初めて聴いてみた( 私がこの歌アルバムを“ The Hustler ”のビデオ等と入れ替えに借りてみたのは、おそらくその映画が黒いと差別するだけの時代のストーリーと思われるからだろう、自分は“ ソーセージ ”であって“ 豆 ”ではないと言ったかのように? ポウルニューマンの演技はむしろマーティンスコセジ版でのトム-クルーズと連想される )。が、歌詞カード付いてない?( 日本語ノーツの翻訳部分のみ )なので私が一緒に歌うことはできなかった。
“ 世田谷一家事件 ”の入江杏さんが回想本にその宅すぐ傍の木に自殺者があったと言ってその文中に“ ストレンジ・フルーツ ”という語をわざわざ付けてはいた( 歌の原題は単数形 )。私は入江さんにもうちょっと科学的な言い方があったら違う形の回想録が在ったに違いないと思う( グーグルに“ 入江杏 犯人説 ”などのワードが出てしまったのは、ある時期に私のような詮索型が証拠も無しに“ レイヴン ”といいたがる振りがあったからだ )。節子サンに関してもきちんと事実の話題として継いでいけるか。

私の今夕の良かったこと:
図書館の端末で聴けるNAXOSライブラリーにフランシスプーランクのミサ曲集と黒い聖母への連禱という唱歌があった。( 私には典礼文は無いが )一聴とても良かった( 私は私の体に収中しようとした。)そのアルバム表紙イメージ( 石? 黒い聖母? )これ,うまい! 
そのあとでは従来のジャズ流しも偽者であった( キャノンボールアダレイ聴きたさに更に借りたナンシーウィルソンとの演奏盤,やっぱりキャノンボールとナットの音色は一味違う )。

2018-02-17:
映画“ マトリックス ”単身-敵地突入場面のようなイメージだった。通路というよりは一続きの室内等にまっすぐに跳ぶように入り込んでいくと、奥の間の真正面にほっそりとした男ひとりがデスクに就いてこちら向きに不動であり、その机に一枚の履歴書が置かれている。( ここでは未だ‘ 私 ’の視点ではなくその夢の論理-自動であるかの如く )こちらの短刀をその履歴書に垂直に突き立てようとするのだが、勢いが衝かなかったというように半ば浮かんだか動きにくいような体勢のまま、そこから離脱しなければいけない。
逃げだしかけてそこで私は急に気が付いてその夢イメージ状況自体を私の胸の真ん中にひとつ収めた( それは広がっていたものが一瞬に小さく球のように回収されたかのようだが、それには更に一重の閉じていない要素が遇った,これは私自体の胸が開いているという同時-象徴的な表れかもしれない )。
私は起きだしてテレビ画面にちょうど日本人フィギュアスケーターの堂々としたその最後の回転をみた。
〔 私の‘ 回収 ’のきっかけは明らかに‘ その場から逃げなければいけない ’という機嫌だった。私が‘ 私の胸 ’にすべて回収できるという、‘ 自己反映 ’に関して( 私が二度と自分と分離的にしないように )解消するためのひとつのイメージ的な方法として、ここ何日間か私自身にあった。以前の私は敵対的な悪夢に対して私の身体-両掌-間に感覚的に圧縮爆発させるというやり方だった。 〕

- ‘ お母さん ’だいじに。
- 左手で右半身に触ってみる。

○ 私のあの‘ 月面 ’イメージは、もはや直上の天と視界の殆んどに掛かる巨大さで、私が読書中の“ 月に照らされる砂漠( 砂漠の夢 - 前回参照 )”とは無関係だった。
“ 夢と砂漠 ”?…サン=テグジュペリがどうしたと書かれているところで私は退屈だ - 私の体の中心にみようとすると、呼吸 - 腹部が動いた。

・私の体に‘ 収中しよう ’。

自己抽出ファイル: 明晰夢実践のために・試みとその直後 / その反省点(等)