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還元

2017-12-27:
・対象物ではなく( 私自身の )夢見という。
・私自身の( 対象物ではなく )夢見の実験という。
・夢見の実践という。
・夢見の実践。

朝方から寝るまえに、私はジャズ聴きながら私自身の感覚的-両手合わせしてみた。これが可能であるとき、この身体に‘ 夢 ’誘導することは可能であるだろう。

2017-12-29:
私は私の両足をもっと若いときの衝動本位にまかせると気付いた。

○ 私はテーブル上に蜜柑一個みて( その視界と、同時に )蜜柑の皮剥かれた処のイメージが発生し持った。‘ この蜜柑は私のp-の外側にあるのか?それとも内か? ’するとそのリアルなイメージの蜜柑自体は若干萎びたようにみえた。

〔 おはなしに費やされるエネルギーはエッチ衝動のそれと同源・( ‘ 雰囲気 ’といっても、外面的に観られたり人関係にはできなかった。空腹からの走りや、それによる夢への転用には私は‘ 私 ’本意ではないと考えて近年無視していた )。
たとえば‘ 内的 - 外的身体 ’という利用は目的集中を困難にしていた。 〕

2017-12-30:
私は感情的な問題にはふれない。だれかの紛れ事にするのは全く無益だし、それは単体の欲情による中毒と同じ、結局“ メイトリックスからのパターンを自ら克服できるか? ”という作り事だけだった。

2017-12-31: 私は私の右側に受けない。

六面体パズル合致に‘ 私が未だに一定分数間以内にできない ’というのは、例えば‘ 私が街路に一定ルートを自ら設定し辿った ’というのと同じで、その言い換え自体の障害( ‘ わたしは算数ができなかった ’という観念-言い訳 )と違わない。‘ 時間分数 ’化に掛けては逆に難しくしたかのようだ。

2018-01-01:
○ 夕方あと、何事も無くジャズCD集にメモ再開しているとこの体に‘ 振動 ’がある。再び私の頭の傍に音楽とともに横たわってみると( 古い写真イメージでも遇るかのように )母の白エプロン姿に似ている。昔の記憶かと視ようとすると、暗い背景にテーブル一台,正面その真ん中に白いフリル付き洋服姿の可愛らしい女児か一才半くらいが両足開きで尻を着いたような格好でこちらに向いている。こちらの連想からか、あたかも私の左手に鈴など付いたものをシャンシャンと振ったような様子。

今日わたしは私が昨日まで右手だけにやっていたような普段の動作に不意に左手で同じようにやったりした。私は先日私の左手だけで六面体パズルにできるかと( 片手では操作自体に手間取る )何度か試してみたのだが、そのときにはこれは起こらなかった。

2018-01-02:
夢: 私は光あとの残像等のようなものだと思いながらみていた。あたかも旋回するプロペラ型の物がその残像として反対色にみえているかのように、真ん中ひとつと同じ型-やや小さめのひとつずつがそれぞれその左右に回転していた。それらだけが赤茶色く残像のように半ばぶれたような形のまま回っていたのだが、私がコントロールできるCG画像みたいにその回転方向に逆向きに変えたり戻したりしている( できる )と気付いた。

私は今度の‘ 夢 ’についても事前に予言してみようとした( あるいは予定調整されている )。すると‘ 砂糖菓子 ’と言った。
○ あとで寝床に寝付けないでいるうちに、‘ 即席ラーメンの包装からゼリー用-粉末入りの袋みたいな物が出てくる ’だった。

2018-01-04:
・あらゆる動きに( 一瞬の途切れも無く )夢といいつづける。

2018-01-05:
・あらゆる‘ 受け ’同一化をしない( 私自身のものとはしない )。

2018-01-06: 明晰モンク ( 昨日までの )
・( 拒否的な対処から,全部こちらに引き受ける )対外的な気張りをやめる〔 二度と“ 投射 ”しない。〕,右眼は復活する。

私の両目閉じて右側に不意に小さなオレンジ灯りのような丸い明滅があった。以前からのあの‘ フラッシュ ’等とはまた色合いも形も違う。その明滅にたとえて言えば映画館での画面縁にフィルム交換タイミングが突然現れたのようだったが、私はなにも視てはいなかった。

