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THE SIDEBINDER ( 私の所在 )

2017-12-23:
私は意と一体であれば苛立ちや‘ おはなし ’側には措かされないという経験上の法則としていう。

夕方まえ、厚着-枚数増やして体自体ぐっすりと寝たかのようで悪くはなかったが、直前の‘ 一点 ’意とが足りなかったのか、夢には先制されていた。

○ 一瞬イメージ: 夜道の狭い歩道上に電話ボックス一台,暖光色ランプのような光ひとつがその内側-上に点っているがその照らされたような内側だけ完全に灰色( 無彩色 )。
〔 私は少しうとうとなったような状態だった。[ 音楽にクリフォードブラウンとマックスローチ“ I'll Remember April ”の最中だったが、私はこのときには余り細かく聴かないように音量少なめだった。そのCDには幾つかオルタ・テイク等が付いていて( 直前私はその“ リメンバー ”という語に好きくないということもあったが )その別演奏部分に‘ ここはもっとこう吹けば良いのに ’と私なりに更新しながらだった。 ]
私はその( 物理的な路上での視界-記憶そのものとは違う )イメージに関してあたかも“ 別の次元 ”に在るものみたようだとみなした。これは若い睡眠に近い存在感であるかもで、私は‘ 夢見 ’のレヴェルでみることは可能だと思う。[ そう言えば、あのカスタネダの“ 呪術師たち ”には日常とは別のレヴェルでもいつのまにか力の領域で行動していたいう記憶等があったのが既知のものになるというそのシリーズ後半のお話があった。(私はそれらには解釈と施さなかった。‘ 夢見 ’にひとつの現実として明らかになるという意味での可能性。) ]
仮想記憶か,トナールとナワール? :2018-07-26
しかし、私にとっての重要性は( 不意に表れたイメージの )なんなのかと見れるというこのタイトル通りの可能性であり、“聴き分ける”義理よりも、先ず私が優先課題で在りたい。 〕

2017-12-24:
私の利き腕は右ではなく左手だったいう当然の解明。しかし今この右側が弱いということの逃れ言い訳には為らない。私は意図的に右側に使おうとしてはいなかった、3才までからの問題だ。私は昨年までに左側と活性化しようと‘ うんどう ’で頑張ったのだから、今回これに自由-成功しないという理由は無い。

身体的‘ ぶれ ’からの障害には、肉体由来の‘ 振動 ’という言い方からは無関係として先ずこれを切り離し( それが肉体自体とは関係無いというのが私の見方だ )、純粋に私の一点として夢見に活用できるかという課題。
( 私は‘ 振動 ’自体に注意とするとき“ 金縛り - 体外離脱 ”的体験できると思っていた。実質私の一点として外的問題等が無ければ、私はできたに違いない。ここには概念的な障害や他人称と云うような振れ方は一切不必要で、‘ おはなし ’以前の時代に戻らなければならない。 )
 私の記憶に最初の“ 金縛り ”体験が16才の頃で、私の文体系になりつつあった頃と時期的に一致する( 例えば5才頃には明晰夢があったという頭脳-環境のひとと比べると私の自己本意生活が遅いという見方だ。しかしこれは私以前に“ 積極性 - 消極的 ”という二大極間にまたがるの目的障害でもあった。お寿司(…)が好きなネタには最初に手を衝けない、あるいは“ 最上のワインは最後の晩に ”というひとの問題だったとも言える )。これは私の内部関心であって、私の小説等は外部への主張ではなかった( 私は発表型ではなかった、自己本意にみれば、その理由も後年にある )。
‘ 外部への主張 ’と言えば聞こえは良いが、実際には外的な依存状態で、観衆がいなければプレイ自体が成り立たないという、劇場型に依る障害だ。〔 私は一度ローライズジーンズから頭が路上に出そうな程に起き上がってまま広小路に闊歩したことがあったが、そのとき面と向かって責めるような者もいなかった。私は独りだったし発射こそしなかったが、もし私自身に屈曲があったらそれを‘ 嫌がらせ ’だという者があったのだろう。
・右手に上手く使えないときの寒気. 〕
私が‘ おはなし ’に他人称とみなせば私ひとりの体験的-可能性は無くなる。( 単純に、たとえば‘ お風呂 ’について言えば、私は‘ お風呂 ’ではあるが、‘ お風呂 ’が私自体に入りたいという言い方は無かった。 )

2017-12-26:
私はもう騒がしさ自体にはならなかった。それが災いするなら外界-欲からだ。

ふくませる(夢:)
私の右足一点に痛みがあった。振り向いてみるとなにか大きな虫のようなものが着いていた。私は急いで防虫剤の容器から白い粉末ふりかけた。私の足下に近く蟻たちが一群に集まっていた。路傍に少年たちがみていた。
妹が来て〔 そこでは私の‘ 妹 ’だったのだが、黒スーツにうつむいたような髪姿だけで、一度も顔形の印象は無かった。 〕どこかに誘導案内するかのように声をかけた。
駅構内フロアのような所、それから、ある町路地のような間に歩いていった。小さな託児所でもあるのか、ある室内に〔 犬の子どもたちのように 〕5つ程の白い姿が同じ向きに互いに密着したように寝ていた。
それとは別に屋外半分のような所に婦人ひとりが椅子掛けでテーブルにその頭を着けたようにして眠っているのがみえた。その寝汗のような印象とともに私は私の親指を差し出して彼女に含ませた。〔 私は‘ 夢 ’だとわかっていながら無意味なことに利用しているという意識でそこで止めたのだろう。ここにもまた‘ 左眼 ’との問題がある。
その夢直後には私は考え付かなかったのだが、昨夜独りおはなしに、ある若い婦人が意外にも5つ子の母親だったというのがあった。夢はそれがイメージ化されたヴァージョンかもしれない。しかし‘ 妹 ’がこれに導くという言い方( 顔無し=私自身 )が単独の‘ 生殖-観 ’そのものと表れていたのだろう。それの最初に‘ 虫が噛みつく,群がる ’というのと、最後に私が親指を差し出して( 一昨日のおもいで話のままみたいな )飲ませるというのが、対称的だ。
“ 駅構内 ”には別の象徴だとして読むことも可能かもしれないが、考え付かない。 〕

・‘ 夢 ’素材の原因に見よう。
:〔 まえの‘ 夢 ’例では、‘ 一様に白い寝間着姿か寝ている子どもたち ’が素材表現だった。この‘ 白い ’という点に私の重要度がある。その場で気付けば良かった。 〕

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