深層研究,集中力を調整する

2018-01-18:
- 私はまだ眠っている。〔 ウソをやめる。〕

2018-01-20:
深層研究する。

私は久しぶりにあの公園-間ルートに墓地の影も見えないくらいだった( 昨年ある晩,墓場の暗がりからスケートボードの音だけが反響していたが、私は邪魔しなかった )。しかし私が私自身に‘ 対象 ’を持たなくなったからか、公園という場所スケール感も私が純粋な私としていられる程に比較的小さい、“ 夜道で背後に負い憑かれる ”という言い方ももう無かった。暗がりへの恐怖と言う私自身のわざは無くなった。
・私自身のこれに‘ 夢見の実践 ’と( 無言に )いいつづける。
- 私の両足に収束する。
( - ベクトルは一瞬に消滅する。)

一昨日ジミースミスのセッションもの3枚借りながら私は結局リーモーガンの“ ス・ワンダフル ”な時間の音にだけ反応していた( 私がジミースミス名義に聴いたものとしては劇的にハモれる“ My Funny Valentine ”もよかったが )。私は今夕また6時までに図書館に行かなかったので、今またメモ集に“ トーテムポール( オルタ・テイク )”なんか聴いている。──うちころされた、とは?という先日の映画としての話題だった,予告編には彼のひとり緊迫感を想わせるようなあの時代調のスタジオ立ち姿( 演奏直後?)が印象的コマーシャルでもあったが,私は未見。私自身のものではなかった。
むしろ“ オフ・マイナー ”に研究モンクするという態度のほうが良かったのでは。

- “ 夢見の実践というウェブサイトを御存知ですか?”と私に訪ねてみる。

・真っ暗な中で憶いだしてみる。

2018-01-21:
‘ 真っ暗な中で憶いだしてみよう ’とは言ったが、実際に2時過ぎに行こうとすると自転車の違和音が解決されていない,なんでか街路に人影が完全に途切れる瞬間が少ないなど、暗がりで本当に私だけになれるという保証は無さそうだった。
帰りに22号線からの北-直行を避けてH小路通からS町に回ったが、以前と比べても100mも無いようだった。

2か月ぶりにアートペッパー・アルトサックス演奏録音(“ Bewitched, Bothered and Bewildered ”,いつになくやさしい音 )泣く。

ダイナショアーという歌手名から“ 月の浜辺 ”と連想してみる。夜のしずかな海辺に巨大な月面が昇ってくる。

2018-01-22:
- 一瞬にして( 悪を )消し去れる先週までの記録。
〔 集中力は調整されなければいけない。〕

午後、しんとして雪が降りそうだ。ある新聞の投稿欄に“ 図書館はかけがえのない公共施設だ。”:( “ 図書館は至福のひととき ”YMさん )このひと言に私は感激した。図書館-自身いえるひとは。

2018-01-23:
午前0時過ぎあの公園-間,私が自身に動じるようなものも無いといったが、どうしても物理的状況としての不安の所為か、自身の背中側に一瞬外れたように覚えて、私はすぐにこの体に一致させる〔 ‘ 夢見の実践 ’と言うの忘れていた 〕。実際には道路上に真っ暗闇という部分も無い。道路反対側にNヶ洞池がみえるだろう,その舗道上にさっと薄黒い半透明ひと影のようにもみえた。私はそこでは背離れしなかった。ちょうど他から通り抜けに車両等は来たが、誰もいないようだった。
そう言えば、そのすぐ南側は住宅地なのに( その直前では少し回り込まなければ向こうにその通りが見えないという角度・傾斜がある )、私は初回に近い朝4時過ぎにそこで地図記憶に不確かだったのをわざわざ直角よりも左折してしまってその公園東側へと出るまでに“ 背-負いつかれ ”状態だった。

‘ 背に海苔が張り着く ’( 初回 - 2018-02-01:)
背後から追いつかれる ( 前記 - 2017-03-29:)

‘ これは私の足,私の動きだ。’そう言ってはみるのだが、靴下等に幾つか穴が空いているからか、血の巡りが足りないのか、右親指が極冷える。結局あの上り下り一周だけして( もう変な子は無かった,しかしこのような夜間、私がひとりでも不意に接近してくるような酔っぱらいみたいな素振りの者が遇ったりで実際に‘ そんな!’と驚かされるということはあった。あの人影と見間違いが起きた辺りにも以前一度だけ日暮れ後に“ げらげら笑いの男子グループ ”がいたが、彼らは物陰にいたのか私の眼には見えなかった。仮にそこから進路妨害などの“ 荒らし行為 ”が遇ったら私は警察署員に相談しただろう。私は歩行者にも一々距離をみなければいけない )K王山_T新町-経由した。
毎回私の体が自転車でウォームアップする( 漕ぎ易くなる )にはどうしても先ず20km分が必要のようだ。また、私が必要以上に‘ 動かそう ’とするので体自体に拮抗するのが要因なのかな、と。
〔 私は右足自体の‘ 動きたい ’尊重する。‘ お父さんの買い物 ’を控える。 〕

ジャズ録音集CDで聴いていた。私の聴き覚え無かった“ THE PREACHER ”という演奏が入っていたからだ( この時ジミースミス特集CDは付近-図書館には無かった。“ My Funny Valentine ”がよかった。)その途中(不意に,)青白い不思議なひとの顔のような映像が遇った。正面向きに、あたかもかつらメイクの為にその頭上部になにか一枚巻いたような形だったが、想うに‘ 異星人 ’のようでもあった。それは手に携帯機器かなにか持ってそのもうひとりの方とそれの情報かなにかに関して尋ねるような素振りとみえた。
その直前“ アリゲイター・バガロー ”がそのCD1曲目だったので、あのカエルの女の子みたいな( その元アルバムの )カヴァーイメージがあったからだろうかとも思った。

・右自体で‘ 夢の私 ’みる。
- 寝れば‘ 夢 ’みられるというのは思い込み。体のどの部分から( これとは語らずに )‘ 夢の私 ’意とできるか。
・‘ 右側の影 ’? 

2018-01-24:
○ あの‘ 海際と月 ’にもう一度みようとしたら、そこに誰か立ってこちらに手を振っていた。

2018-01-25:
自転車にて思う,私といいながら一々“ そこへ行こう ”“ そこに帰ろう ”などというロスト問題だった。
昨冬レジ袋の薄めの物で私の両足先に覆っていたのが今日午後に想いだされた。私は昨冬うんどう時にはセーター下に安物の雨除けコート( 100円ショップに“ レインコート ”と称して売られているような物は使用一回途中で袖の付け根や股分かれ部分が破ける )着ていたが、外気はシャットされてもそれとは別にその内側がかなり湿った状態になるので体の感触としてはかなり良くない。その記憶が蘇ると心地よくないので、忘れたかったのだろう。

2018-01-26:
・私の過去全体に‘ 夢見の実践 ’言い掛けてみる。
( 本来“ 時空 ”は存在せず、全体のポテンシャルは不変である。 )