BGMはTモンクがピアノもたつき弾きながらの“ 'ROUND MIDNIGHT-進行中 ”( 私は夜半バードの繰り返しに抑揚も無くなりモンク録音集に換えて聴いている。前半モンク出ないが多いので夜中に向いている ),午前6時過ぎ。

- 夢との共-調-作業という言い方は私には馴染みの無いものだった。

○ オレンジ色がかった六角形ガラス( 表面-やや波打ち )が色無しガラスとの両側対称に丸に組み合わされた型( その下側部分,いかにも内に灯りの点ったランプシェードみたい )。

2018-01-07:
‘ みよう ’意気は更に無くなっている。私はこの10年余り‘ みる ’欲を否定しようとした。しかし、重要なことは物理的な世界との排斥ではなく‘ 自己回収 ’に在る。こうして一体に復活し私の‘ 夢 ’としようといった。
私の‘ 夢 ’を発射することは不可能だ。
- 外から話し掛けられるのをやめれば自動的に起こる。

〔 私は先週1日にはまだダッフルコート着用だった。2日目には私はTシャツ2枚・襟付きポロシャツ1枚に短スパンツ( 薄物4枚分 )履いてだけで久しぶりに栄町ダイソーにパイル編みソックスなど買いにいった。このときには裸足にサンダルだった。私は寒さにやられているのは“ 身構え ”だと、私の体内部からのものがあれば“ こらえる ”必要は無いと理論的に外気さらしたのだが、帰り道ひえた( 寒いと言えば、それは行きの街路で2人連れ女子が余計な声を発したときだけだった。私の素足が一々だれだれとは想像だにもしない )。 〕

もっと右足としてみよう,私のものになる( 再トレーニングとして先ずメンタル‘ 母親 ’側を私の味方に。以前の“ 彼女 ”はもう私の役にはならない。私は性的にはしなかった )。
‘ 夢 ’が私のものになるように。

2018-01-08:
うまいこと夜の街路はしんとしていた。左側にNヶ洞池の黒い水面がみえると、真夜中に水辺にひとりで泳ぎたがるひとがわかるような印象だった。YG通に向かう例の道ではその初回のようだった。連続坂道うんどうで心臓が油揚げでも喰ったときみたいだ。でも痛むのは右脇腹の方で左肩・背中側ではなかったので、内蔵かなとも思った。
( あとで私の日記等に辿ってみたら、私が前年秋‘ 自転車うんどう休止 ’と書いたのは9月10日付だった。2年前・16年に性的な“ 彼女 ”要求から街路ルートでの‘ 自転車うんどう ’へとシフトしたものが、そこで私自身に強制されなくなった。‘ 夢 ’への条件付けが有効だったのがその9月中だった。昨日には私自身が3か月やっていなかったといったが、11月3日付にはJヶ丘ルートでの‘ 墓石等と回収か ’その直後イメージ等にも言及してあったので、おそらくそこに本当に充分とみなすような理由があったのだろう。
しかし今回のこれは主に肉体健康のためだ。原動として肉体機能回復というわけだが、勿論ここに私の‘ 夢 ’条件付けが無ければ‘ 夢見の実践 ’というタームは起こらない。)

私は成るべく右半身に引き付けがないように( 引き締めないように )対称に動かそうとした。一体感に近いが、それでも帰着時には右足先が冷えていた。私は今更これを‘ 自己憑依 ’とは言わなかったが、未だ‘ 私の右足 ’とも言えない( 私は“ 彼女 ”に占有させたときのようなやり方がもう右側には通用できないので、今回私の純粋モチである )。右側はまた( 時空的に )離れている。

2018-01-09: 右側の動きやすさ
・私-現在
〔 今朝のあいだに私は一致した。しかしこれまでのように左手キー操作して‘ 私 ’と打ち込むことに違和感がある。右側が私に( 私が右側に )移りつつあり、溶融-湧水-温熱。 〕これは対立項目の問題だったも同義だ。

一瞬,左目の視界-端に黒い小鳥の羽ばたきみたいだった。[ そう言えばヘレンメリルの変わった歌い方だったあの“ バイ,バイ ブラックバード ”にはトランペットの音は無かった。私は私のメモに無理に音合わせするのをやめた。 ]
飛ぶ者の影〔 引用 〕:2016-05-12,

2018-01-10:
私に先制するのは性的な要求としての夢だ。だから私が予めその目的に同一できるようにとセットしなければ‘ 私 ’として成すことは無理だった。ここに欠如している。