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依拠しない夢見のために

2018-02-02:
・今いちど背筋に感覚自体とおしてみる。

2018-02-03:
自転車,‘ 右足の土踏まずに力みが入り過ぎていた ’と判明。右眼-側の目蓋が開きにくかったのはこれが原因だろう。
昨日‘ 夢の記録 自覚夢 ’など検索中に、“ 体外離脱訓練日誌 ”という記録集が再発見( 2007年このひとの日記が更新できなくなったあと、“ しんだ ”とみなされた )。
今夕-終日その記録等に読みだそうつもりが、N城向こうの図書館は消灯・不明だった,19時前。

今夕この両足均整のときにだけ私がそのルートに以前一度も見なかったような箇所に視線がいったのと気付いた。今日私は負うことも無く両足うごかせた。〔 そのとき動きながら私が右足に注目しようとしたら一度だけ“ ヒッ×ラー ”といった。もし記憶-連想なら10年以前からのものだろう。 〕

私が私として( たとえば“ 女 ”と言い始めるときに佳境があるように )どちらかの足が優勢でなければおかしいというのはおかしい( “ 格好よい・格好わるい ”って何?と言うのと同じで、完全な自由よりも別のものに依拠しているからという問題だ )。オフコースのあの有名な歌が連想された。“ 真横に歩く ”という冗談よりもひどい。

どちらかの足が優勢でなければおかしいというのはおかしい.
完全な自由よりも別のものに依拠している.

2018-02-04:
朝方までに自転車-前輪に分解確認しなければいけない( 前夜うんどう中に擦れ異状音があった。またボールベアリング等のどれかが削れ変形している? )と私は思いながら,..私が路上に移動しているかのように歩道ガード用ポール等が目前に迫り、私は歩道上での安全のためには私がそれらの間に無理にロールしないで止まるだろう。私がそう思って一瞬その通り映像としてポール直前に停止した。そのとき私は同時に‘ このように私がイメージと在る最中に“ これは夢だ ”と言えばいい( 次回-夢のために )’と思い付いた。
私は昨秋には路上で自転車うんどう中の条件-作業として‘ わたしは夢-見ている ’とシミュレーション的に繰り返したが、私はこれ迄にはこのようなイメージングの機会に敢えて夢見-意図と試したりが無かった。

- 私の右半身自体にフィットしてみる。
私はセーター着るときに左腕と右腕との態度が違っていると気付いた。右腕は肉体自体に依拠しないもののように固い。だから左腕と比べるとスウェーターに触れない。